延原時行歌集「命輝く」(第983回)(甲子園球児観戦の続き)

             


        延原時行歌集「命輝く」(第983回)
「復活の家出発進行――感謝無限の旅一歩一歩」(184−10)一相成るの歌、一切解除の歌、馥郁の歌、一切やの歌、驚きぬの歌、主と共にの歌、妻メッセンジャ―真情の歌、御文ありてやの歌、夢に見るの歌、復活の省察解の歌、信子短留介助フォトの歌、明らかな声の歌、妻死しての歌、発見の歌、恵みの歌、見ゆの歌、写真帳作るの歌、このところの歌、笑み増し奇蹟の歌、「笑み増し・祝福」機法一体の歌、復活信仰日ノ本に無きの歌、主我一体の歌、昨日の歌、幸越ゆる幸の歌、笑み増しひそとの歌、インマヌエル生成の歌、天来の声の歌。(2014年6月11−20)


    6月20日
          インマヌエル生成の歌四首

   恩師はぞインマヌエルの生成をあらぬと詰りバルト撃ちしや
   (備考:滝沢克己著作集第二巻340−341頁参照)

   然れども原事実はぞその底に御子の祈りの天父向くあり

   かくてこそ太初の言や神と共思ひ出奉献得さしむる道(備考:太初の言[ヨハネ福音書1章1節第一項]はこの世の根源にしてこの世支ふも、それ「言は神と共なりき(pros ton theon)」[ヨハネ福音書1章1節第二項]なる内部構造ありてのことなり。内部構造この世超えつつ、この世の思ひ出なべて天父に向けて飛翔奉献せしむる通路、道なり)

   かくなれば不動の動者あり得ざる生成こそぞ元の祈りよ(備考:原事実=太初の言=の内部構造「御子の父に向かっての祈り」なれば、それ不断の生成なり。ならば、恩師の言ふ「インマヌエルの原事実」自らは動かざる根底にしてこの世の一切を動かせる意味にて、アリストテレスの「不動の動者」《Unmoved Mover》のごとき固定的究極者に非ず。ヨハネ福音書冒頭のロゴス論、第一項からその内奥の構造を示す第二項に眼を転ずるならば、そこにあるは「不断の生成なる主の祈り・子の父への祈り」、すなわち生成なるを我ら知るなり。この故にこそ、恩師ご自身、『あなたはどこにいるのかーー実人生の基盤と宗教』[東京・三一書房、1983年、102頁]にて「原決定の原生起」の思想に論及せり。「インマヌエルの原事実」原決定なるも、それ内部的には原生起にして、換言すれば、「生成」なり。「原決定の原生起」の思想、私見によるならば、恩師滝沢克己先生の最重要思想なり。以下の文言拳拳服膺すべし:「この一点を堅く心にとどめるとき、私たちはまたおのずから、これまでの阿部氏の考え、心の視野にはまったくはいって来なかったもう一つの「不可逆性」を明らかに認めるようになるであろう。すなわち、ある時ある処である人に生起する覚り(正しい自覚)は、たしかに何よりもまず第一に、いなむしろもっぱら一方的に、かの原決定のはたらきによって生起する。それゆえ私たちは、覚はただ絶対無相の自己のはたらきであるというとき、この絶対無的主体の「はたらき」が、原決定の原生起そのものを意味するはたらきと、その原決定の世界内部へ向かってのはたらきと、いわば二段になっていることを見逃してはならない。」この思想は、ロゴス神学論的には、我の言う「ヨハネ福音書1章1節第一項」に先んずる「第二項」の重要性によりて、夙に明らかにされしものなり。恩師にその点の自覚なし。この自覚あらば、「インマヌエルの原事実」の前に「インマヌエルの生成」あり、との認識うまるべし。この場合、勿論、「生成」とは「原生起」のことなり。私見によれば、「原生起」とは「御子=ロゴス=の天父への祈り」すなわち、「主の祈り」のことなり)

           天来の声の歌三首

   箴言の思ひ出作る旅にはぞ闘病のうち燃えるものあり

   御神の省献佳き日祝します天来の声響きてぞある

   響きにぞ応へて絶後笑み増しの顕れ出ずる祝福妻や

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延原先生から届いた新たな写真帳(2014年8月16日作成)『信子の表情―田園を背景に<リハビリは祝福のリズムに乗って>God blessed the good day』(豊浦病院・2011年6月〜10年5日)より、歌に添えてはじめから一枚ずつ順番に収めさせていただいています。今回はその第五回です。



    
          豊浦病院 408号室 
           佳い顔をする信子 
       <God blessed the good day やなあ> 
      

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延原時行・信子夫妻の新著『復活の省察・上巻ー妻と歌う』(考古堂)は、来週明けにはゲラ校正が出て、仕上げに向けて快調に進んでいるようです。世にも不思議な面白い本が新しく産み出されてまいります。


昨日も花壇の土づくりに汗を流しました。そこで女子学生さんに声を掛けられ、卒業論文のテーマに長田の地蔵盆を取り上げて取材中とか・・。

ちょうど昨夜から地蔵盆がはじまっていて、若き日からの私の地蔵盆体験をお話ししたりして・・・。大震災を経験した後の地蔵盆の様子も随分変わってきましたが、若い学生さんがこれに興味と関心を持って、昨年からしっかりと調査研究を続けていることに、感心しました。


明日の準決勝をまえに今日は甲子園はお休みです。本日の写真は、先日の八頭高校大阪桐蔭高校の対戦の、はじまりから終わりまでのものを少し収めて置きます。今回も撮影順です。


バックスクリーン・スコアボードのところにこんなコーナーがありました。