延原時行歌集「命輝く」(第998回)(故郷から二十世紀梨)

             


        延原時行歌集「命輝く」(第998回)

「復活の家出発進行――感謝無限の旅一歩一歩」(186−6)此度もやの妹背対話の歌、歌書きの歌、天地一体の歌、深き対話の歌、一滴の歌、夢の歌、一滴の歌続き、添へ歌の歌、本作り命の歌、姿ともかぜの歌、風四態と笑み増しともかぜの歌、見(まみ)へしやの歌、永久にの歌、日々の歌、自問の歌、思索の歌、人がもしの歌、この頃の歌、いのち言葉の歌、写真帳の歌、癒ゆの歌、言甦りの歌(2014年7月1日―10日)。

    7月5日
            本作り命の歌十五首

   我妻が本作りたい願ひつつ父さんやって言ひし時佳し
(備考:2月13日北越病院にて祖父江八紀ドクター妻に訊き給ふ「何したい」「本作りたい。父さんやって」)

   かくてこそ命願ひぞ明示さる我が本作り妻が命と

   命とは願ひなりけり人それを人に預けて二人して成す

   もはやぞや命永きか短きか重きならずも継ぐ者あれば
   継ぐ者や客体的の不死性とホ氏言ひにけり見事なりけり

   かくてこそ個体の命死後にぞや求む愚を避く命繋がり
   而してや霊の主体ぞ絶後にぞ主と共天父至りなば如何
   御神に戴きてあり霊体や天より下り地にて継がるる
(備考:飛翔と天下りにホ氏の言ふ「交互関係」《reciprocal relation》[PR, 351]あり。それ宇宙中心基督のことなり。これシャルダン言へり:”The Universe is centred; Christ is its Centre." [The Future of Man, 324])

   個の命のみが命と固執すな汝が願ひこそ継がれ生くるも

   継ぐ者と願ひのぬしの繋がりやこれぞ命と言ふべきぞ哉   (備考:なあ。ノーちゃん。そうや、父さん)

   主体がぞ常に主体とありたきは繋がりなきの固執なるやも

   この固執天父飛翔を信ぜざる今生主義のなれの果てやも

   我無者と覚ゆればこそ妻命出ずるべしとぞ本作り佳し
   仏教の往生と言ふ含蓄や往きて生くると言ふことぞかし

   人誠岸辺立つ主と笑み往きて本作り成す命なりけり

            姿ともかぜの歌四首

   良寛が元の誓ひの姿とぞ詠ひし誠妻笑み示す

   岸辺立つ主ぞおはします有難き命理(ことわり)妻や笑み往く
   冒険の風吹きて人甦り笑みて示すは感謝ともかぜ
   (備考:冒険の風復活主のことなり)

   此度のぞ「妻と歌ふ」は何あらう前著良寛末尾補注ぞ
(備考:此度の書『復活の省察ーー妻と歌う:生くるとは深き淵より共々に甦ること喜びてこそ』(上下巻)は、前著『宇宙時代の良寛・再説ーーホワイトヘッド風神学と共に』[新潟・考古堂書店、2014年]末尾に記せし「ともかぜ」思想の詳細なる補注なること明敏なる読者諸賢のご明察ある通りなり。人生の最後に人大冒険あり。この世超ゆるところに覚あるの事なり。良寛一首にてこれ示せり:我が後を助け給へと頼む身は 元の誓ひの姿なりけり。我妻や絶後に笑みて岸辺立つ主と共にぞや御国入り 人如何に悲惨なるとも裏らからぞ神共にます見れば微笑ぞ)


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延原先生から届いた新たな写真帳(2014年8月16日作成)『信子の表情―田園を背景に<リハビリは祝福のリズムに乗って>God blessed the good day』(豊浦病院・2011年6月〜10年5日)より、歌に添えてはじめから一枚ずつ順番に収めさせていただいています。今回はその第二十回です。


    
       豊浦病院 一階リハビリ室 2011年9月 
       津村療法士 <左脚しっかりしてますネ>
          信子 <おおきに>  
 

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今朝は、錦織圭選手の準決勝の勝利・決勝進出のニュースで沸いています。彼はわが故郷・鳥取のお隣り・島根の出身で故郷が盛り上がっています。

昨日は、秋の味覚・二十世紀梨がわが故郷−−鳥取県倉吉市関金町大鳥居ーーの梨園からのもので、一枚のちらし「関金町から見た大山」が入っていました。

この景色は、幼いころからずっと見届けてきたもので、新鮮なこの梨の味と共に、一枚のこのちらしは、大いに気に入りました。この梨園の御主人はいま、兄の遊び仲間でもあるようです。

梨園には毎年、お袋が「梨の袋かけ」の仕事に出かけておりました。


本日午後はまた「神戸文化ホール」のコンサートに、そして神戸元町南京町の「中秋節」をのぞいてくる予定です。

今回の写真は、9月2日に訪問した「祥福禅寺」の未掲載のものを少し収めて置きます。