延原時行歌集「命輝く」(第2048回)(須磨離宮公園の梅園)
延原時行歌集「命輝く」(第2048回)
「復活の家出発進行――感謝無限の旅一歩一歩」(202−8)甦り道の歌、広大宇宙知るの歌、この朝の歌、絵空事の歌、妹背対話の歌、二千日歌の歌、深みよりの歌、新しき飛翔の人の歌、人とはぞの歌、心にぞの歌、今ぞ生くの歌、復活嬉しの歌、何故にの歌、省察本の歌、一本の歌、新しき時代の歌、それ程にの歌、華やぎの時の歌、読む時の歌、熱誠の友の歌、師走日にの歌、未来生の歌、今朝の歌、今の時の歌。(2014年12月21〜30日)
12月28日
一本の歌十三首
一本が出来るまでにゃ如何に我人方通じアガぺ受けしか
(備考:アガペ「主の恩」なり)
その思ひ日々に強しや如何に我アガペのアガペ表さんかな
(備考:我が「感恩」なり)
我妻や命我がため差出しつなお笑み往けり如何に尊き
それ思ひ一本完成尽くしけり汝が華やぎの出でし嬉しや
病床でとてもやこの日汝や見ず死後生にてや命輝く
汝が苦闘日々に看つつも思ひけり箴言一書成る日あらむと
今やこそその日来れり故に我伊勢丹にてや祝杯挙げぬ
ノーちゃんよ我十冊も草稿を半世紀かけ黙々と書く
(備考:時行我とはかかる男なり。時をかけて行くが我なり)
かかる我汝が誉れがぞ奈辺にぞ在るやこそやと疾く思念せり
此度の書復活省察日ノ本の危急テーマぞ只では済まぬ
まともにぞ扱はねばや基教そも立ち行かぬこと自明なりけり
主はアガペ示されたるや甦りいかで我らや誤訳許さむ
かくてぞやこの一本ぞ始まれり一寸そっとじゃ収まらぬばい
新しき時代の歌七首
新しき時代来にけり一本ぞ進み行くさま妻在りと感ず(備考:これはノーちゃん、一枚噛んどるな。えへへ、父さん、ああ嬉し)
誠にや主の御復活輝くを妹背共々欣求したれば
ご近所の友や我にぞTEL給ひゆっくりお読みくださるとぞや
今朝もぞやソファで歌詠み転寝の最中に誰か寄るや嬉しげ (備考:ノーちゃん、あんたやな。ばれたか、うふふ)
新しきこの時代のぞ合言葉アガぺのアガペ主愛し奉らむ
我妻や絶後笑み増し往く如く岸辺立つ主と共往くや幸
久方の冬の陽光白銀の越後の里に燦と輝く
♯ ♯
若き日より延原さんは、日ごとに一歩一歩、「省察・表現」のひととして歩んでこれれました。かてて加えて、とりわけあの2010年11月末の奥様の大怪我以後は、新しく日々独自の「短歌神学」が産み出されてゆき、さらに新世界、新しい境涯がはじまっています。
今朝の延原さんのメルマガ「風の便り」には、本日(10日)付けの「ああ我やの歌八首」が詠われています。これはまた、大きな発見の歓びの歌です。いずれ追って公開されていきますが、ここでは、八首のうち冒頭の二首のみを収めさせていただきます。
ああ我や初めて悟り得たるかな妻の詠ひしThe good day復活(備考:箴言第一条なり:God blessed the good day of self-reflection and self-dedication.The good dayとは「復活」を詠ひしなりと今日気付きたり。何故いままでこれに気付かざりしや)
使徒パウロ復活の主に逢ひし日の輝きや妻春の陽に見ぬ(備考:かくして2011年3月9日新潟県立リウマチセンターリハビリ室にて五十嵐セラピストの求めに応じて一枚の紙に信子書きしや:God blessed the good day.これぞ予祝ぞ。幾たびこの説明我妻我に繰返へしたるや)
昨日は神戸も時々雪の舞う冷たい一日でした。デスクの仕事の合間に、一階のピロティ―で軽いジョギングでからだを暖め、11階まで上りを楽しんだりして過ごしました。
今日の写真は「須磨離宮公園の梅園」の続きです。ぼちぼち見ごろを迎えます。
ここには約25種の梅があるそうですが、次の梅は「ギョクボタン」(玉牡丹)です。
次は「オオサカズキ」(大盃)です。