延原時行歌集「命輝く」(第1022回)(兵庫県いけばな展:於DAIMARU神戸店)

              


        延原時行歌集「命輝く」(第1022回)
「復活の家出発進行――感謝無限の旅一歩一歩」(188−8)今朝の歌、逆理命の歌、本作り摂理やねの歌、あの頃と今の歌、我悟りたりの歌、箴言開始の歌、天父直参の歌、気が付けばの歌、天地にの歌、言磨くの歌、神人不可分ひらけの歌、嬉しくもの歌、昨晩はの歌、欣求の歌、仮にもしの歌、日々にの歌、笑み増しの歌、朝まだきの歌、恩寵先行(ともかぜ=笑み増し)の歌、歌と歌の歌、文やありの歌。(2014年7月21-31)

   7月30日
       恩寵先行(ともかぜ=笑み増し)の歌十二首

   絶命の次に何故想起のぞ柔らかき笑み浮かび出でたる   (備考:これ根本的問いなり)

   それはぞや絶命の時いち早く理解の風や吹きおりしゆえ(備考:理解は、形而上学的に言へば、以下のホ氏に言説が妥当せり: “Each actuality in the temporal world has its reception into God’s nature. The corresponding element in God’s nature is not temporal actuality, but is the transmutation of that temporal actuality into a living, ever-present fact.” [PR, 350] =「時間的世界における各現実態は、神の本性に受容される。神の本性におけるそれと対応する要素は、時間的現実態ではなく、あの時間的現実態が、生きて常在する事実へと変転されることである。」ホワイトヘッド著作集 第11巻『過程と実在(下)』山本誠作訳、京都・松籟社、624頁。訳文に引用者による改変あり。「生きて常在する事実への変転」を我「理解の風」と呼ぶなり。拙著『宇宙時代の良寛・再説ーーホワイトヘッド風神学と共に』新潟・考古堂書店、2014年、76、250-251、258頁参照)

   御神の理解先にぞ在りたればこれ受け妻や想起始めぬ
(備考:想起の現象は、先ず宇宙に宇宙的想起が神の帰結的本性によって行われるのでなければ、個人において生起することあるはずなかるべし)

   その時や冒険の風吹きおりし先ずは足下主ぞ底破る(備考:冒険は、ホ氏によれば、二つの要素を含めり:①実在の「現象の統一態」[Unity of Appearance]への変転;②変転した実在は「それぞれ《その適宜な注目の分け前》(its due share of attention)を要求する、前進しつつある世界のリアルな諸機縁を必要とすること。前掲『観念の冒険』409頁=AI, 295;拙著『宇宙時代の良寛・再説』235頁参照。「先ずは足下主ぞ底破る」と言ふは、人の存在する原事実を足下からさらに深く破り超へることにより「天父と共なる通路」[『ヨハネ福音書』1章1節第二項]を通じて天父へと飛翔するを含意するなり)

   我妻は足下をぞや確かめぬいち早く主は天父祈れり

   称名の笑み顕れぬ妻の面その時すでに慈悲の風吹く(備考:「慈悲の風」については拙著『宇宙時代の良寛・再説』256-257頁参照)

   お優しき天父御心妻右眼慈しみ給ふ御国の招き

   慈悲の風享けてぞ妻は右眼をばほのとあけては笑み増し往けり

   かくてぞや我妻笑みて御国入る御神の風乗るやともかぜ

   奇しくもや笑み増しこそはともかぜよ恩寵在りて妻や飛翔す
   我妻や絶後笑み増し御神の理解冒険慈悲のかぜ享く
   かく見れば笑み五態こそ誠にや神のかぜ享け往きしなりけり
(備考:我妻の①伏し、②想起、③岸辺の主足下に発見、④称名、⑤天父へ飛翔の笑み増し五態、理解の風、冒険の風、慈悲の風、総じて恩寵の風享けしものなり。ノーちゃん、有難いことや。お恵みです、父さん)
 


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上は、今朝の神戸新聞と招待券です。

ご近所の奥様がいけばなの先生で、昨日よりDAIMARU神戸店で開催中の「兵庫県いけばな展」に出展中の御方から招待券をいただいて、でかけてきました。

大勢の来客者の中、男性はひとり・ふたり・・・。じっくりと満喫いたしました。よいひと時でした。

本格的ないけばな展は、この年になって初体験です。池坊小原流未生流・嵯峨御流・光風流・草月流・華精流などいろいろあって・・・。

写真OKでしたので、バッチリ収めてきました。