延原時行歌集「命輝く」(第994回)(神戸・祥福禅寺)

             


        延原時行歌集「命輝く」(第994回)
「復活の家出発進行――感謝無限の旅一歩一歩」(186−2)
此度もやの妹背対話の歌、歌書きの歌、天地一体の歌、深き対話の歌、一滴の歌、夢の歌、一滴の歌続き、添へ歌の歌、本作り命の歌、姿ともかぜの歌、風四態と笑み増しともかぜの歌、見(まみ)へしやの歌、永久にの歌、日々の歌、自問の歌、思索の歌、人がもしの歌、この頃の歌、いのち言葉の歌、写真帳の歌、癒ゆの歌、言甦りの歌(2014年7月1日―10日)。

    7月2日
           天地一体の歌十一首

   天と地の一体主ます故にこそ天地一体本作り成る
   妻天に我地上にて励みつつ本作りなす実にも楽しき

   基督ぞ岸辺立つ主にましませば滅して不滅妻笑むやほど

   実在を天地一体へと化するものにしあらばその名冒険
(備考:ホ氏『観念と冒険』末尾に言う:”In this Supreme Adventure, the Reality which the Adventure transmutes into its Unity of Appearance, requires the real occasions of the advancing world each claiming its due share of attention.” [AI, 295])

   冒険に二面あるなり天地のぞ一体化とぞ地の声や聴く
(備考:「天地の一体化」基督なり。地の声我妻の言ふ「思ひ出の天父への持参奉献」なり)

   実在の冒険なるや何あらん原事実よりの天父飛翔ぞ(備考:ただし、原事実の底へと下りて即非天父へと飛翔ありてこそなり。恩師深き低みよりさらに下降することなし、と言い給ふも。『純粋神人学序説』274頁参照)

   実在が一切物の根拠にて飛翔をば促さざるや一体主なし   (備考:これ原事実論の世界なり)

   実在や一切物の根拠のぞ底より飛翔見るや逆理ぞ
   逆理とは原事実とや飛翔との一宇宙の主岸辺立ちます

   主と共に飛翔せる妻「羊飼へ」命(めい)享け今日も働けるかな
(備考:箴言第20条:”I would like to see the world growing beautifully."我妻の働き「世界の美の発見」に在るやと我悟る)

   ふと見れば窓下輝く紫陽花の青き花々無心なる汝(なれ)

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延原先生から届いた新たな写真帳(2014年8月16日作成)『信子の表情―田園を背景に<リハビリは祝福のリズムに乗って>God blessed the good day』(豊浦病院・2011年6月〜10年5日)より、歌に添えてはじめから一枚ずつ順番に収めさせていただいています。今回はその第十六回です。


    
     豊浦病院 1階リハビリ室にて 2011年7月 
     津村療法士 <右手でしっかり握っていて下さい>
        信子 <はいヨ>  
 

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爽やかな朝です。小鳥もベランダに出して、海を眺めて水浴中デス。

今朝の神戸新聞に、昨日よりはじまった「ハルと花子の特別展」の記事が載りましたので、ご案内方々・・・。



昨日は、お昼前に自転車で神戸平野の「祥福禅寺」に出向きました。この寺は、大正3年夏目漱石が祥福禅寺の二人の雲水と文通したお寺として、また山田無文老師のおられたお寺として知られていますが、私には鈴木大拙師の「盤珪の不生禅」などで盤珪ゆかりのお寺として関心を寄せて来たお寺です。

近くには「五宮神社」「勝海舟寓居跡」や浄土宗の東福寺などある場所ですが、この臨済宗の寺院の境内は、さすが1685年創建の古刹だけあって、落ち着いたいい場所で、ツクツクホーシの蝉の声も格別のモノでした。年を刻んだ百日紅の樹と花は別格です。