延原時行歌集「命輝く」(第1001回)(遊行の人・一遍上人御廟所)

            


        延原時行歌集「命輝く」(第1001回)

「復活の家出発進行――感謝無限の旅一歩一歩」(186−9)此度もやの妹背対話の歌、歌書きの歌、天地一体の歌、深き対話の歌、一滴の歌、夢の歌、一滴の歌続き、添へ歌の歌、本作り命の歌、姿ともかぜの歌、風四態と笑み増しともかぜの歌、見(まみ)へしやの歌、永久にの歌、日々の歌、自問の歌、思索の歌、人がもしの歌、この頃の歌、いのち言葉の歌、写真帳の歌、癒ゆの歌、言甦りの歌(2014年7月1日―10日)。

    7月7日
            日々の歌五首

   大茄子やふと求めてや味噌汁に入れて食せば見事美味なり

   人ありて前の溝泥除き給ふご親切にや頭下がりぬ
   熱誠の友文ぞあな嬉し歌褒め給ふほど嬉しきはなし

   友ありて夏の涼菓を御供に妻戴きぬもったいなくも

   日々は日々の如日々よ天の恵みと人の愛嗚呼

              自問の歌五首

   恩師言ふ原決定の原生起いかな場所にてこれあり得べし(備考:『あなたはどこにいるのか』102頁。原決定の原生起ありしならば、これ起こりたる場所「原決定」には非ざること明らかなり。然らば何処か。原決定を基礎づけるさらに「奥」なる場所なかるべからずなり)

   勿論や太初のロゴス在る前の神と共なるロゴス場にてぞ
(備考:「在る」とは世と共に太初に在るとの義なり。ホ氏これを《physical origination》と言ふなり。これに反して「神と共なるロゴス場」は神内部の事として、《conceptual origination》を事とするなり。我これ発見す。大いなる喜びあり、感謝あり、感動あり。ホワイトヘッド形而上学とロゴス神学、而して滝沢哲学と繋がりたりるも)

   誠それ原事実のやその奥ぞこの奥ありて救ひぞある(備考:救ひ神にに非ず、神とロゴスの間に在るなり:「父よ、それは、あなたがわたしのうちにおれれ、わたしがあなたのうちにいるように、みんなの者が一つとなるためであります。すなわち、彼らをもわたしたちのうちにおらせるためであり、それによって、あなたがわたしをおつかわしになったことを、世が信じるようになるためであります。」ヨハネ福音書17章21節。すなわち、「ロゴスは神と共なり(pros ton theon)」こそ救ひなり。原事実はそのための徴なり、原事実の底破れ、天父へと飛翔する時、飛翔の共空間あり。これ「Pros ton Theon」なり、これ救済の場なり)

   この奥ぞ我ら思ひ出携へつ天父に奉献いたす当処ぞ   (備考:我妻の人生神学のそもそも向かふところの奧所これなり)

   我妻や救ひの当処めざしつつ岸辺の主とぞ飛翔す嬉し

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延原先生から届いた新たな写真帳(2014年8月16日作成)『信子の表情―田園を背景に<リハビリは祝福のリズムに乗って>God blessed the good day』(豊浦病院・2011年6月〜10年5日)より、歌に添えてはじめから一枚ずつ順番に収めさせていただいています。今回はその第二十三回です。


    
      豊浦病院 四階ホール(食堂)にて
      2011年8月18月 豊浦の田園を背景に
       時行 <ノーちゃん、一時帰宅や>
       信子 <うれし>  
  

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秋です。毎日の雲が美しく・・・。これは昨日の空です。

昨日のおでかけは、また愛車のチャリンコに乗って、近くの真光寺を訪ねました。ここは一遍上人の御廟所があって、久しぶりに一遍さんにお逢いしてきました。ひろい境内に、ひとひとりいない、贅沢なひと時でした。