延原時行歌集「命輝く」(第1088回)(特別史跡『旧閑谷学校」)

               

       延原時行歌集「命輝く」(第1088回)
「復活の家出発進行――感謝無限の旅一歩一歩」(186−8)
歌の心の歌、生きの姿の歌、深謝無尽の歌、麺麭の香りの歌、往きてこその歌、本の先の歌、心豊か成るの歌、折々の歌漫才、パンの境地の歌、復活の解の歌、この朝感動覚醒の歌、次巻の歌、下巻の歌、今の香りの歌、汝が人生の歌、ひそとの歌、少年の日の歌、信子華やぎの歌、今咲くの歌,笑み増し秘義の歌、主の問ひの歌、ぽつりぽつりとの歌、幸せ上梓の歌、妻偉業の歌、静々との歌、嬉しくもの歌、友ありての歌、痒み退きしの歌、木漏れ日フォトの歌。(2014年10月21〜31日)

    10月27日
             今咲くの歌十首

   驚きは妹背の書ぞや出でしこと闘病の日の妻や今咲く
   この書をば一筆一筆宛名書き友贈る如何に嬉しき我が身我が時
   時ほどや面白きものあるやなし闘看病の時今や咲く

   何よりも主の甦りほむる書の上梓なりたり天地歓喜
   世紀のぞ誤訳ありたり物よりも主を愛す道蔑(なみ)す基教や(備考:ヨハネ福音書21章15節:拙訳「これらの物(注。ペテロの旧来の舟や網や漁業に関わる一切、延いては宇宙の諸多性)よりも《我》(注。宇宙の中心;アブラハムの生まれる前にある《我》)を愛するか」;日本聖書協会訳=新共同訳「この人たちが愛する以上に、わたしを愛するか」「この人たち以上にわたしを愛しているか」)

   日ノ本の基教頽落匡せしは我妻絶後ほのと咲く笑み
   今こそはこの笑みありて我悟り復活省察成りて出づるや
   単なるの物語のぞ神学を脱却せるや省察嬉しも

   誤訳あり日ノ本基教如何でかや道伝ふことあり得べしやも

   我妻や絶後笑み増し往けるこそ主の復活の新基教の日

            笑み増し秘義の歌七首

   歯医者へと愛車走らす折にふと見へて来たれり笑み増しの秘儀
   我妻や絶後笑み増すことにはぞ究極のぞや究極や在る
   絶するや究極の事されどもや笑み増す事は究極対す
   究極が究極対す言ふことは御子天父にぞ向かふ祈りぞ

   絶命の究極事そもこれによりさらに究極あれば笑み出づ

   これこそや起死回生と言ふべきや命の命滅して不滅(備考:ここにおける起死回生ヨハネ福音書1章1節第二項「ロゴスは神と共なりき(pros ton theon)」のことなり。これぞ復活命なりけり。太初のロゴス神に対する言なること、命の命、復活いのちなり)

   我妻の絶後笑み増しこれだけの秘義や秘めたり命の命


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今朝はまん丸のお月さんが西に残り、穏やかな朝です。洗濯日和のようですので、いまも次々と洗濯器をまわしています。

昨日は「賀川豊彦のお宝発見」で再度補正を加えながら連載してきた「賀川豊彦の畏友・武内勝所蔵資料より」の膨大な全体コピーと「目次」づくりなどで一日が過ぎました。

ところで、歌に添える今日の写真は、岡山藩和気郡木谷村延原に開校された「閑谷(しずたに)学校」の続きです。二度目の訪問でしたが、紅葉も綺麗でした。