延原時行歌集「命輝く」(第1000回)(神戸南京町の「中秋節」)

             


        延原時行歌集「命輝く」(第1000回)

「復活の家出発進行――感謝無限の旅一歩一歩」(186−8)此度もやの妹背対話の歌、歌書きの歌、天地一体の歌、深き対話の歌、一滴の歌、夢の歌、一滴の歌続き、添へ歌の歌、本作り命の歌、姿ともかぜの歌、風四態と笑み増しともかぜの歌、見(まみ)へしやの歌、永久にの歌、日々の歌、自問の歌、思索の歌、人がもしの歌、この頃の歌、いのち言葉の歌、写真帳の歌、癒ゆの歌、言甦りの歌(2014年7月1日―10日)。

    7月6日
          見(まみ)へしやの歌八首

   我妻の絶後笑み増し見(まみ)へしや我が思索はぞ一新さるる

   今までは復活省察言ひしやも死者の復活今我や見つ

   妻の笑み告ぐるものこそ尊しや滅して不滅基督いのち
   死して妻実に不滅をぞ経験すたんに死するに非ずなりけり

   死すればぞ死するほどなり妻笑みぞ岸辺立つ主と溢れいずるや

   この歓喜霊位に彫りて示したり延原信子IXIA!(イクイアーメン!)(備考:三木市金剛寺延原家乃墓霊位にあり:Iesous Xristos Immanuel Amen! 「イエスはキリストなりとは神我らと共に在すとの義なり。誠に然り」)

   称名の基教霊位やいと嬉し仏教国に基督仰ぐ

   我が母も称名唱へつ召されしやイマヌエルアーメン信子勤行
(備考:延原きよの1990年1月17日行年81歳なり。「イエスース・クリストス・インマヌエール・アーメン!」称名しつつ「御国見ゆる」言ひつつ召されしなり。常になき事なり。拙著『無者のための福音――プロテスタント原理の再吟味を媒介に』福岡・創言社、1990年、あとがき参照。霊位「延原信子IXIA!」永久の信子勤行しめすなり:2014年3月11日行年72歳なり。笑みつつ往けり。常になき事なり。基督称名我が家の伝統なり)

             永久にの歌四首

   霊位あり本やいずるや信子様汝が笑み増しぞ永久に主をほむ

   日ノ本に基教伝はり幾世紀汝が笑みこそは称名のうた

   称名の基督教の輝きは霊位にぞあり御国の栄
   伝道の永き日々こそ尊しや今称名の霊位香し


       ♯        ♯


延原先生から届いた新たな写真帳(2014年8月16日作成)『信子の表情―田園を背景に<リハビリは祝福のリズムに乗って>God blessed the good day』(豊浦病院・2011年6月〜10年5日)より、歌に添えてはじめから一枚ずつ順番に収めさせていただいています。今回はその第二十二回です。


    
      豊浦病院 四階ナースステーション前
          2011年8月18月 
      佐谷美千代看護師長 <よかったですね>
      時行 <ノーちゃんもう直ぐ父さんの車で帰るヨ>
      信子 <うれしいこっちゃ>  
      高沢智子看護師 <お気をつけてね>
      駒形優子看護師 <おめでとう> 


        ♯              ♯


延原先生の歌集をこのブログでUPさせていただいて、本日で1000回目です。昨日も先生から「こうして毎日、歌を詠むなかで、はじめて見えてくるものがある」と語られていました。

歌ごころのない私にも、歌を通して、先生の毎日の生活の気分が伝わってきます。同時に先生の歌は、一見難解に思える先生の論文や著作を読む、大事な手引きになるのも、ありがたく・・・。

1000回で何首詠われたのか数えてはいませんが、今日も明日も明後日も、新しい歌がずんずん産み出されてまいります。

この小さなブログも、世界に開かれて、毎日この歌を楽しみにしておられる方々があって、こうして毎朝、ひと時をこの作業をできることは、いつも静かな喜びを伴います。あさのおつとめ、というところでしょうか。


今日は快晴の爽やかな朝です。上は、昨夜の名月です。小さなデジカメで寫したものですが、見惚れてしまいました。

秋の収穫を祝う「中秋節」のお祭りが、昨夜まで三日間、神戸南京町で開催されました。7日の夕方、南京町で食事をして、迫力のある伝統の舞いや演奏を楽しみました。

このお祭りには古くから、神戸市立兵庫商業高校の生徒たちが毎年練習を重ねて、見事な舞を演じてきていますが、今年も大変な盛り上がりを見せていました。

そして中国料理店に飾られていた面白い置物や女性の皆さんの静かな演奏や・・・。

中秋節初日の神戸新聞の記事を最後に。