延原時行歌集「命輝く」(第2063回)(ぶらり須磨離宮公園)
延原時行歌集「命輝く」(第2063回)
「復活の家出発進行――感謝無限の旅一歩一歩」(204−1)
人や見給うの歌、眉一つの歌、事の次第の歌、我が歌の歌、木漏れ日の歌、笑いかけの歌、笑み語り・笑み増しの歌、妻の事の歌、ひらけへのひらけ甦りの歌、いのち変貌の歌、我が思ひ三面の歌八首、漸くにの歌、世界更新の歌、師友の御文有難しの歌、沁み語る不思議の歌、我妻やの歌、阪神淡路大震災復興二十年の歌、この朝もの歌、復活の妙の歌、短歌神学の歌、甦り実にの歌、この務めの歌、車中の歌、基教問題と称名の歌、我や知るの歌、思ひこへの歌。(2015年1月11〜20日)
1月11日
人や見給ふの歌七首
誰しもや今生の後死を思ひ意気や弱るや当然至極
我妻や絶後笑み増し意気強し『復活省察』のびる所以ぞ
今日からは本贈りをぞ増やしてや一筆一筆さらに努めん
復活の省察をぞや絶後笑み主と共に往く妻となす佳し (備考:なあ、ノーちゃん。そう、父さん)
如何に人長生きするもいや果てにただ死待つのみならば果敢無し (備考:超高齢化社会の問題やこれなり)
我らが書宇宙人生果敢無しと見るは復活見ぬゆえと言ふ
我らが主今生超ゆる岸辺の主人見ずやとも人や見給ふ
眉一つの歌五首
復活の喜びやあり人如何に眉一つもや動かさぬとも
眉一つ動かさぬ性(さが)人のものされど天地ぞ妻笑み示す
人もしも今生死のみ宇宙成す思ひ生くるや眉も動かじ
されどもやそも宇宙にぞ第三層復活在りてなべて包むや
眉一つ動かさぬ方心にぞ暖かき雪いずれや降らむ
事の次第の歌十首
延々と基教神学論述し事の次第や単なる望み(備考:第一コリント書15章19節、熟読参照。これ所謂「役に立つ」神学の物語なり)
復活の「ふ」の字も言はずそも何の伝道を為す人間教や
我妻や絶後笑み増し岸辺の主「友」なりと聴く如何に嬉しき(備考:ヨハネ福音書15章15節、熟読参照。「友」という最高の含意岸辺の主と共なる復活にあり。これ我が昨日最新の発見なり。この発見『復活の省察』中巻の眼目なり。嬉しも。これなくば、「原事実」何時までも永久に「原」事実にして、主のヨハネ17・5に祈り給ひし、華やぎへと変転せざる如し。主の祈り、私見によれば、宇宙における「原」実在の華やぎへの変転の原理なり、梃なり、発条なり。かかるものとして、基督、祈りの主、宇宙の動力なり。この動力の求めに天父聴聞成す御方なり。「この言は初めに神と共にあった。すべてのものは、これによってできた。できたもののうち、一つとしてこれに依らないものはなかった。」ヨハネ福音書1章2−3節、熟読参照。何時までも「原」なるもの神も人も救わず。「原」は、祈りあり、(天父聴き給ひて)、転化なすことにより華やぐなり。かくて宇宙の回転あり、現成あり、義認=Justification of the Universe=[AI, 295]あり。ホ氏言へり:”This Appearance, thus enjoyed, is the final Beauty with which the Universe achieves its justification.”)
「友」と言ふ最深の意味「復活」ぞさもなくばそもイマヌエルなし
イマヌエル華やぎ求む主の祈りありてこそなり甦り主ぞ(備考:ヨハネ福音書17章5節、熟読参照:「父よ、世が造られる前に、わたしがみそばで持っていた栄光で、今御前にわたしを輝かせて下さい。」)
宇宙はぞ主の祈りあり華やぎへ頌栄進化成すの実在
イマヌエル何時までや汝原事実なすやとぞこそ主は訊き給ふ (備考:これ主の滝澤純粋神人学への問なり)
原事実原事実非ず故にこそ原事実実に原事実なり(備考:初めの原事実は原事実の「原初の概念性」「原初の栄光」なり。次の原事実は「華やぎの発出源」の意義なり。一度「概念性」を否定してこそ、リアリティに至る。これ大拙師「神は神に非ず、故に神は神なり、と言ひ、示したり。『禅による生活』春秋社、昭和35年、8頁。)
原事実華やぎてこそ主の祈り我妻の笑み満たしおるなり
これ誠不動の動者冒険が顕われの一へと変容如し
(備考:ホ氏言ヘリ:"In this Supreme Adventure, the Reality which the Adventure transmutes into its Unity of Appearance, requires the real occasions of the advancing world each claiming its due share of attension.” [AI, 295]
我が歌の歌四首
今日の日の我が歌今日の我が務め果たしおるかないと嬉しくも
我らがや省察げにも妹背共友なる主共なせるわざ哉
これやこそ誠復活詠ひたる復活友と出だしたる歌
日ノ本の津々浦々に御復活伝へや行かむ我らが書以て
木漏れ日の歌四首
復活の御光やこそ人方の愛通じてや木漏れ来にけり
実に誠有難しやも有難し実に木漏れ日や有難きかな
木漏れ日や木々の香りの馥郁と温かみもや伝はりて来ぬ
木漏れ日の温かさふと感じては我が歓びや笹団子せん
♯ ♯
延原さんのこの類を見ない「短歌神学」は、毎日日記のように途切れることがありません。ご自身のメルマガ「風の便り」で、毎月1日〜10日、11にt〜20日、そして21日から月末までをひとくくりにして掲載されています。
このブログでは、それをひとくくりごとに、これまでほとんど日付を気にしないで、収めてまいりましたが、本日からは、一日一日をまとめてお届けしてみます。
本日の「1月11日」の歌は御覧の通り全体、二十二首にも及びますが、当分この方法で、長短はありますが、すすめてみます。
ひと月以上も遅れてのUPですので、このところトレトレの歌なども少しだけ添えたりしています。
延原さんからは、今朝もいま刊行準備中の新著『「変貌論」の時代――良寛・ドストエフスキー・ホワイトヘッド・信子』のはしがきに加えられたーー〇(25日)変貌論の時代の歌七首ーーが届いていますので、ここに収めさせていただきます。
何人も復活をただ論ず不可その間にも汝いのち脈々
死するをぞただ没すると言ひおるや世の人何故に変貌言はぬ
良寛が散る紅葉とぞ詠ひしや今生還浄大変貌ぞ
我妻が絶後笑み増し往くやこれ大変貌を遂ぐる最中ぞ
御国往くそも如何にこれ変貌の命なるかや人や知るべし
この時代変貌のぞや尊さをつぶさに知りて称ふべきぞや
畢竟ぞ今生永久に続かずや命変貌遂ぐるこそ幸
昨夜は、あるお祝い事があって、老舗のお店に出かけました。長く神戸で過ごしながら、「香港鍋」というものをはじめて御馳走になりました。
本日の写真も「ぶらり須磨離宮公園」の続きです。美しい庭の数枚です。