延原時行歌集「命輝く」(第1004回)(「一遍上人ゆかりの真光寺」未掲載分)

              


        延原時行歌集「命輝く」(第1004回)
「復活の家出発進行――感謝無限の旅一歩一歩」(186−12)此度もやの妹背対話の歌、歌書きの歌、天地一体の歌、深き対話の歌、一滴の歌、夢の歌、一滴の歌続き、添へ歌の歌、本作り命の歌、姿ともかぜの歌、風四態と笑み増しともかぜの歌、見(まみ)へしやの歌、永久にの歌、日々の歌、自問の歌、思索の歌、人がもしの歌、この頃の歌、いのち言葉の歌、写真帳の歌、癒ゆの歌、言甦りの歌(2014年7月1日―10日)。

    7月9日
             写真帳の歌二首

   今夜はぞリウマチセンター写真帳もう一部ふと作りたり佳し

   セリフをば裏に書き込みおるうちに在りし日の時今の時なり

    7月10日
             癒ゆの歌一首

   歌作り思索せるごと三年余我が酷使せる身心や癒ゆ

             言甦りの歌二十首

   我悟る妻本作り我がうちに内化する如ホ氏思想もぞ(備考:此度の本作り妻の箴言の言甦りーー我が心への対話における内化(internalization)ーーを教へし如く、ホワイトヘッドの哲学思想の内化の事実を「言甦り」と取る理解我が心に現れたり)

   我これを言甦りとぞ呼ばんかな天父奉献ここに至るも

   すべからく往きし人述ぶ言の葉ぞひとの心に甦るべし

   往きし人深く述べたる思想ほど深く染み入り人裨益すも

   このゆえに主の御言葉は尊くも読むごとにぞや甦り活く
(備考:言甦りの最大事象は聖書拝読による信仰復活なり。アウグスティヌスの場合、ローマ書13章12−14節「世はふけ、日が近づいている。それだから、わたしたちはやみのわざを捨てて、光の武具を着けようではないか。そして、宴楽と泥酔、淫乱と好色、争いとねたみを捨てて、昼歩くように、つつましく歩こうではないか。あなたがたは、主イエス・キリストを着なさい。肉の欲を満たすことに心を向けてはならない」、マルティン・ルターの場合、ローマ書1章17節「神の義は、その福音の中に啓示され、信仰に始まり、信仰に至らせる。これは『信仰による義人は生きる』と書いてある通りである」の真読は、言甦りなりき)

   人我や心勇みて生くるはぞ御言葉の今甦りてぞ

   正しくや称名こそは甦り計り知れざる生起の恵み
(備考:イエスース・クリストス・インマヌエール・アーメン!の恵み尊し)

   箴言は深み湛ふる言の葉ぞ読むほどにぞや甦りくる
   (備考:延原信子英文箴言の恵みも、言甦りにあり)

   復活の命かくまで働きて人も文化も活かされや往く

   箴言の添え歌やこそ箴言の甦りたる嬉しき姿   (備考:我が箴言の添え歌の機微、誠、「言甦り」にあるなり)

   良寛の元の誓ひの姿はぞ実にも誓ひの甦りなり
(備考:仏教にては良寛の「元の誓ひの姿なりけり」著しき言甦りの事象なり)

   言の葉の甦りゆくためにはぞ原事実底破れ飛翔や
   (備考:「言甦り」のためには原事実論の突破必要なり)

   この世のぞ深き低みのより下に潜りてこそぞ甦りや成る
(備考:「深き低みより下に下ることならじ」と恩師の如く言ふ限り、凡そ人も言葉も思ひ出も底の底なる主と共に天父に飛翔奉献さるる復活の道や誠あるなし。恩師『純粋神人学序説』274頁参照)

   尊しや言甦りありてこそ心の糧や豊かなりけり

   思で出を天父奉献ありてこそ言甦り地上に溢る
(備考:私見によらば、「言甦り」日ノ本の国に言はるる「言霊」の復活形而上学的解明なるも)

   文化とは笑み増しありて主と共に天往き地への言甦り

   人がもし尊き言葉思ふなら思ふ時にぞ言甦る
   甦る言ありてこそ文化はぞ初めて栄顕せるやも

   甦り天父奉献上昇と言甦り下降ありけり

   我が思索復活省察かくしてや笑み増し妻とかく往くや快


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延原先生から届いた新たな写真帳(2014年8月16日作成)『信子の表情―田園を背景に<リハビリは祝福のリズムに乗って>God blessed the good day』(豊浦病院・2011年6月〜10年5日)より、歌に添えてはじめから一枚ずつ順番に収めさせていただいています。今回はその第二十六回です。


    
       豊浦病院 408号室 2011年秋 
         時行 <ようねとるネ>
         信子 <グーグー>  
  

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上の写真、いいですね。「グーグー」「グーグー」「グーグー」。

わたくしもいつもいつも夜はバタンキュー、昼間もチトお昼寝などして、・・・。

昨日は、若き日夢を抱いてこのまちに住み、近くのゴム工場の雑役をはじめた時、若き記者さんの取材を受け、写真入りの大きな記事を掲載されたその記者さんがーーその後ずっと現在までお会いする機会のなかったーー、その記者さんの御顔「発言」が載った新聞の紙面に、出逢いました。

この御方は、当時(半世紀近く前)は神戸支局の記者さんでしたが、その記事によると、その後、外国特派員として国際報道にかかわり、本社の編集局長などを歴任してこられたとか・・。

懐かしくもあり、少々驚きましたので、早速失礼ながら、45年ぶりにお手紙を認めて、新聞社編集局気付で投函いたしました。御名前もぼやけてはいますが、多分間違いはないでしょう。さてハテこのお手紙は、うまく届きますかどうか・・・・。

あの時の新聞記事を機縁にして、その後多くの不思議な進展をしてきたことを、あらためていま思い返しています。

当時、わたしよりいくらか先輩の御年とみていましたが、昨日の記事の御経歴では少しお若いようで・・いまどこにお住まいかもわかりませんが、お手紙がうまく届き、いつか直接お会いして、来し方と今をゆっくりと語り合えたらいいですね。


本日の写真は、「一遍上人ゆかりの真光寺」の未掲載分を収めて置きます。

境内の隣の公園にある「和田の笠松
「秋風の吹き来る峰の村雨にさして宿かる和田の笠松





今日の写真は、