延原時行歌集「命輝く」(第2069回)(ぶらり散歩ー満開の紅梅の梅)

                  

       延原時行歌集「命輝く」(第2069回)
「復活の家出発進行――感謝無限の旅一歩一歩」(204−7)人や見給うの歌、眉一つの歌、事の次第の歌、我が歌の歌、木漏れ日の歌、笑いかけの歌、笑み語り・笑み増しの歌、妻の事の歌、ひらけへのひらけ甦りの歌、いのち変貌の歌、我が思ひ三面の歌八首、漸くにの歌、世界更新の歌、師友の御文有難しの歌、沁み語る不思議の歌、我妻やの歌、阪神淡路大震災復興二十年の歌、この朝もの歌、復活の妙の歌、短歌神学の歌、甦り実にの歌、この務めの歌、車中の歌、基教問題と称名の歌、我や知るの歌、思ひこへの歌。(2015年1月11〜20日

    1月17日
         阪神淡路大震災復興二十年の歌一首

   二十年崩れし都(くに)や癒されし時の恵みぞ有難きかな

            この朝もの歌五首

   この朝も復活歓喜胸にして我目覚めたり如何に嬉しき
   我妻の絶後笑み増し主と共に胸打つ雪や不思議御霊よ

   我が胸に深々と降るこの雪や妻甦り暖かに告ぐ 

   この雪や在りてこそなり我が宇宙神も妻もや一つなりけり

   我覚ゆ妻落ちしぞや悲惨なる彼の日この雪ただ深々と

             復活の妙の歌三首

   人方に文頂きしそもこれで信子復活対話語りや

   我にはぞ妻や人方通りてや語り来るや聴ゆ嬉しも

   妻として妻消えながら人方を通して語る復活の妙

             短歌神学の歌十二首

   神学書大半はぞや翻訳本「知の巨人」本求道ぞなし

   人々は知らぬ如くぞ知と言ひつ巨人と繋ぐこれ知に非ず

   ホ氏も言ふそも己が知の自惚れに確かさを置くこれ愚の展示(備考:"In philosophical discussion, the merest hint of dogmatic certainty as to finality of statement is an exhibition of folly.” [PR,=Process and Reality= xiv])

   知とはぞやパウロ言ひしも知らるるを知ることにして知識に非ず(備考:第一コリント書13章12節:「わたしたちは、今は、鏡に映して見るようにおぼろげに見ている。しかしその時には、顔と顔とを合わせて、見るであろう。わたしの知るところは、今な一部分にすぎない。しかしその時には、わたしが完全に知られているように、完全に知るであろう」。知識に非ず、御神に知らるる事を知るプロセスの事なり。これ即ち復活なり。「知らるる事」我他所では「父子ひらけ」と申す。ヨハネ福音書1章1節第二項「ロゴス神と共に在りき[pros ton theon]」のことなり。復活父子ひらけへのひらけなり。パウロ知られていることを知る、と言ふなり)

   道求む神学かたち短歌佳し先ずや感動元に始むや(備考:感動何かに打たるることなり。絶対受動性の感受、と言はんか。感受に、ホ氏の言う「改善されたる主観主義的原理」発動されてあり)

   次にはや何故に感動起こりしか問ひつ求めつ進み往くなり   (備考:我を打つもの感じつつなり)

   人如何に悲惨なるとも裏からぞ神共にます見れば微笑ぞ   (備考:復唱)

   御神や我より先に我が事を知り尽くせるや神学の秘儀(備考:神学とは先ずは神の成し給ふ学なり。主の祈り、主の教へし祈りなるよりも、主の祈り給ふ祈りなるごとし。これイエス・キリスト「の」信仰、主が信じ給ふ信仰にして、主を信ずる信仰の前に在ることと一般なり。ローマ書3章22節、熟読参照)

   如何に神我が事をぞや成し給ふ問ひつつぞこそ御文(聖書)学ぶや

   さらにぞやホ氏の哲学御文(聖書)とや引き比べてぞ思索す楽しも

   良寛が散ると生涯閉じたるや芭蕉しみ入る言ふも求道(備考:「裏を見せ表を見せて散る紅葉」の中の「散る」は、講演草稿「良寛最晩年の大変貌をめぐって」[しばた良寛講座講演、2014年12月20日、於新発田市生涯学習センター]において明らかにせる如く、「我が後を助け給えへ」との欣求がそれなる「裏を見せ」でも、「元の誓ひの姿」なる仏道修行がそれなる「表を見せて」でもなく、「我ながらうれしくもあるか弥陀佛のいます御国に行くと思へば」に詠はるる「阿弥陀如来への還浄」にして、我が「飛翔」の語で以って表す「復活」の如し。「閑さや岩にしみ入る蝉の声」の中の「しみ入る」は、16日の、沁み語る不思議の歌第二首にて明らかにせる如く、御国入りを表す如し。ここにおいて「求道」とは、御国入り、キリスト教的には、復活の事なり。単なる精神修行を言ふに非ず。因みに、芭蕉において蝉の声は、芭蕉自身の声なり。散る紅葉が、良寛の己なりしと一般なり。これを要するに、日本の最奥文化は、我確信するに、「復活文化」なり! そこを逸するや、日本の根底理解あるなし。岩にしみ入る蝉、散る紅葉、とは、御国入りする者、の意なり。我妻や絶後笑み増し不思議やも 深き低みの底ぞ飛翔す。「岩にしみ入る」「散る」「飛翔す」そこに相違なし)

   我が短歌神学の道此処をこそ窮む求むや嬉しくもあり
 
        ♯              ♯


今朝も新しい「朝の歌」が届いています。冒頭の一束を添えさせていただきます。


         〇(3月3日)変貌の歌十首

   我妻の絶後笑み増しほどのぞや変貌やなし笑みぞ輝く

   良寛の大変貌や散る紅葉別れ悲しき言ふ弟子撥無

   良寛も我妻もぞや変貌す今生死超ゆ御国往きてや

   変貌や論ずるやほど重要の事やあるなし今を活くるに

   変貌の入来せるや時代ぞや故に今生目覚むるや佳し

   先達や深き悲しみありてもや一書や嬉し御同慶とぞ

   我らが書貴重本とぞ成りにけり一筆づつや宛名書く佳し

   宛名書き妻が変貌伝ふるは今の我のぞ務めなるなり

   変貌や人方心伝はりて今生のみを脱するや佳し

   誠にや宇宙ひらけにひらけてや我ら生くるぞ変貌ぞかし



「3月3日」ひなまつりですね。我が家にも玄関に手作りのものなど、ちょこっと並んでいます。


昨日は、長い間活用してきた自動車の免許証を返還して「運転経歴証明書」を貰ってきました。新しい写真入りの免許証スタイルの身分証明書にもなるもので、これを持ち合わせていると多くの特典が用意されているようです。この頃はレンタカーの利用も少なくなり、自動車の運転を必要としなくなっていることが返還の理由でしたが、大正15年生まれの方が免許の更新に見えており、びっくりしました。


本日の写真は、「ぶらり散歩ーー満開の紅梅の梅」数枚です。