延原時行歌集「命輝く」(第1030回)(「高野山」続)

             

        延原時行歌集「命輝く」(第1030回)
「復活の家出発進行――感謝無限の旅一歩一歩」(189−7)箴言はじめの歌、丸き口の歌、いざ本作りの歌、宇宙論神学の歌、復活形而上学的神学の歌、今日の日はの歌、あとがき成るの歌、日々の歌、人と復活の歌、主イエス祈り給ふの歌、麗しの歌、主の道麗しの歌、反論痒み消へし歌、あの日よりの歌、復活の歓びぞ今の歌、校了の歌、今の歌、変転の歌、さあの歌(2014年8月1日―10日)

    8月8日
          主の道麗しの歌三十二首

   (一)神人不可分不可同不可逆の解ーー至誠心の神学の歌

   神人の不可分はぞや神のみの属性なるはあり得ざるなり

   誠にやそれ独自なる実在ぞ父子ひらけこそその名なりけり
   父子ひらけありてこそなり神も人至誠なるべき命受けたるや

   神至誠にぞ在り給ふ然れども人至誠には非ざるぞかし

   神人の不可同かくて成りてこそ至誠なれよと神人に述ぶ
   不可逆の神人関係かくて成る至誠なる神至誠を勧む
   かく見れば不可分不可同不可逆は同じ次元成すことぞなき
   不可分は実在次元成す故に神も人もぞ至誠なるべし
   不可同は神至誠在り給ふ人然らずの態度次元ぞ
   不可逆はにも拘らず神至誠人に懇望恩寵次元や
   (二)反論哲学の歌

   然るにや三概念に同一の存在次元見しや恩師ぞ
   恩師はぞ不可分不可同不可逆が原点成すと拠点構築

   この拠点不動の基なりとてや両師を批判論駁開始
   バルトにや先生不可分欠けたるよ言ひつ詰りつ西田片持つ

   西田にや先生不可逆なきは何故言ひつ詰りつバルト片持つ
   かくしてぞ滝沢理論反論の哲学として確立成れり
   (三)三次元の歌

   我見るに三概念に動きあり不可分はこれ実在次元
   不可同は態度次元の事柄ぞ而して不可逆恩寵次元

   然らばや最重要の事柄はこの動きのぞ発源にあり

   (四)不可分発源点かつインマヌエル二重性の歌

   神人の不可分こそぞ発源点父子ひらけとぞ我言へるなり
   父子ひらけ包括的のロゴスなりこれ神人の不可分を成す
   成しつつや全体として恩師言ふインマヌエルの原事実成す
   さらばこそ滝沢の言ふイマヌエル父子ひらけのぞイマヌエル秘す

   それ故に我ら称名イエスースクリストス実に「イマヌエル」アーメン
   この場合イマヌエルとは二重なり太初のロゴス父子ひらけ秘す
   (五)原点変転ーー祈り主の道の歌

   父子ひらけ太初のロゴス包みつつ然るゆえにぞ原点変転
   もしもぞや太初ロゴスが原基なら原基不動の動者なるべし

   然れども父子ひらけこそ最深の実在なるや主の祈りあり
   主の祈り捧げられしは太初のぞ栄変転華やぎと化す   (備考:ヨハネ福音書17章5節熟読参照)

   一切の反論に換へ祈りをば心とせるや主の道麗し
   (備考:復唱)

   主の道や主の祈り道主に祈るはるか先にぞ主ぞ祈ります(備考:ヨゼフ・ルクル・フロマートカ著『人間への途上にある福音ーーキリスト教信仰論』平野清美訳・佐藤優監訳[東京・新教出版社、2014年、356頁]は「主の祈り」を「主への祈り」[マタイ福音書6章9−13節;ルカ福音書11章2−4節]と記述し、人間主体化したるも、正しからず。これ著者フロマートカ氏「主の祈り」の原点・原典「ヨハネ福音書17章5節」知らぬ故なり。この同定我が発見なり。拙著『宇宙時代の良寛ーーエコ神学者トマス・ベリーと共に』新潟・考古堂書店、2013年、130−133頁参照)

   主の祈りなべて人為す反論を超へてある故復活ぞ成る(備考:ヨハネ福音書17章5節熟読参照。主の父に祈り給ふ太初の栄の輝き・華やぎ「復活」なり)



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大きな台風が神戸を目指して?近づいています。
今朝は曇りの朝ですが、昨日の夕陽は、上のように美しいものでした。


昨日は「賀川豊彦の畏友・村島帰之」の掲載リストづくりや次号「ボランティア」向けの原稿準備がはかどりました。仕事の秋ですね。午後にはいきつけの歯医者さんで歯のメンテナンス・・・まだしばらくかかりそうです。


今日の写真も「高野山」の続きです。この度も撮影順に並べます。