延原時行歌集「命輝く」(第1007回)(ぶらり散歩:ふたたび曼珠沙華)

              


        延原時行歌集「命輝く」(第1007回)
「復活の家出発進行――感謝無限の旅一歩一歩」(187−3)我妻よ箴言よ笑みよの歌、見ゆの歌、不思議にもの歌、我がベースの歌、笑みの歌、つくづくとの歌、信念や佳しの歌、井上設問の歌、道学ぶ道の歌、偉い人やの歌、詠ふ時の歌、先達にの歌、歌詠ふの歌、右眼の歌、先達やの歌、今日の歌、かかる事の歌、朝餉にぞの歌、笑みこその歌、この真理の歌、時の不思議の歌、愛の歌、人生涯の歌、祝福の歌、また会ふの歌、快調にの歌、いと有難しの歌、おもむろにの歌。(2014年7月11日-20日

    7月12日
           つくづくとの歌一首

   つくづくと思ひなすなり妻の怪我6%あとは奇蹟よ(備考:6%の生存率とは執刀医渡辺徹ドクターの2010年12月1日県立新発田病院に緊急治療室における手術直前の診断なりき。我あとは全部奇蹟「天父のお優しさ」なりと主と共に信ず)

           信念や佳しの歌七首

   奉仕すも甲斐なき人生思ひしや妻や落つ途端に生気手のうごきあり
(備考:寝かされし居間にて書棚の本右手にて二度引きて、三度目には洋傘掴み、上智講演に行ってとや、意識朦朧中にて我に勧めぬ)

   頭打ち快活なれり歓喜妻父さんとこに帰らば佳しと(備考:「父さんとこに帰ったら何とかなるんや」と手術台にて思ひしこと幾度となく述懐せり。「それで、ノーちゃん、何とかなったんか」「おおなりや」。驚くべき妻なり)

   大確信抱きし妻に見しものは命逆理の姿なりけり
   (備考:悲劇あらばあるほど元気出ずるなり。失へば得るなり)

   遂にぞや見しもの実にも絶後笑み天父祝福注ぎ往くまま
   生涯の最後の望みこれなりき本作りたい父さんやって
(備考:2014年2月13日北越病院にて祖父江八紀ドクターの質問「何やりたい?」に応へてなりき)

   成程ね父さんとこに帰らばや本出ずるぞや信念や佳し
   かくてぞや妻信念を我体し本作る快妻近くあり

    7月13日
            井上設問の歌十首

   存在の次元如何にぞ関係の次元転ずや井上設問
(備考:笑みの歌(12日)第九首備考、前掲小野寺論文55頁:「このように神を絶対無とみる場合、パーソナルな神との関係がどうなるのかは、当然問われることになる。これについて井上神父は、『まことの自分を生きる』の中で、次のように答えている。『イエスの考え方を私流に解説することをゆるしていただければ、それは次のようになる。すなわち、いわば《存在の次元》、”静”の次元においては絶対無、神聖なる闇としかいいようのない神が、私たち、生きとし生けるものとの《関係の次元》、”動”の次元においてはパーソナルな神として、さらにいえば悲愛の親神としてみずからを現前させるのだということなのである。』」)

   我応ふ絶対無のぞ根底になほ底ありて天父向ふや(備考:根底の底は「根底」を否定するなり。「絶対無」を無化するなり。かくて無化絶へざる力動的場を成して彼方の大いなる御方に向かふなり。これロゴス神学的には、「ロゴスは神と共なりき(pros ton theon)」ヨハネ福音書1章1節第二項に言ふ、ロゴスの神への「共空間」なり。これを通じて万人の一切の思ひ出飛翔、父に奉献さるるなり。初めに在る「絶対無」「根底」、ロゴス神学的には「世の太初のロゴス」ヨハネ福音書1章1節第一項なり。そのままにてはこの「絶対無」「根底」この世からあの世に移行する動力なし。是非とも「絶対無」の無化、「根底」の否定なかるべからず。「根底」の否定根底よりも大いなる御方仰ぐ故に関係的に出ずるなり。「仰ぐこと」神秘主義者は「根っこが天に向きたる樹木」の表象にて表せり。何度も我書きし如く、恩師「深き低みよりさらに降ることなかるべし」との御立場固守し給ひし故に、「根底」の否定、飛翔、あることなし。『純粋神人論序説』274頁参照)

   かくてはぞ飛翔ホ氏言ふ冒険ぞ根底現象一へとぞ化す(備考:現象一、すなわち、現象の統一《its Unity of Appearance》[AI, 295]なり)

   根底は現象一へ冒険に化せられつつぞ世の動き容る(備考:ホ氏書けり:”In this Supreme Adventure, the Reality which the Adventure tansmutes into its Unity of Appearance, requires the real occasions of the advancing world each claiming its due share of attention.” [AI, 295])

   これやこそ復活の道現成ぞ根底変転天父への道(備考:ロゴス神学的には、根底「太初のロゴス」[ヨハネ福音書1章1節第一項]父を「我より大いなる御方」[ヨハネ福音書14章28節]と崇める故に、父への跳躍台と成り、万人の飛翔促すなり。かくて「神と共なる(pros ton theon)」共空間天父への道へと至るなり。これ絶対無を無化したる絶対無空間のダイナミックスなり)

   いや果てに天父奉献成りてぞや一切の言地に甦る
(備考:これ宇宙的基督の命(めい)ありてなり:「我が羊を飼へ」[ヨハネ福音書21章15,16,17節])

   かくてぞや妻の望みも進めらる本作りたい父さんやって

   上昇も下降も共に基督の御働き交互関係ありてこそ成る(備考:Cf.: "By reason of this reciprocal relation the love in the world passes into the love in heaven, and floods back again into the world. In this sense, God is the great companion—the fellow-sufferer who understands.” [PR, 351] 交互関係ーーシャルダンの言う①The Universe is centred; ②Christ is its Center. (The Future of Man, 324)なり)

   かくてこそ井上神父言ひ給ふ関係次元顕れたるよ
(備考:私見によるならば、井上神父言い給ふ「存在次元」ホ氏哲学の「創造第一相・第二相」なり、「関係次元」同様に「創造第三相・第四相」なり)

   この次元「ロゴス神なり」言ふ時の力動的なる神世界なり   (備考:ヨハネ福音書1章1節第三項なり)



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延原先生から届いた新たな写真帳(2014年8月16日作成)『信子の表情―田園を背景に<リハビリは祝福のリズムに乗って>God blessed the good day』(豊浦病院・2011年6月〜10年5日)より、歌に添えてはじめから一枚ずつ順番に収めさせていただいています。今回はその第二十九回です。


    
       在宅介護 訪問リハビリ 2013年7月
 北越病院 大島誠雄療法士 <座位も首もしっかりしていますね>
       時行 <ノーちゃん、よかったなあ>
       信子 <おおきに>  
  

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延原先生の歌に添えて収めています写真、いま三冊目の写真帳「信子の表情:豊浦病院・2011年6月〜10月5日・田園を背景に<リハビリは祝福のリズムに乗って>God blessed the good day」ですが、昨日は「2011年8月18日・一時帰宅」の写真でした。

この三冊目の写真帳には、今回の上の写真と明日掲載するもう一枚が添えられています。

それは御自宅『復活の家」に帰宅されたあとの「在宅介護」の時の写真です。今日の上の写真はに、週に一度、多分土曜日でしたでしょうか、北越病院の大島療法士の「訪問リハビリ」があって、この時間はご夫妻にとっても、格別のひと時であったように思います。


さて、昨日はぶらり散歩でみつけた、赤と白の曼珠沙華をUPしました。

その時、赤の曼珠沙華はわずかに一本の曼珠沙華でしたが、昨日のぶらり散歩では、なんとなんと、いま沢山の赤い曼珠沙華が、あちこちに咲いているじゃあありませんか。

昨日の散歩にはカメラを携帯していませんでしたので、あらためてもう一度出直して、沢山の曼珠沙華を寫してきました。今日はその写真です。



今回も昨日寫したノラ猫ちゃんたちと一層美しくなってきた柘榴を添えて置きます。