延原時行歌集「命輝く」(第2057回)(須磨離宮公園のシクラメン)

                  

        延原時行歌集「命輝く」(第2057回)

「復活の家出発進行――感謝無限の旅一歩一歩」(203−6)
新春信子入来の歌、復活宇宙の歌、復活宇宙の歌、中枢感覚問題の歌、証しの歌、誤訳教落つの歌、ジュンク堂楽しの歌、信子甦りの歌、暖雪の歌、今生増すの歌、悲しとやの歌、夢のうちの歌、歓びの歌、深み高みの歌、いのち道の歌、初春やの歌、未だ見ぬの歌、復活二道の歌、基教貧しやの歌、ゆったりとの歌――歓微笑雪をめぐって、悠然との歌、そもの歌、ふとの歌、恐らくやの歌、笑み里の歌、一切逆転の歌、御旨随(まにま)にの歌、神やこその歌、「友とす」の歌、我らが書の歌。(2015年1月1〜10日)

    1月4日
               悲しとやの歌四首

   協会の会長先達逝去さる悲しともやもこれや飛翔ぞ(備考:滝沢克己協会会長三島淑臣九州大学名誉教授本年元旦逝去さる)

   悲報受け哀悼切々冬悲し
   悲しとや言ふも真実散る紅葉深き低みの底や飛翔す
(備考:我昨年12月20日、しばた良寛講座に於ける講演「良寛最晩年の大変貌をめぐって」で明らかになせし如く、良寛禅師「悲し」と嘆く弟子貞心尼に対し「散る」との歌を辞世となせり。散るとは、「我ながらうれしくもあるか弥陀仏のいます御国に行くと思へば」の一首に対応するなり。歓喜の言葉なりき。我が用語では「飛翔」なり)

   先達や「滝沢語る」監修すその学恩の如何に尊き(備考:三島淑臣監修『滝沢克己を語る』横浜・春風社、2010年なり。これにより滝沢哲学光彩今に放てり。我も一文「滝沢哲学の四景――『我らと共に在す神』の存在論的証明の試み』寄稿せり)

              夢のうちの歌二首

   夢のうちなべて繋げる甦り心打つ音聴きつ我在り
   心地よき平安満たす夢の内妹背共々和み往くこそ

              歓びの歌二首

   この朝も妹背一本成るやとぞ歓び尽きぬ心天来
(備考:ノーちゃん、それほど嬉しいんか。そやで、父さん、我ら一生の作や。そやなあ)

   歓びや今生を超え死も超ゆる妻笑み告ぐる御国の調べ   (備考:宇宙最上第三層の調べなり)

    1月5日
              深み高みの歌六

   我悟る受肉の深みありてこそ主高みまで甦り給ふ(備考:受肉の深みとは十字架上さらには陰府における祈りなり。その聴聞父による御子の引き挙げなり)

   深みはぞ原事実のぞ破る底父子ひらけこそひらく高みぞ
   深みぞや高みに至る復活の歓びの主の逆理地天よ   (備考:深みから高みへと甦る飛翔を「地天」と呼ぶなり)

   それ故に神は彼を高く挙げすべてまさる名賜りたるや
   (備考:ピりピ書2章9節、熟読参照)

   エスースクリストスああイマヌエル栄光天父帰する嬉しや(備考:クリストスとは謙りの道(ケノーシス)に隠されたる万人のための祈りの主、インマヌエルとは父子ひらけのことなり)

   我妻や仕合せやなあ言ひし折深み高みの主と共なりき   (備考:宇宙究極の幸せ言ひしなり。今にして我了解せり)

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今朝も延原さんのメルマガ「風の便り」で届いた歌の次の一束を添えさせていただきます。

           〇(2月19日)我や知るの歌二首

   忖度歌作り始めて我や知る妻の世界や脈々たるよ
   この思ひ古稀笑みフォトや見るごとに強まるや佳しええ顔しとる
(備考:なあ、ノーちゃん。悪いか、父さん。いやいや、結構です。悪いかは口癖)


昨日は、お昼に歯医者さんで綺麗に前歯を整えて頂き、夜は第三水曜日に集う「三水会」と名付けられた悪友のお食事会に・・・・。そして、近く「召天一周年」を迎える友の記念誌へ、短い寄稿文をメールでお送りしたり・・・。

今日は暦の上では「雨水」、神戸でも南京町で「春節祭」で賑わいます。

本日の写真は「須磨離宮公園のシクラメン」です。温室で育てれてた見事なものです。