延原時行歌集「命輝く」(第2080回)(住宅の庭にミモザの花が咲きました)
延原時行歌集「命輝く」(第2080回)
「復活の家出発進行――感謝無限の旅一歩一歩」(205−8) 復活省察物語の歌、恩師説佳しの歌、変貌時代の歌、友との歌、どうもねえの歌、賛と寒の歌、誠の歌、PK戦の歌、校正の歌、壁や超ゆるの歌、明々白々の歌、この夏やの歌、止まらぬぞやの歌、イエスと原事実の歌、称名の歌、命脈々の歌、称名一途の歌、妹背歓びの歌、天父優しきの歌、歌とはぞの歌、雪の歌、短歌神学の歌、誠にやの歌(2015年1月21〜31日)。
1月28日
命脈々の歌三首
我が歌や一日一歩磨き往き短歌神学ひそと深めん
ぼんくらに何が楽しと言ふなれば歌やるごとに一寸賢し
本贈りなしのつぶてと思ひきや返事あるぞや命脈々
称名一途の歌十六首
我妻や絶後笑み増し丸き口我見しやこそ称名一途
称名や父子ひらけへぞ一途往く甦り道岸辺の主とぞ
これやこそ恩師言ひ給う「向かふ」とは一味違ふ道往きぞそも
恩師はぞ太初のロゴス神人の原関係に向ふ述べしや
(備考:「それに対して、純粋な神人学は偶然的、一回的に与えられたナザレのイエスもしくは聖書という形態に助けられ導かれはするが、しかし束縛されはしない。むしろ、生ける道標としてのこの形態に導かれて、もっぱら道、真理、太初のロゴスに向かうのであり、バルトと共にいうならインマヌエルの原事実に、永遠に新たな、絶対的に不可分・不可同・不可逆的な神と人の原関係に報うのである。」『純粋神人学序説」272頁、参照)
我妻の口丸めつつ称ふはや太初包むや父子ひらけなり
(備考:かく詠ふ時我が心震へて胸に雪降るや切)
神人の先父子や在りそれでこそ御座に近づくへブル書ぞ告ぐ(備考:へブル書10章19−22節:「兄弟たちよ、こういうわけで、わたしたちはイエスの血によって、はばかることなく聖所にはいることができ、彼の肉体なる幕をとおり、わたしたちのために開いて下さった新しい生きた道をとおって、はいって行くことができるのであり、さらに、神の家を治める大祭司があるのだから、心はすすがれて良心のとがめを去り、からだは清い水で洗われ、まごころをもって信仰の確信に満たされつつ、みまえに近づこうではないか」)
何故に神人の先父子なるか先ぞ神人繋ぐ不可分
不可分や神人間の秘義にして神人超ゆる父子ひらけなり
恩師はぞ常に神人考ふも神人間の間や神神
純粋の神人学や遺憾にも神神学をつゆ知らぬなり (備考:神神学「父子ひらけ」の学理問ふ省察なり)
神神の間にひらけ往く飛翔復活これぞ誠麗し
復活や神人学に在り得ざる彼処にてはや神神タブー(備考:神神は深き低みの底の底なり。滝沢底の底に下り往くこと「さらに下ること出来もしないし、しようともしない」とタブー視せり。『純粋神人学序説』274頁)
かく思ひかく尋ぬれば明なり恩師何故清明教か
主の道の奧所知らぬは恐るべきふらつきをぞや招き寄せたり
宗教と言はば教会壁の外何処にも師原事実見る
然れども原事実のぞ先如何父子ひらけぞや待ち給ふなり
♯ ♯
今朝も、上の「1月28日」の歌に加えて、延原さんのメルマガ「風の便り」の「今日の歌」から、次の二首を収めます。ここで詠われている京都・法蔵館より出版されている著作は、延原さんの体表作の一冊ですね。
〇(3月14日)どうもぞやの歌二首
どうもぞやホワイトヘッド西田のぞ時代復活成るや如しぞ(備考:拙著『ホワイトヘッドと西田哲学の<あいだ>ーー仏教的キリスト教哲学の構想』京都・法蔵館、2001年、法蔵館にて2827件中51位なり;教義キリスト教にて1502件中46位なり)
我妻が父さんやって本作る言ひし時より本時代生る
ただいま、ぼちぼちと「延原時行説教集」の下準備を進めていて、「加茂兄弟団時代」「在欧米滞在時代」「敬和学園大学時代」そしてその後現在までの、膨大な数の説教をテキストにしています。すでに説教の多くは、既刊の著作の中に公刊され、ネット上でも「延原時行ブログ公開著作集」(既刊20巻)で公開されていますが、それらに加えて、これまで大切に保存してきたファイルを取り出しては、一つ一つテキストに・・・・。
20世紀の時代はまた手書きの原稿とワープロ時代ですが、21世紀になるとパソコンでの仕事が始まります。現在はパソコン上での作業が容易になって大助かりです。
今朝は雨模様ですが、昼ごろからは晴れてくる土曜日です。昨日は、私たちの住宅の庭に、ミモザの花が、一気に咲き始めているのに気づきました。昨日は「ふくらむアンズの蕾」をご覧いただきましたが、本日は黄色の花が美しい「ミモザの花」を収めます。