延原時行歌集「命輝く」(第1093回)(日本のエーゲ海<牛窓>しおまち唐琴通り)

              

       延原時行歌集「命輝く」(第1093回)

「復活の家出発進行――感謝無限の旅一歩一歩」(197−1)
我妻よの歌、輝く笑みの歌、一書恵まるの歌、朝まだきの歌、昨日はの歌、ご評言の歌、はいはいノーちゃんの歌、誤訳怖ろしの歌、為すから成るへの歌、受肉の解の歌、喜びやの歌、癒と祝福の歌、昨日はの歌、底―視点の歌、大悲の書の歌、底―視点の歌補遺、復活省察嬉しくもの歌、主よこの書の歌、一筆やの歌、短歌神学の歌(一)(二)、一つ心の歌、今朝の歌、驚愕の驚愕の朝の歌、驚きぬの歌:My Autumn Greetings in Tanka、我妻笑み増し賀する歌、一書の祭り乾杯の歌、平安なぜかの歌。(2014年11月1〜10日)

    11月1日
              我妻よの歌六

   我妻よ岸辺立つ主に見(まみ)へてぞ笑み増し証立つる香し

   人としてげにこれほどの幸や無し絶後笑み増し復活証示
   今もぞや復活省察進み往く死してぞ成れる一書尊し
   (備考:ご高覧頂し友方読後感賜ふ、嬉しも)

   汝が身がぞ倒れし時や我人生底見し時ぞ省察や湧く

   これ誠復活省察逆理なり汝笑みて我復活まみゆ
   不思議なり汝天に往き我地上共に働き延原家立つ(備考:我地上に在りて汝が死後生の姿なり。殊に此度の一書それなり。ノーちゃん、父さんはあんたやで。嬉れし、有難うね、父さん)

            輝く笑みの歌六

   人生でいちばん幸せ言ひし妻輝く笑みを浮かべおりたり
   (備考:寸時後に絶命する日の絶命前の笑みなり)

   父さんが皆やって呉れる喜びや輝く笑みを生みしかよ妻
   かかる故絶後笑み増し出でしこと我驚くもなお驚かじ
   (備考:絶命前の輝く笑み知る故に驚くも驚かじ)

   それほどに妻の幸せ上り詰めおりたることや誠奇蹟よ
   試みに闘病前のフォトとぞや比べ見たれば生気ぐんとや(備考:此度の書の表紙のフォトにせよ、見開きに入れたる古希の祝ひのフォト(2012年6月17日付)にせよ、頭打ちし後の顔光輝あり、不思議も)

   今やこそ御国入りたる妻心歓び満てる我や感ずも

♯              ♯


上は、昨日のベランダからみた夕暮れです。

延原さんの新潟・新発田の御自宅はいま雪・雪・雪のなか、そのただなかで「暖かな雪がふり続けている」ようで、溢れ出る新しい歌とお声が届きました。

今朝の神戸は、寒中、晴れ渡っています。


ところで、昨日は年賀状の宛名を整理していて、ひとりの方をネットで検索してみていましたら、大変愉快になりました。

それは「村井謙治」という御方ですが、昔(1988年)「賀川豊彦生誕百年記念」の年に書き下ろした『賀川豊彦と現代』の出版の取材に来られ、「人」欄として全国の地方紙へ配信して頂き、たいへん驚いたことがありましたが、その後もずっと賀状の交換をしてきておりました。

ネットの情報によれば、村井さんはその後、旧ソ連・東欧、アフリカやアジア、欧州など80か国ほど歩いてこられ、現在、順天堂大学医学部総合診療科から派遣されて、地域医療の最前線ーー東京都新島村の診療所でご活躍のようです。お顔もはいっていました。

村井さんは、記者を経て新潟の医学部で学び医師として転身、将来「カリブ海の島で、小さなクリニックを開くのが夢!!」を抱いておられるそうです。

いま「診療所のコラム」もあって「宇宙に心を飛ばそう」などの玉稿を読みました。若き日、我が家にもおいでいただいた時に接した、あの村井さんそんままの、やさしいお人柄の伝わるいいことばにも出会えました。ネットも、なかなかいいものですね。

いちどぶらり「新島村の診療所」をお訪ねして、お話を聴きたくなってきました。それとも「カリブ海の小さなクリニック」の開設のお祝いに出かけるというのも、いいのかも知れません!!


さて、歌に添える今日の写真は、岡山県瀬戸内市牛窓町の「しおまち唐琴通り」の続きです。

ぶらり散策をしていましたら、面白い小さな喫茶店をみつけてそこに立ち寄り、店長さんの「朝鮮通信使」のお話などお聴きし、見晴らしの良い近くの山まで、狭い路地など案内して貰いました。

今回も撮影の順に並べて置きます。