延原時行歌集「命輝く」(第2083回)(ぶらり散歩ーークローバ<詰め草>)

                 

       延原時行歌集「命輝く」(第2083回)

「復活の家出発進行――感謝無限の旅一歩一歩」(205−11) 復活省察物語の歌、恩師説佳しの歌、変貌時代の歌、友との歌、どうもねえの歌、賛と寒の歌、誠の歌、PK戦の歌、校正の歌、壁や超ゆるの歌、明々白々の歌、この夏やの歌、止まらぬぞやの歌、イエスと原事実の歌、称名の歌、命脈々の歌、称名一途の歌、妹背歓びの歌、天父優しきの歌、歌とはぞの歌、雪の歌、短歌神学の歌、誠にやの歌(2015年1月21〜31日)。

    1月31日
            短歌神学の歌十二首

   我が如き神学やこれ常のぞや神学ならぬ歌なるやそも

   人にぞや論じて己が証し立つ否詠ひ主に心献ぐや

   己が事証しを立つるそも所詮今生超へず論争ぞ常

   歌なるは己が事をぞ元にして御旨の在り処尋ぬるの道

   その途次やくさぐさの論仄見へつ備考に記すこれぞ歓び

   神学を今生の学なすことは滅して不滅語る難しや

   歌にての神学ぶ道楽しきや滅する我や不滅一途に

   この幸や岸辺の主にぞ賜りぬ深き低みの底ぞ飛翔す

   人はそも今生にてや深き底達せしやとの虚仮ぞ脱せよ   (備考:虚仮とは、今生の底で満足なすの欣求なき生なり)

   底の底在りてや待つる幸ありて我ら欣求に生くる嬉しも   (備考:今生の底より下る底の底ある故にこそ、欣求あるなり)

   欣求とは主イエス称へし主の祈り称ふや嬉し華やぎの道
(備考:ヨハネ福音書17章5節、熟読参照。華やぎの道復活なり。この欣求、①原初の栄覚る「史的イエス」の極北なると同時に、②原初の栄華やがしめよと天父に欣求する限り「底の底」に通底し、「父子ひらけ」へとキリスト論的に飛翔するなり。「底の底」への通底を我かつて《アナロギア・アクチオニス》(行為の類比)と呼び「”下から”のキリスト論」を提唱せり:See Tokiyuki Nobuhara, “Analogia Actionis: A New Proposal for Christology ‘From Below’, “ Union Seminary Quarterly Review, 39/4, 1984, 269-285.)

   この道や十字架上のエリエリや辞世と示し往きぬイエス

              誠にやの歌四首

   誠にや尊き主のぞ御名にこそ溢るや天父甦り道(備考:主の祈り第一祷「天にまします我らの父よ、願はくは、御名を崇めさせ給へ」とは、主(キュリオス)との御名を謙り(ケノーシス)の御子の十字架の絶叫に至るまでの従順への祝福なる甦りにて命名されしことを称ふ祈りなりと知るなり。誠にや)

   この道を岸辺の主とぞ笑み往きし我妻の幸喩ふべきなし
   (備考:甦り道在りて我妻絶後笑み増し往けり。誠にや)

   称名や主の甦り称ふなり我妻絶後笑み往きし如(備考:称名他の事に非ず、史的イエスが十字架に至るまで遜り給ひ、彼処にてエリ、エリ、ラマ、サバクタニと絶叫し給ひて「我らの、何ぞ我を?と叫ぶ、その《我》と共なるキリストを行じ給へる時、父の応へあり、甦りありたるを称ふなり。誠にや)

   エスースクリストスああイマヌエル「エリエリ」絶叫父子ひらけ受く(備考:史的イエス十字架上の「何ぞ我を?」においてキリストなるを示し給ふに、父子ひらけこれを受け、復活にて応ふ。これイマヌエル、神我らと共に在すなり。誠にや)

         ♯             ♯

上の「1月31日」の歌に添える延原さんの今朝の歌には、延原さんの新著『滝沢克己のアンセルムス的省察』にはじめて収まる五通の「滝沢書簡」のことが詠われています。

長年にわたって途切れることなく交わされてきた哲学・神学の自由で真剣な相互対話ーー「滝沢・延原往復書簡」は、もともと公開されることを意図しないものでしたが、ありがたいことに、その書簡がすべて延原先生の手元に遺されているとのこと、まことに喜ばしいニュースです。

延原さんのご書簡は、当方宛てのものも膨大なもので、これもゆっくりとテキストにしておかねばなりません。

         〇(3月17日)思へばやの歌十二首

   思へばや恩師書簡のゼミ通じ哲学の道教はりし我

   一介の開拓伝道挺身者かくて哲学目覚め往きたり

   此度はぞ我や学びし集大成滝沢哲学省察脱稿   (備考:『滝沢哲学のアンセルムス的省察』と題す)

   書中にや三十一年振りにぞや五通御書簡収めし嬉し

   渡米してクレアモントに学びても師の文やあり九十五通

   滝沢とプロセス学を併せては我が思索はぞ道拓きけり
(備考:その一つ:"Analogia Actionis: A New Proposal for Christology ‘From Below’,” Union Seminary Quarterly Review, 39/4, 1984, 269-284.印刷前に恩師ご高覧あり。されど、刊行時には恩師おはさず、無念なりき。この論文一本にてWho's Who in Biblical Studies and Archaeology in Americaにノミネートされ、全米に知らるに至りたるに)

   満ち足れる心豊かに今日の日は微睡む如く過ごしたる我

   笑む妻や天父御許にあるなればこの微睡ぞ心地佳き哉

   つらつらと恩師書簡と我が便り編む日や如何思ひつつあり

   さうなると我が執務室整備してやがて友らと研究会か

   復活の家建てしはぞ佳かりきと妻と語りしあれは何時

   一寸はや小奇麗にぞやしてからの話しぞこれは鬼や笑ふも 

上の写真は、昨日の夕暮れの景色です。今朝は、一気に春の到来! 

今日は午後にで、チャリンコに乗って、新開地のいきつけのお安い散髪屋さんで、こぎれいにしてもらってきます。



昨日は、近くのぶらり散歩で、どこにでも生えているクローバに目が留まりました。

この草は、笠木透さんの詩で、田口正和さんの曲「詰め草」という名曲で「吾夢土下座」(COM TOGETHER)がCDに収録されているように、「100年ほど前に ヨーロッパから 箱に詰められて おまえはやてきた オランダ国王から 徳川将軍家へ 贈られたガラス器の 詰め物として この土ni緑haもえて シロツメクサ この国を緑にそめて アカツメクサ ぼくらはどこで間違ったのだろう ぼくらはどこへ行くのだろう」・・・・この歌が産まれたのは、もう40年ほどまえですから、むかしのお話ですね。



クローバの近くに「ボロギク」が咲いていました。名前がちょっとヘンですね。


昨日はまたまた、お隣さんから美味しいものを戴kiました! 手作りのご自慢「イカナゴ」の今年の味です!!