延原時行歌集「命輝く」(第2030回)(恒例の「神戸市との懇談」)

                 

       延原時行歌集「命輝く」(第2030回)
「復活の家出発進行――感謝無限の旅一歩一歩」(201−2)一書粛々の歌、朝の歌、「祈祷の省察」本生まるの歌、復活時代の歌、主の祈りの歌、実にも我の歌、ふと思ひの歌、妹背召命の歌、嬉しきやの歌、創意満々の歌、笑み伝ふ笑み伏すの歌、笑み増し誠の歌、甦り時の歌、御名の歌、御国の歌、我が心の歌、主の祈り省察の歌、春菊の歌、友ら言ふの歌、歌甦りの歌、妹背箴言問答の歌、主の祈り嚙みしむるの歌、旧著の歌、著作邁進の歌、予祝随にの歌、ノーちゃんなの歌。(2014年12月11〜20日

    12月12日
            「祈祷の省察」本生まるの歌十五首

   朝まだき歌瞑想に沈むうち一書生まるや祈祷省察
   (備考:一昨日12月10日のことなり。結構は以下の如し:

       祈祷の省察ーーバルトから主の祈りまで
     目次:
     はしがき
     前奏曲 ラザロのための祈り
     第一部 バルト神学における祈祷理解
      序 
      第一章 発端
      第二章 祈祷のキリスト論
      第三章 キリスト論的祈祷論
      第四章 神認識における祈祷
      第五章 ルター神学における祈祷
      結語
     第二部 主の祈りの省察
      第一章 願う前から知る神
          ーー「隠れたるに見給う父」と主の祈りの精神
      第二章 み名を崇めさせ給え――主の祈りの不思議
     あとがき)

   祈祷をぞ省察するも祈祷がぞ自ずからにや省察すとも
(備考:この場合「祈祷の省察」中の「の」は、一方、目的格的属格[objective genitive]なるも、他方、主格的属格[subjective genitive]なるべし。このことの中に祈祷の不思議なるや伏在すべし)

   この意味の祈祷省察言ふことぞ主の祈り給ふことのほかなし

   思へばや祈祷の省察始めしは修士論文バルト研究

   その時ぞ我プロス・トン・セオンをぞ祈祷の核と信じたるなり
(備考:ヨハネ福音書1章1節第二項:「ロゴス神と共[pros ton theon]なりき」は『復活の省察』の基本概念なるも、実は我が修士論文以来のLegacyなるなり)

   後にぞや恩師滝沢哲学の許にて知りぬ原事実論
   原事実その内にぞや祈祷なる核あるべしと我信じたり

   然れども恩師哲学祈祷とは甚だ無縁半世紀過ぐ
   此度の書書くうちにぞや原事実底に祈祷と開眼せるも
(備考:『復活の省察』[上巻]中にて原事実破れたる底に御子の父への祈祷ありと我発見せり。これ我妻の言ふ「思ひ出天父奉献」をなさしめる動因なり。我「岸辺立つ主」と呼びたるなり)

   かくしてぞ修士論文心底に輝き始むいと面白し

   他方には主の祈りをば巡りては大発見を我二つほど

   御名とはや御子の事なりそれ崇む甦りのぞや肯定讃美
(備考:そのことマタイ6・9をヨハネ17・5、ピりピ2・9−12と関連せしむる時明らかなり。「甦りの肯定」とは父によるなり。「讃美」とは人によるなり)

   我父よ元の栄を華やがせ給へと祈るこれ主の祈り
   (備考:かくて我ヨハネ17・5を「主の祈り」の原典かつ原点とせり)

   確信や幾星霜の後にぞや燦と輝く時ぞ来にけり

   重い書を書くよりはそも確信をぴりと指摘の小著輝く

        ♯              ♯

いま注目の画期的な著書『復活の省察』は、ご夫妻の青春時代から温めづつけてこられた中核となる一書ですが、上に詠われている小著『祈祷の省察』も『復活の省察』と裏表の大著というべき作品です。

ともあれ、ご夫妻の『復活の省察』以後の諸著作は、期を画した不思議な新しさが産み出されていくごとくです。


明日は「三笠山若草山)の山焼き」があるようですが、一歩一歩、春の到来を告げています。

ところで、昨日は恒例の「神戸市との懇談」があって、でかけました。1960年代より年年歳歳「対市・対県・対政府交渉」を重ね「計画」を練り、実績を評価しながら基本的に問題解決を達成したあとも、このところ年に一度検討項目をしぼって意見交換を重ねてきています。意義深いひと時でした。

今回は神戸市役所の二号館のホールを集合場所にしていて、そこの写真を少し撮りました。新しく「神戸ふれあい工房」のギャラリーもできていました。神戸の作業所と神戸芸術工科大学の「えとふうせん」の作品などあります。

「懇談」を終えたあとに、一号館一階の喫茶店で一服して・・・・。