延原時行歌集「命輝く」(第2011回)(蒲郡オレンジパーク)

               

        延原時行歌集「命輝く」(第2011回)

「復活の家出発進行――感謝無限の旅一歩一歩」(198−9)ヨハネ福音書21章15節の歌、妻欣求我一筆の歌、今朝の思ひの歌、人間教よの歌、平安の歌、パウロ復活述懐の歌、今にしての歌、友ありての歌、仕込みの歌、秋なりの歌、深謝無尽もの歌、宇宙の歌、我妻や笑むの歌、祝福と華やぎの歌、原事実による安心省察の歌、幸せの歌、人真実姿の歌、友ありての歌、驚愕の驚愕本作るの歌、未来生の歌、未来生のまことの歌。(2014年11月11〜20日

    11月19日
           驚愕の驚愕本作るの歌六

   我もしも死の驚愕に止まらばただ逝きし妻思ひ悲嘆ぞ
   (備考:これ驚愕一なり)

   しかるにや絶後笑み増し驚愕に復活歓喜止まる知らずや   (備考:これ驚愕二なり)

   驚愕の驚愕こそや新世界憂ひの蔭のひとかけらなし

   いよいよに明らかなるや此度の書復活省察告げ往くさだめ

   本作る父さんやって言ひし時箴言使命妻や悟れり(備考:ことに2011年3月9日新潟県立リウマチセンターリハビリ室にて五十嵐療法士さんの「延原さん、何か一筆書いて下さい」との声に、”God blessed the good day of self-reflection and self-dedication.”とすらすらと書きし時、さながら使徒パウロが復活の基督の光に打たれたるときの如き、春の輝かしい陽光に包まれ感動せりと述懐するや常なりき。この感動より始めて、リウマチセンター(2011年2月4日~6月13日)と豊浦病院(2011年6月13日~10月5日)にて英文箴言三十条我と共に作りたり。2011年10月5日退院より2014年3月11日の笑み増し御国入りの時まで、箴言復唱を、自宅でも、愛宕の園ショートステイでも、日々欠かさざりき。箴言修行ほどの3年4か月の間生きるかたちなかりき。妻にとり、これ闘病ヨリ深き人生原理なりき。闘病のための闘病人生原理成すを得ず。その思ひより、「本作る父さんやって」のこの2月13日の声出でしなり。此度、一書『復活の省察・上巻――妻と歌う:生くるとは深き淵より共々に甦ること喜びてこそ』新潟・考古堂書店、2014年 上梓されしこと、妻にとりて如何ばかりの喜びならんか。我過去半世紀の間「復活の省察」綴り来りしが、妻の絶後笑み増しありてこそ「復活」極るを得たり。岸辺の主と共に絶後に笑み増し往く妻こそ、今生超ゆる復活世界を我に見せしなり。笑み増しの妻の内的動因は、3年4か月に及ぶ箴言修行なりき。この修行の中で祝福神学深められたり。3月11日の朝我に「人生で最高の幸せや」と告白せしもうべなるかな。その直後の笑み増し御国入りなりき。此度の一書妻の祝福神学――笑み増し御国入りーーの類まれなる表現なり。これ我が半世紀の復活省察と綯い合わされしなり。この妙味、中下巻を通じ、リウマチセンター実録と豊浦病院実録を交え、我が更なる「復活省察」(初期草稿と最近講演を含む)を通じ、短歌神学を通じ、展開さるることなり、いと嬉し)

   一書成り妻の悟りの喜びや人方へとぞ笑み往くや今

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新しい年が始まり、今日は年明け最初の日曜日の晴れた朝です。
朝食・洗濯のあと、窓を全開して、今年初めての掃除を済ませました。

昨年は延原さん御夫妻の『復活の省察ー妻と歌う』上巻の上梓に立ち会える喜びを経験いたしましたが、上の歌にあるように、本年2015年は「中巻」[下巻]が新しく産み出される特別の年になります。

昨日も延原さんのメルマガ「風の便り」には、1月3日付けだで50首を超える歌が詠われていました。この正月三日間で、百首を超えているようです。

そしてこれらの「妻と歌う」「復活の省察」は、日を重ねるごとに「復活世界」に新しい進展があり、いつもわくわくさせられております。


歌に添える本日の写真は、今回の旅先で立ち寄った「蒲郡オレンジパーク」のドライブインのものです。



ここは三河湾の温暖な場所のようで、春はイチゴ狩り、夏はメロン狩り、秋はミカン狩りの人気スポットで、いまはミカンの終わりの時です。

蒲郡といえば、賀川豊彦が学生時代に結核に罹り、蒲郡府相海岸の漁村にある六畳の離れ座敷を借りて、しばし療養生活を送った場所です。

賀川はこの後、神戸の「貧民窟」に生活の場所を移すのですが、彼はここでの生活を後にスケッチ入りのエッセイ「ノンキ者のノンキ話」(大正11年)と有名な「小屋日記」(大正15年)を書き残しています。

ミカン畑やここで咲いていた花たちを少し加えて置きます。