延原時行歌集「命輝く」(第977回)(お隣りの西市民病院の夜景)
延原時行歌集「命輝く」(第977回)
「復活の家出発進行――感謝無限の旅一歩一歩」(184−4)一相成るの歌、一切解除の歌、馥郁の歌、一切やの歌、驚きぬの歌、主と共にの歌、妻メッセンジャ―真情の歌、御文ありてやの歌、夢に見るの歌、復活の省察解の歌、信子短留介助フォトの歌、明らかな声の歌、妻死しての歌、発見の歌、恵みの歌、見ゆの歌、写真帳作るの歌、このところの歌、笑み増し奇蹟の歌、「笑み増し・祝福」機法一体の歌、復活信仰日ノ本に無きの歌、主我一体の歌、昨日の歌、幸越ゆる幸の歌、笑み増しひそとの歌、インマヌエル生成の歌、天来の声の歌。(2014年6月11−20)
6月14日
夢に見るの歌二首
夢に見る新著輝き動きたり復活省察何の萌しや
このところ無者と仏基ぞ急上昇これも時代の求めなるかや
(備考:『無者のための福音ーープロテスタント原理の再吟もを媒介に』福岡・創言社、1990年;『仏教的キリスト教の真理ーー信心決定の新時代に向けて』京都・行路社、1987年、アマゾンとジュンク堂にて急上昇なり)
復活の省察解の歌三首
半世紀復活省察書き来り妻の笑みにぞ解教へらる
絶後にぞ岸辺立つ主の共にまし天父へ飛翔思ひ出奉献
かくてこそ信子人生テロス成る滅して不滅永久のいのちぞ
(備考:テロス=目的、終局、真面目なり)
暖かき雪ぞ胸にぞ降りやまぬこの身享けつつ我活動す
信子短留介助フォトの歌五首
信子のぞ敬和短留フォトなどを整理なしたりキャニオン引率 (備考:1991〜1995)
雄大なグランドキャニオン背にしてぞ草創敬和助けつや笑む
学生と談笑楽し我妻も日旅辞してぞこの日ありたり(備考:我1991年4月敬和学園大学開学と共にチャプレン兼哲学教授に着任せしが、その仕事確信成れりと妻翌年秋、日本旅行米国ロサンジェルス本部社長秘書辞して、帰国せり。開学年より我と共夏期短期留学英語研修熱心に介助せり。ことにGrand Canyon行には日旅のエキスパート能力見事に発揮せり)
敬和にて十七年の奉職時妻一途にぞ我助けたり (備考:妻大奮戦の日々なりき)
思へばや大怪我ありて三年余我看病す歓喜妻笑む
(備考:妻大安心の日々なりき。幸せやなあを連発しおりたり。何でや、ノーちゃん。父さんが皆やってくれる。そんなに幸せやったんか。そやで、とーさん、今でもや。ええ?天国でもか。もーちろん、おおきにね)
6月15日
明らかな声の歌十首
我永く思ひ来たりし我妻の明らかな声いかに聴くべし
控へめに常に後ろに働きて何故に人前ずんと出でざる
それがぞや大怪我してぞ箴言を或る日すらすら書きとめしなり
(備考:第一条:"God blessed the good day of self-reflection and self-dedication."これ我妻延原信子の人類に対する《clear voice》[明らかな声]なり。即ち最重要の命の言葉は「祝福」なりと)
我妻の明確発言ずずんとぞ英文にてや出でにけりかも
我妻のクリア・ボイスは実にもぞや祝福一語燦と輝く
祝福の一語が如何に尊きか妻笑み増しに絶後示しぬ
人はそも御神祝し給ふ者アダムと生まれ霊体に入る
(備考:第一コリント15章45節熟読参照)
妻の言ふ祝福とぞやこれなりき霊のからだに甦ること
(備考:第一コリント15章44節熟読参照)
人はそも二つ命を変転す肉のアダムや霊体を受く
(備考:第一コリント15章45節熟読参照)
我妻は人の命の変転を祝福と言ひ笑み増し示す
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延原先生から届いた新たな写真帳『表情の信子―友多くリューマチセンターいと楽し』(新潟県立リューマチセンター・2011年2月〜2011年6月)より、歌に添えて一枚ずつ順番に収めさせていただいています。今回はその第三十回です。
「新潟県立リューマチセンター 315室にて 2011年5月
信子 <ちょっとしゃれてる>
順子 <よかった> 」
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昨夜は兵庫県下ほか近県各地で豪雨が警報が出続けています。
しかし今朝の神戸は、洗濯物もベランダでOK、小鳥もベランダです。
昨日は一日中、雨模様の中を甲子園の熱闘は続き、第4試合の八頭高校は、結局我が家での観戦となりました。今日は一日、大丈夫でしょうか。
数日前から新たに「KAGAWA GALAXY 黒田四郎の世界」の準備に取り掛かっています。静かな感動を呼ぶ先達のひとりです。
今日の写真は、我が家のすぐ東隣の「神戸西市民病院」の夜景です。昨夕、食後のぶらり散歩で撮ったものです。この病院は、元々私たちのまちのなかにあって、大きな働きを続け、改良住宅の建設に伴って、私たちの住宅と共にこの場所に新築移転されました。神戸の中核病院のひとつです。病院がすぐ隣にあるのは、大変贅沢なことです。