延原時行歌集「命輝く」(第1010回)(昨日のぶらり散歩)

              


        延原時行歌集「命輝く」(第1010回)

「復活の家出発進行――感謝無限の旅一歩一歩」(187−6)我妻よ箴言よ笑みよの歌、見ゆの歌、不思議にもの歌、我がベースの歌、笑みの歌、つくづくとの歌、信念や佳しの歌、井上設問の歌、道学ぶ道の歌、偉い人やの歌、詠ふ時の歌、先達にの歌、歌詠ふの歌、右眼の歌、先達やの歌、今日の歌、かかる事の歌、朝餉にぞの歌、笑みこその歌、この真理の歌、時の不思議の歌、愛の歌、人生涯の歌、祝福の歌、また会ふの歌、快調にの歌、いと有難しの歌、おもむろにの歌。(2014年7月11日-20日

    7月15日
            先達やの歌二首

   先達や我が旧二著を褒め給ふご推奨実に身に余る幸(備考:『至誠心の神学』『対話論神学の地平』なり。御論考「井上洋治神父追悼論文 遠藤文学と井上神学」と響き合ふ要素の故なるや?)

   妻以上愛されし人なしとぞや書きつ示さる「実感ぞ笑み」(備考:「女性の生涯は、愛し、愛されるということにあるとすれば、奥様以上に真の意味で夫君に愛され、敬愛された人はいなかったのではないでしょうか。そしてその「相互愛」には永遠の刻印があり、創造的なものであることが、風の歌からよく理解できます。その実感が「笑み」のような気がしてなりません」)

              今日の歌五首

   夢の中「準備完了」響きありさて何始まるや我や知らずも
   玄関に包みありたり薔薇のジャム他美味各種風吹き来る
   豊中に魚沼米を贈らばや信子の心受けし声あり   (備考:ノーちゃん、えらい喜んではるわ。おおきにね、父さん)

   楽しきは歌作りつつ歌直し歌になる歌歌と呼ぶとき
   熱誠の友より歌と米の謝辞いやブログにぞ感謝無限も

            かかる事の歌四首

   悲劇をば汝悲劇とぞ嘆く聴き御神嘆き汝が歌とさる

   かくほどにお優しき方天に在す汝や知れよや天地包めり(備考:ロゴス神学的には、第二項ロゴス[ヨハネ福音書1章1節第二項:「ロゴス神と共なりき(pros ton theon)」]第一項ロゴス[同第二項:「太初にロゴス在りき」]包むなり)

   かかる事驚嘆するやなべて人我妻如く笑み増し往くや
   天が地を包み給ふをホ氏や言ふ「冒険実在一に化す」(備考:”In this Supreme Adventure, the Reality which the Adventure transmutes into its Unity of Appearance, requires the real occasions of the advancing world each claiming its due share of attention. “ [AI, 295] 一とは、第二項ロゴスと第一項ロゴスの統一、天と地の一のことなり)

    7月16日
           朝餉にぞの歌十首

   朝餉にぞグレープフルーツ食しおり少しく苦味あるは佳しやと

   新聞もゴミ出し終へし我なれば朝餉取りつつ歌直す佳し
   歌こそは我が糧なりき三年余妻倒るとぞ詠ひつつ来ぬ
   倒るれば倒るるままを詠ひ来て妻と春見し歓び無尽(備考:我妻と春見るべしと思ひきや命輝く新発田病院 時行 2011年春)

   歓びや最高の幸言ひし妻突如召されし驚愕の日や   (備考:2014年3月11日)

   棺の蓋開けたるやしも我や見ぬ柔らかき笑み咲くや主と共   (備考:2014年3月12日深夜)

   驚愕は歓びの歌笑みなりき滅して不滅天父御声に
   これやこそ現実なるか声ぞある「我信子をぞ甦らせし」   (備考:2014年5月20日早朝の夢における天父の御言葉なり)

   復活のグレープフルーツ苦味ありされど現実妻笑み往けり
   限りなきお優しさこそ天父さま備え給ひし御恵みの道



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昨日は、賀川督明さんの御逝去の報を記しました。
延原先生からも当方を介して、奥様の一枝さんへの弔意のことばもお届けし、一枝さんからは、「今は古い傷ついた身体を脱ぎ捨て、清い魂となって、昇っているのでしょう。穏やかに眠っています。多くの方の励まし、お慰めに心から感謝いたします。返す返すも、友が我々二人の最大の財産だと思い知りました。本当にありがとう。」ということばを、督明さんのいいお写真と共に、お便りをいただいています。

東京において「お別れの会」が持たれますが、私たちの神戸においても同様に、督明さんを偲ぶ集いが持たれます。


ところで、神戸の私たちの長田区で、小学一年生の女児が行方不明となって一週間余りが経過し、現在も手掛かりもつかめていません。長田区でも山の手における出来事ですが、私たちの下町でもみな、気にかけて日々を過ごしています。

過日の「高取山登山」も、ひょっとして何か手がかりが見つかるかもと思いながら歩きました。昨日のぶらり散歩も、少しまちの山の手方面を散策いたしました。

今日の写真は、そこで出会った美しい花たちです。小さな柘榴の木もあって、小さな実をつけていました。