延原時行歌集「命輝く」(第2018回)(初日の出と富士山)

               

       延原時行歌集「命輝く」(第2018回)

「復活の家出発進行――感謝無限の旅一歩一歩」(199−6)
華やぎ佳しの歌、歌の不思議の歌、我が修行の歌、甦りわざの歌、笑み笑み笑みの輝ける本の歌、やっての歌、昨日の歌、嬉しやの歌、言包むの歌、良寛臨終の歌、復活新段階の歌、妻共生・声聴ゆ・歌人我の歌、復活場の歌、妻華やぎの歌、人としての歌、独り言の歌(2014年11月21〜30日)。

    11月26日
              良寛臨終の歌十首

   昨晩は良寛臨終一句のぞ真意忖度嬉しかりしや
   (備考:一句これなり 裏を見せ表を見せて散る紅葉)

   裏を見せ表を見せて散る紅葉我が後一首ここに活きたり
   (備考:良寛の最晩年の変貌や「我が後を」一首に込められたり。これ「裏を見せ」に活きたり)

   我が後を助け給へと頼む身は元の誓ひの姿なりけり
   (備考:復唱)

   頼む身や我が後をぞやひたすらに裏としめしつ誓ひの姿(備考:裏を裏と示す故にこそ表姿なるなり。元の誓ひの姿成ること良寛最後の任務なり。これ逆理なり)

   良寛や臨終一転弥陀姿証し徹せり散る紅葉かな
   散ると言ふ言の葉にぞや籠められぬ弥陀の御国に往くや一心
   一心を示して往くや良寛師ひたすら弟子に悲しからずと
(備考:弟子貞心尼の歌これなりし 生き死にの境離れて住む身にも避(さ)らぬ別れのあるぞ悲しき。師の歌これなり 裏を見せ表を見せて散る紅葉)

   一心を悟りて弟子や返したり来るも返るも沖つ波とぞ 
(備考:弟子の歌新たなり 来るに似て返るに似たり沖つ波。沖つ波「月の光」のことなり。良寛さきに弟子にしめせり:久方の月の光の清ければ照らしぬきけり唐も大和も 昔も今も 嘘も誠も。これ「生死即涅槃」のことなり。西田幾多郎全集十一巻、423頁熟読参照。「嘘も誠も」の一句「裏を見せ表を見せて」につながるなり。後者は他人の一句なりしも、良寛臨終にあたり用ひたり。「月の光」の見地からなり)

   禅師のぞ務め成りたり姿言ふ明らかりけり君が言の葉
   (備考:弟子の悟り認知したれり:「明らかりけり君が言の葉」)

   良寛と貞心尼なる一対は恋にあらざる師弟愛成す(備考:この事明らかなるに、人方知らず。この我が解釈我が一首と繋がるなり:包まるる今生ならば寂しさの在るべくもなし言漲りて。「言」とは、良寛の「月の光」なり)


        ♯              ♯


延原さんは、上の歌を詠まれた後、昨年12月20日の「しばた良寛講座」(新発田市生涯学習センター)において「良寛最晩年の大変貌をめぐって」と題して講演をされました。

先日、当日の講演草稿の完成稿を送信いただき、拝見させていただきました。本稿は延原先生ご夫妻の『復活の省察ー妻と歌う』の「下巻」(大変貌)に収められる予定とお聞きしています。ちなみに既刊「上巻」につづく「中巻」は「世界への愛」として、ただいまゆっくりと熟成中です。仕上がりを楽しみにしています。


「中巻」では、2011年8月に出版された『あなたにいちばん近い御方は誰ですかーー妻と学ぶ『ラザロとイエスの物語』」(日本キリスト教団出版局)の、第二部に収められた新発田病院における「ノーちゃん(我が妻延原信子)の奇跡的治癒物語」につづく「リハビリセンター転院」以後の「リハビリ一歩一歩」(2011年2月16日〜)も含めて、共々に復活世界に生きる歓びが、新しく編まれてゆくようです。


現在ここで継続中のブログ「延原時行歌集『命輝く』」はいま2018回ですが、第1回は2011年12月27日のことでした。(http://plaza.rakuten.co.jp/40223/ の掲載一覧よりご覧いただけます。) 昨年早々に現在のブログに引っ越しをしていますが、昨日は改めてその「楽天ブログ」を最初から覗いてみました。4年ばかり前のものを覗いてみるのもまた面白いものですね。


さて、本日の写真は、昨日に続いて「初日の出と富士山」です。撮影順に並べていますので、昨日UPの続きです。

船に揺られながら、右のデッキで「初日の出」を撮り、こんどは左のデッキで「富士山」を撮って・・・その繰り返しでした。

いつもレンズにごみがついているのか、汚れがあるのが残念ですが、日の出と共に、新しい朝が明るく開けていきます。

恵みの初日の出を、今年はパソコンのデスクトップに収めました。(これまでも「富士山」をデスクトップに飾っていましたが、こんどは下手な写真ながら、嬉しくて!!