延原時行歌集「命輝く」(第1032回)(高野山駅ケーブルカー)
延原時行歌集「命輝く」(第1032回)
「復活の家出発進行――感謝無限の旅一歩一歩」(189−9)箴言はじめの歌、丸き口の歌、いざ本作りの歌、宇宙論神学の歌、復活形而上学的神学の歌、今日の日はの歌、あとがき成るの歌、日々の歌、人と復活の歌、主イエス祈り給ふの歌、麗しの歌、主の道麗しの歌、反論痒み消へし歌、あの日よりの歌、復活の歓びぞ今の歌、校了の歌、今の歌、変転の歌、さあの歌(2014年8月1日―10日)
8月10日
校了の歌二首
今日の日は昨秋クラクフ学会の拙論校了返送愉快(備考:”From Divine Solidarity to Ecological Theology”なり。編者Dr. Jakub Dziadkowiec有能なり)
この時代一日一歩世界をば支えることぞありて明日あり
今の歌十首
我がもし先逝きしなら我妻はいかばかりぞや困りしならむ
されどもや御神はぞや御旨にて妻笑み増して主と往かせ給ふ
本作る父さんやって妻の声我忠実に成しつある今
(備考:2014年2月13日北越病院にて祖父江八紀ドクター「何したい」と質問ありたるに「本作りたい。父さんやって」とノーちゃん応へしなり。これ我遺言と受け止めしなり)
妻の笑み我が類なきヒントにて復活思索恵まれにけり
人生の幸とは何ぞ和合ぞや父子ひらけてや天地合すぞ (備考:天に妹地に背なり)
思へばぞ在家称名開きてぞ延原信子IXIA! (イクイアーメン)
(備考:三木市金剛寺の延原家の墓「霊位」これなり。開きてとは、在家称名開祖のことなり。拙著『対話論神学の地平ーー私の巡礼のなかから』横浜・春風社、2006年、七・八・九章に詳述す)
人生の真実こそや現成す豈今一書歌はざらんや(備考:『復活の省察――妻と歌う:生くるとは深き淵より共々に甦ること喜びてこそ』新潟・考古堂書店、近刊、のことなり)
静々と御神の道進み往く御旨ぞ如何に尊きやこそ
在る限り我省察を成しゆかん日英にてぞ御栄のため
ことにぞや英書数巻集大成神哲学の真実示さん (備考:既刊論文三十数篇世界公開あれば今や旬なり)
♯ ♯
大きな台風が近づいています。現在まだ九州上陸前ですが、早朝より風も強まり台風の気配が出てきています。
昨夜のうちにベランダの鉢類は部屋の中に収めて台風に備えていますが、大過なく過ぎてもらいたいものです。
予定では本日、延原先生は三木市の金剛寺にある延原家のお墓ーー奥様の御遺骨と墓碑に「延原信子IXIA!」の刻まれているーーを詣でられ、私も御一緒させていただく予定でしたが、本日は外出は無理のようです。
今朝、先生の携帯電話にご様子をうかがってみましたが、うまく通じません。昨日まで学会の大役を終えられて、新潟の御自宅に向かっておられるのでしょうか。
ともあれ、今日と明日は日本列島は、台風で大荒れになります。お大事に! お大事に!
今日の写真は、未掲載になっていた「高野山駅ケーブルカー」です。
今回の旅の目的のひとつは、このケーブルカーを確認するためのものでした。
むかし戦前のことですが、父と母が、小児結核の幼いわたしを連れて、鳥取の片田舎から高野山を詣でていて、数間の写真のなかに一枚が、ケーブルカーのある高野山駅らしい場所で撮ったものがあって、父が早逝したあと、物心つくころになってから、わたしの姿もはいっているこの写真を見た記憶があって、いつか機会があれば、ぜひ一度それを確かめておきたかった場所だったのです。その願いが、やっとやってきたというわけです。
高野山には、確かにいまもケーブルカーがあり、この旅の帰途、「高野山駅」より「極楽駅」まで、70年ぶり?にこれに乗って、まことに感慨深くありました。
この小さな旅は、極楽橋駅より特急「こうや」に乗って「なんば駅」まで・・・・。
今回も撮影順に、高野山駅まえの広場から並べて置きます。