延原時行歌集「命輝く」(第2008回)(高取山はじめての復路「高神瀧」)

               

        延原時行歌集「命輝く」(第2008回)
「復活の家出発進行――感謝無限の旅一歩一歩」(198−6)ヨハネ福音書21章15節の歌、妻欣求我一筆の歌、今朝の思ひの歌、人間教よの歌、平安の歌、パウロ復活述懐の歌、今にしての歌、友ありての歌、仕込みの歌、秋なりの歌、深謝無尽もの歌、宇宙の歌、我妻や笑むの歌、祝福と華やぎの歌、原事実による安心省察の歌、幸せの歌、人真実姿の歌、友ありての歌、驚愕の驚愕本作るの歌、未来生の歌、未来生のまことの歌。(2014年11月11〜20日

    11月16日
              我妻や笑むの歌五首

   我妻や汝無者我に嫁ぎ来て共に御神の道往くや笑む
   汝が笑みの輝きてこそ此度のぞ我らが一書人佑け往く

   汝笑みて岸辺立つ主の御栄や称へられしぞいと麗しく
   我妻の絶後笑み増し何事の起こり来るも火心点ず
   今生の滅するところ笑みや増す焚くほどは風持て来る落葉(備考:恐らく良寛にとって焚くことは絶望を意味したらうが、「風が持て来る落葉かな」に不滅の浸入を詠いたるならむ。我妻の笑み増しもまたその如し)
 

               祝福と華やぎの歌七首

   我妻がGod blessed the good dayとぞ書きし時祝福時代始まりにけり(備考:2011年3月9日新潟県立リウマチセンターリハビリ室にてなり)

   人如何に悲惨なるとも祝福の注がれたるや生死一新
   祝福や生死貫き徐々にぞや華やぎの日ぞ備へられたり

   我妻の我と共にぞ和みたる表紙本ぞや一隅照らす   (備考:昨日新潟ジュンク堂にてとくと見にけり)

   ノーちゃんよあんた益々知られよる有名なるのん好きやねんやろ
   (備考:父さん、そやねん。有難うね)

   闘病中この華やぎを思ひ見て過ごし来たるも今ぞそれ見ゆ

   我らはぞ天地一枚妹背共御栄のため相働くよ

    11月17日
            原事実による安心省察の歌十首

   人がもし原事実ゆえ安心と言ふならばこれや如何にぞ
   安心と言ふ意味がぞや何あらむ悲惨なるにも拘らずほか

   悲惨のぞ極みありてぞ原事実破れ果つるも底ぞ飛翔す(備考:ここで「インマヌエルの原事実」は単なる概念性の殻被りて在るなり。それ破れ果つるなり。と、その時、その底(子=ロゴス)顕はれ、我らの悲惨抱へたるまま天父に向かひ飛翔するなり)

   飛翔こそ我妻の言ふ思ひ出の天父奉献誠これなり
   恩師のぞ原事実論飛翔なし深き低みやさらに下がらず
(備考:「インマヌエルの原事実にまったく単純に規定されて、彼自身の身は深い低みに置かれており、そこに与えられた聖なる限界の背後に歩み出てさらに深く下降することはできもしないし、またしようともしないのである」。滝沢克己『純粋神人学序説』福岡・創言社、1988年、274頁、参照)

   さらにぞやその底下り往くならば実にも上るや逆理麗し
(備考:その消息を『使徒信条』詠ひたり:「十字架につけられ、死にて葬られ、陰府に下り、三日目に死人のうちより甦り、天に昇り、全能の父なる神の右に坐したまへり」。ここに下れば下るほど上昇、飛翔する復活形而上学信条論的に告白されたるなり。この逆理滝沢純粋神人学には、遺憾ながらなし。ホ氏においては下降と上昇の逆理的一致は”reciprocal relation” [交互関係]と言はる[PR, 351])

   この逆理岸辺の主のぞ甦り我妻笑みつ共往きしなり

   下りてや上る逆理はロゴスのや二態からして由来するなり
   「太初」のぞロゴスの底や「神と共」ロゴスなりけり下れば飛翔(備考:ヨハネ福音書1章1節第一項「太初にロゴス在りき」;同第二項「ロゴスは神と共に(pros ton theon)在りき」)

   イマヌエル原事実もぞ二態あり子世と共にと子神と共に(備考:この場合世:子=子:神(父)なる如く、子(ロゴス)実在の比例中項成すなり。要するに、滝沢の言ふ如く、「インマヌエル」を《太初のロゴス》としてのみ理解することはその内奥を成す《子の父への共在性[pros ton theon]》を捨象するものなり)


        ♯              ♯


このブログは当初、若い友人より<ボケ防止に>と勧められ、「楽天ブログ」において「番町出合いの家」の名前で、2011年にスタートいたしましたが、途中より願いがかなって、「延原時行歌集<命輝く>」の掲載を許されることになり、延原さんから毎日届くメルマガ「風の便り」を、少し時をずらして、このブログでもUPさせていただいています。

ブログの名前も現在のものに変更し、別の「はてなブログ」で公開していた「延原時行著作集ブログ公開」と並べるかたちにして、現在のこのブログへ引っ越しを済ませて、いまや2000回を超えてまいりました。

延原信子先生の大事故のあとの、3年4か月にわたる御夫妻の日々の中から御夫人の「英文箴言」30条をはじめ、時行氏の歌たちが新しく産み出された数多くの作品を、ここでも公開させていただきました。

とりわけあの日(本年3月11日)のあの「笑み増し」の出来事以後の、豊かにめぐまれた「復活の省察」の日々の歌を、こうしてここでも、継続して収めることのできることは、何にも代えがたい喜びです。


2014年の師走、明日は大晦日ですね。

明日明後日の年末年始の二日間はブログをお休みしますので、本日は今年最後のブログとなります。ここに改めて、毎日ご愛読いただきましたこと、心より深謝申し上げます。


私的なことですが、この年末は、手元にある賀川豊彦の書き残した著作ーー大正2年より昭和35年までーーの「序文」を賀川記念館のHPに収めていただく準備に没頭いたしました。たいへん楽しい作業でした。本日でほぼそれも仕上がる予定です。

若き日より今日まで、賀川の多くの著作に親しませてもらいましたが、正月明け早々に賀川記念館の方へ「初仕事」としてお送りできると思います。


さて、歌に添える今日の写真は、「高取山はじめての復路の高神瀧」です。

ひと気のない森の中の奥まったこの場所は、かつて清らかな湧き水が沸いた瀧があったのでしょうか。いくつかの小さな石碑がならんでいて、いまもお花が手向けられていました。