延原時行歌集「命輝く」(第2031回)(春の気配・・・)

                 

        延原時行歌集「命輝く」(第2031回)
「復活の家出発進行――感謝無限の旅一歩一歩」(201−3)一書粛々の歌、朝の歌、「祈祷の省察」本生まるの歌、復活時代の歌、主の祈りの歌、実にも我の歌、ふと思ひの歌、妹背召命の歌、嬉しきやの歌、創意満々の歌、笑み伝ふ笑み伏すの歌、笑み増し誠の歌、甦り時の歌、御名の歌、御国の歌、我が心の歌、主の祈り省察の歌、春菊の歌、友ら言ふの歌、歌甦りの歌、妹背箴言問答の歌、主の祈り嚙みしむるの歌、旧著の歌、著作邁進の歌、予祝随にの歌、ノーちゃんなの歌。(2014年12月11〜20日

    12月12日
              復活時代の歌四首

   ノーちゃんよ汝が笑み増しの拓きしは岸辺主と往く復活時代

   人の死は死の死を極む逆転を笑み増し示す汝や麗し
   (第一コリント15章54−58節、熟読参照)

   本作る父さんやってやりました復活省察人世照らすも

   笑み増しは復活省察華やぎの道予祝せりいとたおやかに   (備考:予祝、伊原淳子師のお示し[11月17日]なり)

    12月13日
              主の祈りの歌十首

   太初のぞ御栄父に輝くを得させ給へと主祈り給ふ
(備考:ヨハネ福音書17章5節:「父よ、世が造られる前に、わたしがみそばで持っていた栄光で、今御前にわたしを輝かせて下さい」。これ我が主の十字架以前の祈りなり)

   この祈り十字架上に何ぞ我見捨て給ひし我が神よとぞ(備考:マルコ福音書15章34節:「そして、三時に、イエスは大声で、『エロイ、エロイ、ラマ、サバクタニ』と叫ばれた。それは『わが神、我が神、どうしてわたしをお見捨てになったのですか」という意味である」。この叫び、私見によらば、イエス詩篇22篇1節の復唱なれば、前々からの心づもりによる、言はば、日本で言ふ、辞世の歌ならむ。イエスご自身の「心づもり」はヨハネ福音書17章5節に明らかなり。これ、別途、所謂『主の祈り』として残されたるなり。然れども、私見によらば、ヨハネ福音書17章5節、マルコ福音書15章34節、而してマタイ福音書6章9節、同一の主旨なり。ここを逸するならば、主イエスの御心理解するを得ず、とは、我が深き確信なり。イエスの父への欣求の父による聴聞が復活なり。ここに、基督教の不思議あるなり)

   我らはや今知るべきぞこの祈り主の祈りのぞ原型なりと(備考:「天にましますわれらの父よ、願わくは、み名を崇めさせ給え」の祈り中、み名とは御子のこと、Verbumなり。シモーヌ・ヴェイユ、田邊保・杉山毅訳『神を待ち望む』勁草書房、参照)

   この祈り聴き給ひてや父御子に甦りをぞ賜ひたるなり
(備考:へブル書5章7節:「キリストは、その肉の生活の時には、激しい叫びと涙とをもって、ご自分を死から救う力のある方に、祈りと願いとをささげ、そして、その深い信仰のゆえに聞き入れられたのである」)

   かくてこそ太初御栄華やぎて未来の姿採れるや復活
(備考:原初から未来への移行「子と父との間の祈り聴聞」にあるなり)

   祈りとは太初未来に化することすべからずぞや願ふことなり
(備考:これ我の言ふ《Sein zum Fliegen》の時間の秘儀なり。而してこれ、「パン」「負ひ目の赦し」「悪よりの救ひ」に関してすべて妥当するなり)

   かく見れば太初は予示と言はるべし歴史は予祝げにもげにもや
(備考:聖ベルナルド新教修道院伊原淳子師11月17日付御葉書にある一節「ノーちゃんの笑み増しは、まさにこの『復活の省察』共著の完成を《予祝》していたんだなあ、と改めて示されました。」熟読参照。予祝は、歴史一般に妥当すべし)

   これ総て復活世界ありてこそSein zum Todeにては在り得ざる幸

   我妻の絶後笑み増し告ぐるもの実にや御国の調べなる如
   御心の天になるごと地にもぞや成し給へこそこの調べなり
   (備考:御国調べ常に先往く未来なり)

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今朝も、大きな新しい太陽が昇り、六甲の山と海と神戸のまちを温めています。

寒中まだまだ春は遠くにあるなか、昨日のぶらり散歩で出会った、馴染みとなっている二匹の野良の猫たちの動きに見惚れてしまいました。




そして、春の気配も・・・