延原時行歌集「命輝く」(第1009回)(高取山登山の未掲載分)

              


        延原時行歌集「命輝く」(第1009回)

「復活の家出発進行――感謝無限の旅一歩一歩」(187−5)我妻よ箴言よ笑みよの歌、見ゆの歌、不思議にもの歌、我がベースの歌、笑みの歌、つくづくとの歌、信念や佳しの歌、井上設問の歌、道学ぶ道の歌、偉い人やの歌、詠ふ時の歌、先達にの歌、歌詠ふの歌、右眼の歌、先達やの歌、今日の歌、かかる事の歌、朝餉にぞの歌、笑みこその歌、この真理の歌、時の不思議の歌、愛の歌、人生涯の歌、祝福の歌、また会ふの歌、快調にの歌、いと有難しの歌、おもむろにの歌。(2014年7月11日-20日

    7月13日
             先達にの歌三首

   先達に文我が歌にいただきぬ万葉以来伝統のとぞ(備考:小野寺功先生7月8日付御文書き出し:「拝復 先日は、ご丁重なお便りと「風の便り」を有難うございました。これらを拝読し、日本人の窮極の想いは歌集になるという万葉以来の伝統の真実を嚙みしめております。「妻にだけ心注ぎし三年余清々しきや我が身我が時」 そしてこの思いはいかなる宣教活動や理論形成にもまさる真実を秘めています」)

   世に奇蹟あるとせばこれ理解者を得ることに在り天父先達
   まだまだよ言ふ神父にぞ先達は未来感得し給ひし如(備考:小野寺功「井上洋治神父追悼論文 遠藤文学と井上神学」『プネウマ 風』第96号、2014年春、56頁:「かつて私が興味深く読んだ『日本カトリシズムと文学』(戸田義雄篇。大朋堂)には、最後の方で「日本カトリシズムの原点と成熟」というシンポジウムが掲載されている。そこには井上神父のつぎのような発言がみられる。「。。。西洋キリスト教は根づかない。日本キリスト教はまだ無い。これが正直なところだと思います。遠藤さんの「同伴者イエス」、北森さんの「神の痛み」、滝沢さんの「エンマヌエル」、八木誠一さんの「統合への規定」、小野寺さんの「絶対無」などの宗教哲学・神学などですね。しかしまだまだだと思います。日本におけるキリスト教はこれからなんですよ。」たしかにこれはまだ微弱な兆候にすぎず、将来最も有望なものとして、私は誰よりも、遠藤周作と共に井上洋治の「神の悲愛の神学」を加えたい」)

    7月14日
             歌詠ふの歌七首

   悲劇にも歌や詠はん悲劇超へ天父の許に達するや笑み

   ただ悲劇のみなる事はあり得ざる歌詠ひてや今日の我在り

   歌とはぞ存在根底底ありて大いなる方仰ぐ道こそ(備考:歌とは「ロゴス神と共なりき(pros ton theon)」[ヨハネ福音書1章1節第二項]の道の事、主の祈り[ヨハネ福音書17章5節=マタイ福音書6章9節]なり)

   この道を昇り往くこそ嬉しけれ歌詠ふこそ人の道哉

   人生は存在根底には終らぬよその底ありて歌響くなり(備考:存在根底とはこの世の根底なり。それより深き底・消息ありてこそあの世・永世・永久の不滅に至るなり。その道歌なり、主の祈りなり)

   歌がぞや歌なることの理は底を省み翔ぶ逆理こそ
(備考:単に脚下照顧には非ざるなり。存在根底の底即ち天父と「共」(pros=gegenueber、上方に向かひて)なるロゴス、御子なれば、下を省みこと直ちに天父への飛翔なり。この逆理こそ復活の真実なり。「黄泉に下りて三日目に甦り給ふなり。」この真実主の復活なり。この真実称ふこと我ら人の歌詠ふうたなり)

   巧まずや我妻ぞ笑み増しつつや歌詠ふうた表しにけり

    7月15日
             右眼の歌十首

   生涯が成就すること主体のぞわざと見做すやちと厚かまし

   滅してぞ不滅なるこそ人の道我妻右眼ほの示す如(備考:ホ氏も示せり:”We perish and are immortal.” [PR, 351, 82])

   既にして絶後の右眼なるにもや笑み増し往けりほのと開きて

   これほどに顕わさるるやお優しき天父御心喩へ様なし
(備考:2010年12月1日落ちし時救急車にて瞳孔全開の宣告受けるも翌11年2月2日我妻の双眸ひらく春初め 時行 と我詠いたる妻の右眼、2014年3月13日我が家の告別式より出棺のおり,ほのと開きぬ。如何にお優しきかは、実に、言ふ言葉なし)

   御神は対象ならず内面の主体なり言ふ人あるや何故
   我妻の絶後の右眼ほのひらき笑み増し往くや主体なきまま
(備考:これやこそこの世の主体もはやなき「外在的」超越の事象なり)

   笑みこそは主体なきままなればこそ溢れ出ずるや御神の慈悲
   笑みや出ず主体死すれば死するほど実に死するとは不滅ゆくこと

   死にはぞや二義あることを知るべしぞこの世去る事御国入る事

   絶後にてこの世去るとも時措かず御国入る事これ笑み極意



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上の記事は、今朝の神戸新聞です。神谷先生の没後出版された名著『うつわの歌』の「新版」が過日みすず書房よりでましたが、そこに新たに晩年病床で書かれた三篇の詩が収められたことを告げる記事です。神谷美恵子さんのロングセラーはまだまだ続いていますね。


ところでただ今、療養中の賀川督明さんが昨夜、ご自宅で急逝されたとのお知らせを、奥様の一枝様からお受けしました。(本日未明のメール便でいただいていましたが、ただいまこれを開きました)

「食事中に食べものが喉に詰まっての窒息です」とのこと。奥様と三匹の愛犬たちに看取られて・・・。お写真も添えて届けてくださいました。いずれ詳しいご予定など、正式なお知らせと報道があると思います。


過日のKagawa Toyohiko『Cosmic Purpose』の出版を記念する集いの折の、督明さんの記事と写真を、このブログでもみじかくお届けしましたが、先日の賀川記念館における法人の会議と「感謝会」には、体調不調のため御欠席でした。

賀川督明さんは、2009年の「賀川豊彦献身100年記念事業」の中核的な役割を担われ、この時再建された新しい賀川記念館の館長として、特に賀川豊彦ゆかりの生協関係の諸団体などの招きに応えて、全国各地における数多くの講演活動に東奔西走されて、大きなお仕事を続けてこられました。神戸大学をはじめ、若い学生たちとの交流も重ねておられ、まだお若く還暦を迎えられたばかりでした。

ここ数年、督明さんの癌闘病中の奥様のお働きぶりは、奥様のメルマガWORKBENCH DIARY において、闊達な文章とお写真で、知友に公開してこられました。


今日の写真は、先日の「高取山登山」の未掲載分の数枚を収めます。今回も撮影順に並べます。登りの森林浴が最高です。