延原時行歌集「命輝く」(第2025回)(「1・17」あの日から20年)

                 

      延原時行歌集「命輝く」(第2025回)

「復活の家出発進行――感謝無限の旅一歩一歩」(200−3)
朝まだきの歌、情熱の歌、友ありて、今の歌、友情深甚の歌、笑み道の歌、良寛禅師大変貌の歌、笑み佑くの歌、命二齣の歌、雪深々の歌、ご近所様の歌、著作とはの歌、昨晩の歌、それにせよの歌、「この時代に復活主の御声」の歌、神意の歌。(2014年12月1〜10日)

    12月3日
              笑み道の歌八首

   人として見てや位を極むとも御神の道これにあらずも

   この世はぞ如何に生きてぞ残るかを尺度とするも御国笑み往く
   今一番仕合せ言ひて絶後笑み往きし我妻神祝します
   祝福や此度の書にぞ顕われし笑み語りかけ人方に入る

   人方や人方に笑み祝福や伝へ行くこそ復活の道
   エスはぞバプテスマのぞヨハネのぞ甦りなり言はる
(備考:死後生論の聖書的論拠なり。マルコ福音書6章14−16節熟読参照)

   友ありて礼状来たり汝の歌笑み増し映し復活ぞやと(備考:桃山学院大学名誉教授滝沢武人先生より12月2日付ご礼状あり:「ようやく寒さを肌に感じる季節となってまいりました。延原先生にはその後も日々お元気でお過ごしのことと存じあげます。/ さて、この度は貴重なるご著書『復活の省察』をご恵与くださいまして、まことにありがとうございました。奥様の「笑み増し」に反応するように、先生の「命輝く」ご様子は、まさに奇跡的で感動的な復活物語そのもののように感じられました。まさに鳥飼先生が記されておられるように、「私たちに明るく広い復活の世界を豊かに響かせるもの」でしょう。「箴言」と「短歌」をこれからゆっくりと鑑賞させていただきます。「短歌神学」はとても興味深い試みのように思われます。西行芭蕉のあの辞世の歌と句を想いおこします。/ 神様の祝福が延原先生と奥様の上に、これからも益々豊かにそそがれますようお祈りさせていただきます。またお会いできます日を楽しみにしております。「ありがとうございました!」滝沢武人(拝)」 ご返事12月2日付:「先年は稀に見る活発な研究会、桃山学院大学建学の精神研究会にお招きいただくばかりか、『桃山学院大学キリスト教論集』先生ご引退記念号に拙い一文を寄せることを許され、感激いたしました。また、この十月には貴大学で開催されました、日本ホワイトヘッド・プロセス学会全国大会にて不肖私が発題講演を仰せつかりました際、大変ご丁重ご懇切な名司会を先生に賜わり、感動いたしました。改めて心より厚く御礼申し上げます。/ またこの度は、拙い私どもの一書に関しまして過分のお言葉を賜わりまして、お礼の言葉もありません。感謝無尽にぞんじます。天上の妻がどれほど感激感謝いたしておりますことか。/ 短歌神学にご言及いただきまして嬉しうございます。神学は論述の学でありますが、その前に詩的な感動が胸の底になくてはなりません。ホワイトヘッドのいう「ロマンス」の段階です。家内の怪我があり、まさか私ごときが歌を綴るように成ろうとは、その時まで予想もしておりませんでした。危機に遭遇し何か精神上のアドレナリンを御神がお与えくださった様に感じております。それを自分では「暖かい雪」と呼んでおります。/ とにかく四年前から歌を詠み始めまして、初めて私は妻の看病に日常的に平静な気持ち、さらに申しますと、感動と感謝をもって、臨むことができるようになったのでございます。/ 歌でロマンスの段階に沈潜し、そこから見えてきた神学のテキストに今度は解釈学的に(緻密化の段階で)、さらに形而上学的に(普遍化の段階で)、省察の眼を凝らすことに新しい神学的・哲学的興奮と喜びを見出すようになりました。気が付いてみましたら、今度の一書を妻と成すことが出来ておりました。お目通し戴きまして誠に有難う存じます。 雪がぱらついてまいりました。御身ご自愛をお祈り申し上げます。 右、こころからのお礼までに 草々不一 IXIA! 延原時行」

   これは実に鋭き指摘いかにもや我が歌笑みに応へてや成る

    12月4日
            良寛禅師大変貌の歌四首

   我妻の絶後の笑みに誘われつ良寛変貌一文書けるも
(備考:しばた良寛講座=於新発田市生涯学習センター、2014年12月20日=のための講演草稿「良寛最晩年の大変貌を巡って」昨夜脱稿せり)

   禅師のぞ散るとの一語貞心尼返るに似たり沖つ波とす(備考:良寛・裏を見せ 表を見せて 散る紅葉 に弟子貞心尼寄す・来るに似て 返るに似たり 沖つ波。実に摂理的一瞬なり)

   かくてぞや元の誓ひの姿なる表見せたる紅葉散りたり(備考:我が後を 助け給へと 頼む身は 元の誓ひの 姿なりけり こそ、表詠ひたるなり。その表いま散りぬとぞ)

   散る間際弟子の悟りの成りてこそ禅師言ひしや明らかりけり
(備考:弟子の、来るに似て 返るに似たり 沖つ波 にぞ禅師贈れり:明らかりけり 君が言の葉。かくて良寛と貞心尼の師弟愛成就)


        ♯              ♯


20年前の「1・17」の夜は、隣りの小学校のグランドにあって、御蔵菅原地域の火災と激しい余震でわたしたちの住む高層住宅の倒壊の危険に怯えつつ、煌々と輝く満月のもと、ドラム缶に瓦礫を燃やして、一睡もせずに朝を迎えました。

翌朝18日は、おそるおそる11階の我が家にのぼり、壊れた玄関で見た、あの日の出も大きなまん丸の太陽は、いまも記憶に鮮やかです。

上の写真は、あの日と違って少し雲のあるなかを、暖かな太陽が照らしはじめる今朝の景色です。

昨日は神戸も一日中、多彩な諸行事が続き、朝から晩まで、明日につなぐ新たな決意を分かち合う、大切な一日を過ごしました。

延原さんからも「阪神淡路大震災復興二十年の歌一首」

   二十年崩れし都(くに)や癒されし時の恵みぞ有難きかな

をお贈りいただき、知友よりお電話やメール便をお受けしました。

本日は、昨日「1・17」メモリアルの写真を数枚記録として並べてみます。

まずはじめに「東日本大震災被災地と結ぶ阪神淡路大震災メモリアル20年」の第一部・第二部のうち第一部の「福島原発事故から3年10か月:フクシマのいま」をお話しいただいた楢葉町宝鏡寺のご住職の早川篤輝師のお写真です。今朝の神戸新聞にも掲載されています。

次は夕刻の東遊園地、「慰霊と復興のモニュメント」などです。

東遊園地には、モーツアルトの像が据えられていますが、最後に昨夜、我が家の隣のグランドで灯された「みくら」の灯と共に、UPいたします。