延原時行歌集「命輝く」(第2024回)(阪神淡路大震災から20年の朝)

                  

        延原時行歌集「命輝く」(第2024回)
「復活の家出発進行――感謝無限の旅一歩一歩」(200−2)
朝まだきの歌、情熱の歌、友ありて、今の歌、友情深甚の歌、笑み道の歌、良寛禅師大変貌の歌、笑み佑くの歌、命二齣の歌、雪深々の歌、ご近所様の歌、著作とはの歌、昨晩の歌、それにせよの歌、「この時代に復活主の御声」の歌、神意の歌。(2014年12月1〜10日)

    12月1日
              今の歌三首

   我妻よ我らが一書読む方に汝が笑み増しの入るや嬉しも

   汝が命深き淵より甦り岸辺の主共命伝ふよ

   驚きは「我が羊飼へ」主の命や受けて汝こそ人佑く今
(備考:ヨハネ福音書21章15,16,17節熟読参照。でや、ノーちゃん。有難いことです、父さん、最高に幸せ!) 

    1月2日
             友情深甚の歌八首

   友来り妻の笑み増しフォト示し祈りたりけり復活の家
(備考:昨日鈴木孝二氏御夫妻見へたり。我らが一書『復活の省察 [上巻]――妻と歌う:生くるとは深き淵より共々に甦ること喜びてこそ』を中心に歓談時を忘れたり。我が家誠「復活の家」なりと改めて自覚せり。瞑想と対話の僧院の如し)

   友ありて熱誠の文深夜来る主に在りてぞや友情深甚(備考:伊丹教会旧友島本健二氏よりメールご芳書12月1日付あり:「今朝方は、早速に頂戴いたしましたご返事を拝読させていただき、何よりも先生の行き届いたお言葉に、心が揺り動かされました。あらためて厚く御礼申しあげます、誠に有り難うございました。/ 昨夜に引き続いて、三つのご報告をさせていただきます。一つは、昨日、待降節最初の礼拝式が執行された伊丹教会において、皆さんにご本を示して、私からその紹介をさせていただいたことです。そのご本は、今、礼拝堂脇のホワイエのテーブル上に置いております。/ 二つ目には、私宛てにお送りいただいたご本のうち2冊は、岩倉善樹さんと会澤就之さんに、喜んで受け取ってもらったこと、残りの1冊を、インマヌエル研究会のメンバー共用としたことです。/ 最後にもうひとつ、週明けの今日、先生名義の振替口座に私から、「『復活の省察』への感謝として、伊丹教会有志より」と付記して、ごく些少ではありますが、献金をさせていただいたことです。その「伊丹教会有志」とは、次の8人で、ご承知おきのように、内田さんと東海林さんの2人は、「エマオ編集室」のメンバー、残りの6人は、「インマヌエル研究会」のメンバーです。会澤就之さん 岩倉善樹さん 内田正博さん 澤村妙子さん 柴田典代さん 清水正和さん 東海林恭子さん 島本健二/ 以上のとおり、ご本を巡るここ伊丹の地での動きをご報告し、このたびの先生の温かいお心遣いに、重ねて感謝申し上げます。島本健二」 ご返事12月2日付:「島本健二様 お心の籠った懇切ご丁寧なご芳書誠に有難うございました。心より厚く御礼申し上げます。恐らく我々はやがて、いまお知らせいただいております伊丹教会における一つ一つの麗しい御業を、天にて再度見ることでございましょう。我妻信子の人生神学といたしたおりましたように、これらの思い出の天父への奉献といたしまして。天父に於かれましては、一切の思い出はかつて起こりしそのままが現在的直接性のままに保存されていることでございましょう。/ 昨日、待降節最初の礼拝式に於いて拙著を貴兄が紹介下さいましたこと、本は礼拝堂脇のホワイエのテーブルに置いてありますこと、貴兄宛にお送りしました二冊は、岩倉善樹さんと会澤就之さんに喜んで受け取っていただきましたこと、もう一冊はインマヌエル研究会のメンバー共用にされましたこと、尊い献金を延原名義の口座に「『復活の省察』への感謝として、伊丹教会有志より」と付記して、貴兄からご献金されましたこと、「伊丹教会有志」とは、「エマオ編集室」の内田さんと東海林さん、残りの6人は「インマヌエル研究会」のメンバーであること、すなわち:会澤就之さん、岩倉善樹さん、内田正博さん、澤村妙子さん、柴田典代さん、清水正和さん、東海林恭子さん、島本健二せんであること、お知らせいただきましたこと、誠に光栄感謝であります。/ 妻ともども、皆様方の深い信仰にあるご友情、心より主に在って御礼申し上げます。皆様方に宜しくご鳳声下さいます様に。/ 御教会に復活の主が天来の恩寵と御祝福を豊かに賜ります様に! 右御礼まで 草々不一 IXIA! 延原時行」)

   熱誠の友に今日もや深夜TELいと不思議なる四年日々謝す(備考:思へば、妻倒れたる2010年11月30日の後12月1日の入院より、熱誠の友鳥飼慶陽師に四年間ほぼ毎日深夜TEL続け来りし。不思議なる日々の事話しつ。感謝無限!)

   この間や笑み増しの妻我と共本に打ち込み人方に入る
(備考:『復活の省察』[上巻]の上梓と共に妻の死後生我に於いて裸堂々たり)

   妻の笑み今も輝く燦々と我らが書読む友方笑みにぞ
   我妻の絶後笑み増し本と化し伝はり行くや今日も燦々
(備考:ノーちゃん、今日もあんた凄いなあ。父さん、それはなあ、嬉しいからや。そうか)

   人方は妻逝きし如思ふやも深き低みの底ぞ飛翔す

   笑み増しや今生非ずさりとてや死滅に非ず飛翔のしるし


        ♯              ♯

あの日から20年の朝を迎えました。わが家から仰ぐいまの日の出です。
あの暗闇の中での大揺れで、わたしたちの14階建ての高層住宅が、一瞬のうちに全壊となった、あの今朝5時46分、今朝テレビを観ていると、遠くから電話を頂いたり、昨夜は延原さんからも20年を覚えてお電話を貰いました。

神戸新聞も今日は特別仕立てで、昨夜の伊丹市昆陽池の灯の写真入り記事が一面に収められています。

次の記事は、私の故郷:鳥取・大山の雪が、本日の神戸東遊園地へ届けられることを伝える神戸新聞の夕刊です。

今日は一日中、多彩な追悼・記念行事がつづきます。毎年でかけるメモリアル集会に参加のあと、今年も夕刻東遊園地の灯に出逢ってまいります。


本日の写真は、昨日の夕陽とぶらり散歩で撮ったものを数枚収めます。

今年もあの映画『寅さん』の最終回の撮影で、渥美清さんらと、焼け野原となったご近所の菅原通りをロケしていただいた山田洋二監督が神戸に足を運んでおあられます。

震災後、焼け出された商店街のお店が共同して復活させておられる新しい市場「味彩館」の前には、『寅さん』のモニュメントが大切に遺されています。

あの日の火災ですべてが焼失したまちのなかで、いまも生き続ける樹木を二本みつけました。また、いまも焼けたまま立っている一本の電柱も、小さな公園に遺されています。

終わりに、ぶらり散歩でみつけた花たちの数枚と、震災当日、ドラム缶の火を囲んで夜明かしをした、お隣の御蔵小学校のグランドとそこから見上げるわたしたちの高層市営住宅(全壊の建物が再建されて戻り入居ができました)も収めて置きます。