延原時行歌集「命輝く」(第2062回)(ぶらり須磨離宮公園)

                  

       延原時行歌集「命輝く」(第2062回)
「復活の家出発進行――感謝無限の旅一歩一歩」(203−11)新春信子入来の歌、復活宇宙の歌、復活宇宙の歌、中枢感覚問題の歌、証しの歌、誤訳教落つの歌、ジュンク堂楽しの歌、信子甦りの歌、暖雪の歌、今生増すの歌、悲しとやの歌、夢のうちの歌、歓びの歌、深み高みの歌、いのち道の歌、初春やの歌、未だ見ぬの歌、復活二道の歌、基教貧しやの歌、ゆったりとの歌――歓微笑雪をめぐって、悠然との歌、そもの歌、ふとの歌、恐らくやの歌、笑み里の歌、一切逆転の歌、御旨随(まにま)にの歌、神やこその歌、「友とす」の歌、我らが書の歌。(2015年1月1〜10日)

    1月9日
               一切逆転の歌四首

   我妻や絶後笑み増し往きてこそ一切逆転還相菩薩(備考:武田龍精龍谷大学名誉教授正月二日の御書簡にてご指摘在り、感謝無尽なり:「お寂しいお正月ながら、奥様の御復活に依り誠に輝かしい新年をお迎えられた事と拝察いたします。/ ご丁重なる御芳書並びに感動深い御高著『復活の省察』を賜わり拝受致し誠に恐縮の極みに存じます。御芳情を深く深く感謝申し上げます。御夫妻の愛の結晶が父なる神の愛へと見事に結実された聖なる物語は他には存知しておりません。/ 以前にも申し上げましたが、奥様は実に観音菩薩の化身であられました。此の度はお浄土に還浄されると同時に阿弥陀如来の化佛として還相菩薩として此の三千大千世界で現に善巧摂化なさっておられます」)

   我らが書妻絶後笑みありてこそ今生の書ぞ遥か超ゆるも

   本作る父さんやって言ひし妻笑みて飛翔しさらに飛来す
   その書をば贈らんとてや友方に一筆とぞや一筆の今日

             御旨随(まにま)にの歌五首

   我妻と御旨随(まにま)に歩み来て天上と地に御旨生くるや

   誠これ不思議なる道往く我らノーちゃんと呼び父さんと応ふ
   一本にふたりの命懸けてぞや三巻本の途次や随(まにま)に

   友言はるお寂しきやも御復活享けて歓喜の妹背新年(備考:何といふお優しき御言葉でしょう、ノーちゃんや。ウエーン。どうしたんや。嬉し過ぎやから泣いてんねん。そうか。そやなあ)

   我妻や絶後笑み増し嬉しさの溢れ出でしよ岸辺に主ます
(備考:これ程の歓喜宇宙にあるなし。なあ、ノーちゃん。そう、父さん。そやから、ノーちゃん、笑み増し溢れて来てしもてん。そうか。そやねん、嬉し過ぎやから。もう、嬉し過ぎ宇宙やなあ。おほほ)

    1月10日
               神やこその歌二首

   誤訳教高括りたり神やこそ何をも為さぬ御方ならむと
   果たしてやこれ正解や否やこそ御神静々決め給ふなり

              「友とす」の歌十七首

    (われ昔と今)

   我昔無者修行せり教会や辞して日雇い励みにけりや

   労働者友や来りて我が講壇終へし後にぞ問ひかけおりし

   基督教労働者にや何なるや或る日つと我答えたるかな

   君に言ふ教会辞して労働者我やならむと決したるなり

   以来我友達づくりなるものを始めにけりや日雇いなしつ

   思ひたり伝道やこれ傾斜なり呻く友在り心聴くわざ

   遺棄性が露なる場所選びてや呻く声聴く務め楽しも
   半世紀過ごし来にけり今やこそ絶後笑み増し往く妻やあり
   呻く声実にや爽やか笑む妻の飛翔の声ぞ復活讃歌

   主の声す我もはや汝僕とは呼ばず友とす永久までも
(備考:ヨハネ福音書15章15節、熟読参照:「わたしはもう、あなたがたを僕とは呼ばない。僕は主人のしていることを知らないからである。わたしはあなたがたを友と呼んだ。わたしの父から聞いたことを皆、あなたがたに知らせたからである」。この御言葉や甦りにまで至ると今や知る。嬉しや)

 
    (復活讃歌)

   父さんが棺の蓋あけ我が面を覗き見し時嬉しかりしや

   御国往く晴れ姿笑み我が背にぞ見せて飛翔ぞ嬉しかりしや

   岸辺の主我を友とし甦り天父御許へ昇り往くかな

   なかなかに悦ばしきや天翔るこの日の幸や神祝し給ふ
   今生と死だけでや成る宇宙はぞ如何にしてもや平板ぞかし

   復活が在りてこそなり宇宙にぞ飛翔と飛来在りて立体

   天父へと岸辺の主共飛翔して地にや飛来し一書努むや

               我らが書の歌四首

   ノーちゃんやジュンク堂にて我らが書一隅照らす趣や佳し
(備考:今日一覧せり。一階郷土コーナー、地下一階キリスト教コーナー、それぞれ十冊積み有難し)

   病苦中箴言修行励みしも還相菩薩本売れんとは
(備考:正月二日の武田龍精師の御書簡に我妻信子「阿弥陀如来化佛、還相菩薩」とぞ書き給ふ。驚きぬ。勿体なし)

   何事のおはしますかは知らねども本に霊気ぞ漲れる今
   我らが書正月早々ジャンプアプ復活省察今や時かな(備考:教義キリスト教神学:950件中、今朝36位→夕方9位;教義神学:1,005件中、今朝27位→夕方12位;教義キリスト教:1,496件中、今朝53位→夕方33位;キリスト教神学:3,229件中、今朝136位→夕方87位;神学:3,671件中、今朝706位→夕方526位)

        ♯              ♯


昨日は、延原先生より、重要な文書が届きました。それは「友達づくりの神学ーー復活への助走」と題するもので、次の著作『復活の省察』に収められますが、ここではその文書の冒頭に入る「宣言」のみ収めさせていただきます。トレトレのこの「宣言」は、嬉しい「朝の言葉」です。

                      宣言

主イエスが「わたしはもう、あなたがたを僕とは呼ばない。僕は主人のしていることを知らないからである。わたしはあなたがたを友と呼んだ。わたしの父から聞いたことを皆、あなたがたに知らせたからである。」(ヨハネ福音書15章15節)と申された時、友達づくりは神学となった。すなわち、神がイエスにおいて我々を「友として」知り給うことが「神の学」(神の成し給う認識)としての神学であり、我らは「イエスの友として」生きることにより、この神学を学び、生きるのである。その核心は、イエスの友として生きることによって、イエスと共に天父の許に進み往くことにあるのである。直進が復活である。そして、友達づくり(旧来の神学概念で言えば、教会形成ないし伝道、一般的には社会形成ないし共同体形成)が助走である。今や、「復活の省察」は、広範な社会形成・教会形成を含んで「友達づくりの神学」という形を採る。「世界への愛」を全うするためである。
神学とは神認識と一般には理解している。しかし、我々は、イエスが神を認識し、神がイエスを認識することに基づいて、神がイエスにおいて我々を友と認識されることに、神学の出発点を持つ。これは神学の逆転である。友達づくりの神学は、逆転の神学である。
私の初期草稿「友達づくり」(『雄鹿』第七号、1965年11月24日刊)は、この度新たに、『復活の省察[前巻]』(新潟・考古堂、2014年10月刊)の見地から逆照射され、「友達づくりの神学」の宣言となる。




上の記事ーー岩田健三郎さんの作品ーーは、今朝の神戸新聞です。月に一回の「姫路城・城下町遊歩」第2回です。楽しみしている連載です。


本日の写真は「ぶらり須磨離宮公園」の続きです。

いまも咲きつづける「ジュウガツサクラ」

立派な「松」

「月見台」より望む「須磨の海」



付録

賀川豊彦」関連のもので、昨日(2月23日)の「読売新聞」のネット配信された記事より掲載させていただきます。


       悩める女性へ…人生案内100年

       恋する人生案内〜昭和戦前編〜
       (1)娘の意中の人が自分の恋人と知った驚き

 質問
 数年前に夫と死別した37歳。子の成長を楽しみに暮らして参りました。3年前、夫の遠縁の青年Aが帝大へ入り、家へも時々訪ねてきます。美貌で真面目なAを頼もしく思っておりますうち、Aが私の脳裏に焼き付いたのでございます。
 初夏にAがとうとう私のものとなりました。Aは童貞で、誘惑したといわれても弁解できない私でございます。初の恋心を覚えた私は、Aなしで生きられぬ気持ちになり、Aも愛情を示してくれます。
 昨年9月に何気なく娘の日記を見た私の驚き! 18の娘もAを慕っていたのです。
 この3月、Aは就職し、郷里に緑識があるとのこと。私の恋はあきらめますが、娘の恋を成就させてやりたく、一生涯Aの母親として愛してゆきたいと思う反面、過去の関係が暗い影を作りはすまいかと恐れます。私の執着と、愛する娘の恋と、Aの幸福とを考え、悩む哀れな母親に忠言をお考え下さいまし。(質問者 京都の女)【1932年(昭和7年)4月28日掲載】

 回答
 母親であるあなたが、ただ一人の恋人としている青年が計らず我が娘の意中の人であったことは、定めて驚かれたことと思います。あなたはこの恋人を娘に譲って、娘の夫とし、母として彼を愛して行くと言っていられますが、これは同意できません。
 これが単に、心ひそかに恋心を抱いていた程度のものならば考慮の余地もありますが、すでに今日にまで進んでいる関係では到底不可能なことと思います。
 今更青年の幸福うんぬんと言われますが、あなたのこの恋愛に、彼もこれも、地位も名誉も全てを犠牲にしてのことであったはずです。あなた方はその恋愛に生きていくのが至当です。
 恋愛を遊技にしてはなりません。もてあそんではならないものであります。余りに卑怯(ひきょう)な態度を執って、恋愛を汚すようなことがないことを望んでやみません。(回答者 賀川豊彦

 昭和戦前のお悩み
 恋愛とは人生にとって何か。大正期に恋愛論がブームとなりましたが、やがて恋愛を巡る状況は混沌化します。「『エ口・グ口』の時代思想は、両性を破倫の一路へと押し流してゆきます」。1931年、身の上相談の後継欄「悩める女性ヘ」はこう指摘して始まりました。
 「純潔を失った」「夫に隠し女」――。男女の関係で、女性だけが厳しい規範を求められる苦しみは続きます。一方、「既婚男性を独占したい」「夫を捨て道ならぬ恋へ」という規範を超える相談も寄せられるようになります。
 主な回答者は、河崎ナツと賀川豊彦。河崎は、長く女性運動に携わりました。社会運動家の賀川は、戦後ノーベル文学賞、平和賞候補となります。「悩める女性へ」は、日中戦争が始まる1937年に中断します。