延原時行歌集「命輝く」(第2009回)(2015年元日の日の出と富士山)

       延原時行歌集「命輝く」(第2009回)

「復活の家出発進行――感謝無限の旅一歩一歩」(198−7)
ヨハネ福音書21章15節の歌、妻欣求我一筆の歌、今朝の思ひの歌、人間教よの歌、平安の歌、パウロ復活述懐の歌、今にしての歌、友ありての歌、仕込みの歌、秋なりの歌、深謝無尽もの歌、宇宙の歌、我妻や笑むの歌、祝福と華やぎの歌、原事実による安心省察の歌、幸せの歌、人真実姿の歌、友ありての歌、驚愕の驚愕本作るの歌、未来生の歌、未来生のまことの歌。(2014年11月11〜20日

    11月17日
               幸せの歌五首

   幸せはこの宇宙にぞ生れ来て心通ふを知りたるやこそ
   (備考:なあ、ノーちゃん。そう、父さん)

   これはしも誠不思議の経験ぞ妻往きしもや心一つよ

   しかもぞや暖かき雪深々と降り続くなり主と共に生く
   これはぞや復活世界と我呼ばん人方のため祈りてや活く

   エスースクリストスああイマヌエルアーメンとぞや称へつつ生く

    11月18日
             人真実姿の歌二十首

   人として岸辺の主共甦り飛翔すや妻如何に幸なる

   幸ひは絶後の笑みに如実なりこれ驚愕のぞや驚愕ぞかし
(備考:一の驚愕絶命なり。しかるに二の驚愕絶後の笑み増しなり)

   人なべて復活信ず気色無し日ノ本基教誤訳の如し(備考:ヨハネ福音書21章15節の現行訳「あなたはこの人たちが愛する以上に、わたしを愛するか。」は世紀の誤訳なり。真実は「これらの物(注。ペテロ旧来の人生道具、舟網延いては宇宙の諸多性)よりも《我》(注。宇宙中心:ヨハネ福音書8章58節「アブラハムの生まれ出ずる先に在る我」)を愛するや。」(私訳)なり)

   復活に人永生の望みありされど信ぜず今生執す
   さりながら今生執すその身はぞ一重に滅す不滅知らずも

   妻の如思ひ出天父奉献し霊体拝受なせばや如何
   我が羊飼へとの命をうけてぞや本作り成る歓喜妻在り(備考:宇宙的死後生なる妻の任務我らの共同書『復活の省察』上中下巻の完成にあり)

   ああ命それ損せばや何の得あるや知らずや汝今生よ
   (備考:マルコ福音書8章36節に鳴り響く主イエスの御声これなり)

   汝我に従ひたれば命あり命失ひ命得るなり
(備考:マルコ福音書8章34−35節。誠これ人の真実姿詠ひたる主の御声なり。然るが故、この箇所形而上学的真実人間学成すなり。因みに、この箇所の「実現」こそヨハネ福音書21章の「復活」なり)

   この御声主イエスの本意告ぐるもの命誠に逆理なるとぞ

   命をば今生にぞや活き尽くし飛翔せる者これぞ人なる
   (備考:これぞ我が人定義なり)

   人なるは未来的には飛翔なり現在的に修行せるにや
(備考:ホ氏人(ないしあらゆる物)の未来的姿を「客体的不死性」objective immortalityと言へり。現在的姿を「倶現・合生」concrescenceとしつつも。而して全体的には「滅して不滅」”We perish and are immortal.” [PR, 351, 82]とせり)

   人なるの元の姿は不死鳥よ深き低みの底ぞ飛翔す(備考:大地性なる人定義あるも、滅して不滅、人の未来姿は「宇宙姿」なり。焼き場で焼くるや、個体性もはやなし。ホ氏もまた言ふ:「神は世界のうちにあるのであって、さもなければどこにも居らず、絶えずわれわれの内部と周辺で創造しています。この創造原理はいたるところに、生物体にも、いわゆる非生物体にも、エーテルにも、水にも、土にも、人間の心にもあります。しかし、この創造はひとつの連続的な過程であり、しかも《過程はそれ自体で現実態なのです》。というのは、どこかに到着したとたん、新たな旅路が始まるだけなのですから。この創造の過程にあずかる限り、人間は神的なもの、神にあずかります。そして、かかる参与こそ、人間の不死性であり、人間の個体性が肉体の死を超えて生き残っていくのかどうかといった問題を無意味なものにしてしまうものなのです。宇宙における共同創造者としての人間の真の運命こそ、人間の尊厳であり、崇高さなのです」。ルシアン・プライス編、岡田政勝・藤本隆志訳『ホワイトヘッドの対話:1934−1947』東京・みすず書房、1980年、531頁:1947年11月11日記録。因みに、1947年12月30日永眠)

   人誠死して個体や宇宙体なして拡がり仕へ往くなり(備考:個体死して飛翔す。宇宙体ならんが為なり。宇宙体万物万人へのケア体とならむ。かかる創造過程の観点なくして、生死論成り立つを得ず。生死論個体論にあらず、個体を滅して宇宙生命に資する、ケア論なるよ、誠。その中心に、カトリック教のミサ論あり、ことにシャルダン宇宙論的ミサ論これなり。主が御体を捧げられし如く、我らも従う、これ生死の意味なり。我妻ゆえに笑み増し往けり、これ程の喜びぞなし)

   飛翔のぞ暁にぞや宇宙的姿転じて主の羊飼ふ
   良寛が元の誓ひの姿とぞ詠ひたる時人未来出づ
   人未来思はずしてや今生に執したるこそ無明なりけり
   この無明国際政治経済を自己中人に任せおるなり

   人や知れ世界の悲劇今生の執心にこそ始まれるとぞ

   この朝や暖かき雪深々と我が胸中に降りしきるなり   (備考:人の真実姿去来しつつや)


        ♯              ♯



    あけましておめでとうございます

延原先生からは、元日には十四首、今朝(2日)にはナント四十六首の新しい復活世界を詠う歌が届いています。まずここにそのうちの、元日の二首と今朝の一首のみを、特別に収めさせていただきます。

   我が胸に新春歓喜雪や降る我妻と共笑みや往かんも

   我悟る人世に未来かくてこそ到来すべし笑む人の如
   朝まだき我が胸中に雪ぞ降る暖かき雪歓びの雪


        ♯              ♯


今年の元日は、沼津三津港から船に乗り、初日の出と美しく映える富士山を望みました。

暗闇の中を船に乗り、雪をいただく見事な富士山が姿を現して、カモメたちもが舞い踊り、新しい一年が始まりました。


昨夕、復路のバスは滋賀県大津あたりで大雪に逢いましたが、無事帰宅。
師友からの賀状が届いていました。ありがとうございます。今日ゆっくりと拝見いたします。

最後に今年の我が家の賀状を収めて置きます。