延原時行歌集「命輝く」(第1045回)(日本シリーズ甲子園第一戦のつづき)

               

        延原時行歌集「命輝く」(第1045回)
「復活の家出発進行――感謝無限の旅一歩一歩」(191−6)復活の夢の歌、かたち成るの歌、笑み増し偉大の歌、叡知妻の歌、徒然の歌、妻真実の歌、今朝の歌、一書の歌、東海道線にての歌、校正の歌、同窓会にての歌、京都ジュンク堂にての歌、今日の歌、三年余驚きの歌、新著校正実在の歌、エコの原義の歌、恵み日の歌。(2014年8月21〜31日)

    8月30日
           新著校正実在の歌十首

   この新著校正進むうちにぞや妻復活の喜び溢る
   誠にや圧倒的の喜びや心に生むは実在の歌
   喜びの歌はこれなり実在や根本的に包括的ぞ   (備考:Reality is that which is radically inclusive.)

   意味やこれ根基根源直ちにぞ包括の愛示すものなり   (備考:根基根源「不動の動者」ならず、「愛示す」動態なり)

   かつて我父子ひらけとぞ言ひけるや実にこれなるぞ一切招く

   一切を招く愛あり然る故妻思ひ出を持参奉献
   この世だけ切り離してぞその根基ありとするもの不動の動者
(備考:恩師がぞ「深い低み」と言ひ給ひ、「それより下ることなし」[『純粋神人学序説』274頁参照]と禁じたる時、その哲理根本的なるも「根本的に包括的」なるを逸したり。包括的と言ふ意味は、実在この世に突入するを言ふなり。ホ氏の言ふ、"God is in the world.”のメッセージなり。突入すれば、またこの世の奉献受容す。「受容」復活過程のことなり。実在根本的に包括的なる故に、我らがこの世の諸経験の成果を「受容」さるるなり。これ「復活」の本義なり。「受容」は根基根源「深い低み」を突破しつつ更に奥深き愛なる実在の「包括行為」なり。これ不動ならず、動態なり。何処にて誰が「低み」に在りてもや、底破りてやさらに下、包括的の愛や待つなり。かくてこそ、包括的の愛こそは、底破る動態にして、動態動者なり)

   この世をもあの世をも実に包みてぞ一切招く愛実在ぞ
   然る故この世思ひ出なべてぞや奉献ぞ成る復活ぞあり
   復活ぞ根本的に包括す実在世界物語なり(備考:この物語必然的に「笑み増し」を帯同するや麗し。笑み増しは実在の鏡なり。なあ、ノーちゃん。うれし)

            エコの原義の歌三首

   実在や根本的に包括すこれこそやエコの原義と我気付きたり

   エコにぞや神ひたすらに至誠なりそれ故に至誠なれとの招喚ぞゾエー(命)
   御神のエコゾイックスかくて成るこれに応へて妻笑み増せり

    8月31
             恵み日の歌四首

   校正を終へし我にぞありけるは妻と詠ひつ生くる恵み日(備考:信子の英文箴言:Songs of Blessingと我が歌集「命輝く」なり)

   手のうごき上智講演促せば絶後笑み増し省察完成(備考:2010年12月1日早朝の書棚より書籍引き寄する手のうごきなくば我が上智行きなかりき。2014年3月11日―13日絶後棺内笑み増しなくば我が半世紀の作『復活の省察』なかりき)

   恵み日は日々のことにぞありけるも永久のことなりいと有難く

   誠にや復活省察読むほどに平安や満つ我が身我が時


      
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「読書の秋」ですね。『復活の省察』(上巻)はいまや「わが座右の書」、今朝も延原さんからの「風の便りー今日の歌」が届きました。

毎日このブログに載せる歌と共に、歓びの歌に包まれて、新しい一日がはじまります。

本日からは「読書週間」が始まりますね。


ところで昨夜は甲子園の第二戦、テレビ観戦をしました。
タイガースは惜敗、試合終了直前には、稲妻と雷鳴が轟き、甲子園も涙雨・・・デシタ。

今朝は穏やかな朝ですが夕方には「こがらし一号」が来る予報も出ています。

やはりこの季節は関西も、急に寒さの到来があって、紅葉も日々美しくなってきます。


今日の写真は、一昨日の甲子園の第一戦の未掲載分です。撮影の順番に並べて置きます。


9回裏、歓声を承けながら、タイガースの抑え投手の彼が、外野の入場口より自動車に乗って登場してきます。こんなところ、はじめて見ました。