延原時行歌集「命輝く」(第2084回)(アンズの花が一気に満開!)

                 

       延原時行歌集「命輝く」(第2084回)
「復活の家出発進行――感謝無限の旅一歩一歩」(206−1)
理解命歓びの歌、我昔と此度の歌、寒中いざいざの歌、皆やる・入来の歌、本作り奇しきの歌、ノーちゃんの歌、後藤さんの歌、ジュンク堂巡りの歌、ふとや我の歌、愛入来の歌、変貌何処への歌、燦々の歌、笑みこそはの歌、復活誤訳私訳の歌、信頼の歌、天来のマナの歌、それだけの事の歌、言の葉いのちの歌、原点破るの歌、挺身嬉しの歌、この天地の歌、御名崇むことの歌、逆転の歌、華の歌、祈り道の歌、復活省察務めの歌、ああ我やの歌、箴言第七条の歌、昨日もの歌。(2015年2月1日〜10日)

    2月1日
            理解命歓びの歌四首

   友ありて我らが書をば二週間読みて綿密返書給ひぬ(備考:敬和学園大学名誉教授浅野幸穂先生1月28日付御書簡あり、感謝無尽なり:「拝啓 お正月をやや過ぎたころ、前後して二点のご文集、先生ご主宰のメールマガジン「風の便り」一月一日付号外第十五号とご著書『復活の省察[上巻]――妻と歌う』(2014年刊)のご恵投にあずかりました。拝見してまさに生きることの深い淵をのぞき見た思いで、失礼にも早速御礼を申し上げることもしないでこの二週間余、特に重層的に構成されたご著書を数々の短歌を手がかりに読んですごしておりました。
 御奥様がすでに旧年の三月十一日、「今一番幸せやとぞ笑みて言ふ妻逝けり」という突然の事故によって急逝されていたことをはじめて知り衝撃を受けました。能天気な小生は、以前、重大な事故とお聞きしながらもその理解は、お二方の闘・看病を通して快方に向かわれているという見取り図で通り一遍のお見舞いの言葉を申し上げる程度のものであったと思えるからです。
 共に闘病されたと言ってもよい先生には突然奪われたという喪失のお悲しみも深かったであろうと拝察しますが、やがて「その奥に静々とゆく御神の巨きなるわざ」を感じられたわけでしょう。そこには半生を同じ信仰、同じ司牧の道を歩まれてきた、特に最後の三年余の奥様のご立派な生き方がかかわっていたことでしょう。奥様は信仰に忠実に先生をお支えになったこと、闘病生活の中で「英文箴言」をおまとめになったこと、そして特に胸打つのは「天父思ひ出持参する生涯望む」という境地を持してゆるがれなかったことです。「思ひ出天父奉献」の欣求の満たされることを覚った奥様には「笑み増し」「華やぎ」が現われ、「天がけりゆく天国の幸」を感じた先生は「この人は時措かず御国入り」と驚嘆なさいます。そして二〇一〇年の事故以来のご経験で「三月十一日の絶命も御業なり」と了解されます。
 奥様は先生にとって共に信仰生活を送られたパートナーのようにお見受け致します。「妻信子のぞ信仰を我が信仰となすや喜び」とも詠んでおられます。特に生涯最後の三年余のハイライトの時期のご体験「延原信子棺中の笑み増し」は、「わが生涯の使命は、哲学的神学」という学問上のお志として積み上げられたご業績に決定的寄与を付け加えられる予感が感じられます。(『復活の省察[上巻]』はしがき)門外漢がとやかく申し上げることではありませんので、ただ先生の学問上の思索に奥様の人生が投影しているように心にとめた何首かをメモ致します。
 天父にぞ棺が焼くるも思ひ出を持参奉献これ大思想
 我が思索妻復活をめぐりてや一日一歩進みおるなり
 ことにぞや共空間のありてこそ地の基底より妻飛翔せり
 我妻の絶後笑み増しありてこそ復活神学我書き得しも
 死せずして死者の復活いかでかや我書き得るや所詮無理なり
 されどもや我が最愛のノーちゃんが絶後岸辺の主と共に笑む
 恐らくは妻の復活物語世に激震をもたらさんやも
 思ひ出をつくりて天父奉献を大前提となすや新鮮
 何にせよこれ復活の生成論人死せし後命生成
 手のうごき箴言七条いずれもよ学理探究促せしかや
 「風の便り」の方は触れておりませんが、「新春信子入来の歌」ということで、旧年の「悲惨」を超えてみごと立ち直った皆様の勢いに感嘆し、勢いを頂きました。何よりの年賀状をありがとうございました。
 新たなモメンタムを得て「復活の省察」のご完成をお祈り申し上げます。 敬具
 二〇一五年一月二十八日    浅野幸穂
 延原時行先生侍史」)

   我妻の笑み増し誠復活の主と共往ける友証し給ふ

   世にはぞや理解と言ふの有難き心あるこそ命歓び

   かくまでに深き理解の君見るや我我妻の復活感ず

             我昔と此度の歌六

   我昔類焼で家失ひぬ詩ヨブ書きたり何ぞ我をと
(備考:拙著『対話論神学の地平ーー私の巡礼のなかから』横浜・春風社、2006年所収:第一章「ヨブに関する若干の詩的断片」1960〜1961執筆、参照)

   その時ぞ我撃ちし方尋ぬるや人の心の不思議とぞ知る

   我が怒り燃えたるもやも我が欣求我知らぬほど深しや深し

   此度はぞ妻右眼ほの開く見ゆ無限優しき天父我知る

   思ひ出を無限に包む天父妻笑み仰ぐ道主と共に往く
   (備考:思ひ出、今生死一切なり)

   それにせよ絶後笑み増し往く妻のありてこそ我御父仰ぐや
(備考:妻信子の思ひ出天父奉献ほどの素晴らしき人生神学やなし)
 

            寒中いざいざの歌八首

   寒中やまだまだ冷える霙降る鱈鍋仕込み気合いれたり

   何せ我(われ)妻晩年にシェフと呼ぶ手料理のいざ腕や見せんや(備考:料理研究家とも我を呼びし。勿論先生は妻なりし。かかる事ども人方知らず)

   著作をば中心に据え八九十生活企画見込み脈々

   まだまだに若きや我ぞ七十代歌つくりてや本励みおり

   ここ四年良寛論をふたつ出し復活本をふたつ揃へり

   ノーちゃんが絶後笑み増し往きてぞや新時代いま拓きおるなり

   かくあれば復活省察遂行中ここら辺でぞ時代本入る   (備考:只今中下巻編集中なり。いと楽し)

   正月や『「変貌論」の時代』本脱稿せしやいざいざ行かむ

            皆やる・入来の歌十首

   我妻よ汝我頼り皆やると謝せし言の葉如何に尊き(備考:「父さん、ノーちゃん今最高に幸せや」「何でや」「皆やって呉れるから」「そうか」。これ絶命直前、2014年3月11日朝の会話なり。昼餉最中に往きぬ)

   汝偉し思ひ出奉献天父にぞ棺が焼けても成す喜びし

   思ひ出の天父奉献なせしなら慈しみ父思ひ出されむ(備考:詩篇25編7節、熟読参照:「主よ、あなたの恵みのゆえに、あなたの慈しみにしたがって、わたしを思い出してください」)

   皆やると汝言ひし時げに無論野辺の送りも含まれおりし

   我はしも野辺の送りに加へてや本作りにぞ力いるるや

   本作る父さんやって汝言ひしあの日の言葉復活現成(備考:『復活の省察[前巻」――妻と歌う:生くるとは深き淵より共々に甦ること喜びてこそ』なり)

   我妻や人は生涯生きてはぞなべて奉献なすを示せり
(備考:「奉献」天父へなり。「示せり」入来にてなり。これ信子復活の二面なり:飛翔ありて入来あり)

   静々と御神はたらき我妻の笑み増し入来なさしめ給ふ

   復活や省察三巻人方に入来せるや妻笑み増すや

   友方が読みて勢ひ感ぜしと述べ給ふこそ信子入来(備考:笑み増し人方に入来す。これ「復活の省察」三巻本の使命なり。なあ、ノーちゃん。そう、父さん、ああ嬉し)

        ♯               ♯

上の「2月1日」の歌はたくさん溢れ出ていますが、いつものようにここに、延原さんの「今日の歌」の中から三首を加えさせていただきます。

          〇(3月18日)我妻やの歌三首

   我妻や絶後笑み増し往きし汝実存滅し栄光称ふ

   これ正にサルトル哲学逆を往く栄光こそや実存の先

   誠にや栄光在主念じつつ妻笑みつつや御国往けるや


暦の上では「彼岸の入り」、今日も暖かな日和です。

上の写真は、今朝玄関の扉をあけて眺めた、真っ赤な朝日です。天候は下り坂のようです。私たちの住宅に隣接して西市民病院があります。

神戸では桃の花も咲いたようですが、昨日のあの暖かさで、一気にアンズの花が満開になりました!

昼寝の野良ネコちゃんも・・・