延原時行歌集「命輝く」(第2015回)(元日夕刻の大雪:大津)

              

       延原時行歌集「命輝く」(第2015回)

「復活の家出発進行――感謝無限の旅一歩一歩」(199−3)華やぎ佳しの歌、歌の不思議の歌、我が修行の歌、甦りわざの歌、笑み笑み笑みの輝ける本の歌、やっての歌、昨日の歌、嬉しやの歌、言包むの歌、良寛臨終の歌、復活新段階の歌、妻共生・声聴ゆ・歌人我の歌、復活場の歌、妻華やぎの歌、人としての歌、独り言の歌(2014年11月21〜30日)。

    11月23日
          笑み笑み笑みの輝ける本の歌十首

   我妻や闘病の果て本作る父さんやって言ふ意気や佳し(備考:2014年2月13日北越病院祖父江八紀ドクターの問ひに答へたる言葉これなり)

   この意気や在りてこそなり本や出づ笑み笑み笑みの輝ける本
(備考:聖ベルナルド新教修道院伊原淳子師の御葉書(11月17日付)の御言葉正に至言なり:「ノーちゃんの笑み増しはまさにこの『復活の省察』共著の完成を予祝していたんだなあ、と改めて示されました」)

   我と共表紙飾れる笑みやこそ在宅介護和みたる汝(備考:これ一の笑みなり。2011年暮れ熱誠の友鳥飼慶陽師御夫妻御来宅の歓びありたり。このフォトお撮りいただく。深謝無尽)

   喜びもここまで来れば本物と祝さるるぞや古稀フォトの笑み
(備考:二の笑みなり。2012年6月17日信子古稀の祝ひのフォトはあとふるあたごデイサービスセンター城北町スタッフ御一同のプレゼントなり。深謝無尽:「私達の寒〜い冗談にも笑って下さる信子様。いつも楽しい大阪弁のお話をありがとうございます。いつまでもお元気でいて下さい」)

   我妻や絶後笑み増し不思議やも深き低みの底ぞ飛翔す(備考:復唱:三の笑み、究極のスマイルなり。2014年3月11−13日前夜式告別式にてなり。我克明に撮りたるフォトなり。信子生涯の傑作なり)

   絶後のぞ笑み増しや佳し人方に生涯の果て笑み給へとぞ

   輝きの笑みの本成る我妻よ人方に笑み語りかくるや

   汝もまた如何な絶後を迎ふるも笑み往く幸ぞ岸辺の主ます

   人として生きこれ程の幸や無し笑み笑み笑みの本や出でしや(備考:ノーちゃん、おめでとうね。父さん、有難うね。うェーん。どうしたんや。嬉し過ぎやから泣いてんねん。そうか)

   人方よ汝も笑み往け絶後にぞ岸辺の主ぞや待ち給へばや
   (備考:これ延原信子の笑み増しメッセージなり)


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延原さんの上の歌に誘われて、「一の笑み」と「二の笑み」を、ここに再掲させていただきます。


               


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昨日夕刻より寒くなりました。神戸もインフルエンザが流行っています。高熱と咳がとくに苦しそうです。

自分でおかゆをつくる手管も身についておらず、もたもたと・・・・。お店に行くと「白がゆ」とか「梅がゆ」とか、美味しい簡易なものがあって、助かります。

七草がゆ」とか「七草の御茶づけ」なども、いいですね。朝ドラにも、風邪に効くのは、レモンと蜂蜜とウイスキーをまぜてゆっくりと温めて・・・。


さて、本日の写真は、正月元日、快晴の日の出と富士を見て、「三嶋大社」や「浜名湖」などに立ち寄りながら、順調に帰路のバスの旅・・・

ところが、途中で風景は一変して、滋賀県・大津あたりでは大雪に・・・。その「大津」での風景を数枚収めます。私たちのバスがここを通過した後に、通行止めの規制がかかりました。危ういところでしたが、少々遅れて神戸に帰着いたしました。


大津インターは、立派に建て替えられていて、そこの正月飾りも綺麗でした。



次の二枚は、その前の停車場のものです。

元日の神戸も、少々積雪があって、その名残がありました。