延原時行歌集「命輝く」(第962回)(中庭の花壇など)


       延原時行歌集「命輝く」(第962回)
「復活の家出発進行――感謝無限の旅一歩一歩」(182−6) 大安心の歌、妻笑みと我の歌、省献の佳き日の歌、今朝の歌、道の歌、大発見の歌、寛ぎの歌、妻と我の歌、妻真面目の歌、復活の雪の歌、妻笑み告ぐるの歌、北越2号にての歌、着きたるよとの歌、今此処の歌、敬和赴きしの歌、信子納骨IXIA!の歌、昼寝の歌、目覚めてはの歌、原事実の歌、瞑想の歌、復活の解の歌(2014年5月21-31)

    5月28日
          敬和赴きしの歌十首

   今にして思へば敬和赴きし妹背共々決死の覚悟
   我妻の決死の覚悟詠ひしや実に箴言の逆理なりたり
(備考:箴言第七条なり:”I am living in the secular world. And yet I am blessed by the sacred world. Is this strange? No, not at all. It is quite normal in Japan, because Japanese society is very much influenced by the Buddhist wisdom: samsara is nirvana.”)

   俗界に我生きつつも聖界の祝福受けつ仏教智往く

   友ありて拙著良寛褒め給ふ我らミッション徹見せるや(備考:『宇宙時代の良寛 再説ーーホワイトヘッド風神学と共に』を中村義実教授評し給ふ、嬉し)

   今出ずる新著描くは妹背共越後に往きし道の跡なり

   この跡は徹頭徹尾天父にぞ献げし思ひ綴り行きしも

   豊中の里に帰りて心にぞ萌す思ひは越後への愛
   かくしてぞ我らが召命良寛の元の誓ひの姿継ぐ道

   ここまでや詠ひ来たりて我脚や引き攣り癒ゆる不思議なりけり
   (備考:午前3時なり)
   
   御神の妻甦らせし御心や越後華咲く新基教道

         信子納骨IXIA!の歌十首

   金剛寺納骨式や華やぎぬ信子の霊や共に讃美す
   烈しくも胸に雪降る復活の喜び満つる納骨の式
   生涯の果てにぞ母が備へたる我が父の墓延原家墓(備考:1990年1月17日御国見惚れつイエスース・クリストス・インマヌエール・アーメン!称しつつ往きし我が母、前年秋父の故郷岡山県勝田郡に兄と共に赴き、父の墓三木へと移しぬ。かくして父の墓延原家の墓三木に在るなり。母の御国見しつつ往きしこと、拙著『無者のための福音ーープロテスタント原理の再吟味を媒介に』福岡・創言社、1990年、あとがき、285−293頁参照)

   墓前にて両家の兄ら集ひ来て妻の納骨いとしめやかに
(備考:司式者鳥飼慶陽師、延原立志、ひろみ、佐々木邦義、妹順子、延原時行六名なり)

   我妻や故郷にぞや帰り来て生涯の果て休み深々
   我墓にIXIA!(イクイアーメン)文字彫りを延原信子享くる成したり

   金剛寺新しき塔麗しく基教称名妻と輝く   (備考:金剛寺墓地一切宗教宗派に拘泥せざるも。誠寛やかなり)

   熱誠の友や司式の納骨儀仏教墓地に祈り響くや
   ながさわの寿司昼餉にぞ楽しみて信子生涯嬉々と談笑

   かかる日の来るべしとぞや思ひきや復活に往く信子囲みて

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延原先生から届いた新たな写真帳『表情の信子―友多くリューマチセンターいと楽し』(新潟県リューマチセンター・2011年2月〜2011年6月)より、歌に添えて一枚ずつ順番に収めさせていただいています。今回はその第十五回です。



    
     「新潟県リューマチセンター  2011年4月
        一階リハビリ室にて 右手を伸ばす
        五十嵐療法士 <右手上げますヨ>
           信子  <イタタタ>    」



        ♯              ♯



上のコラムは、賀川記念館発行の「ボランティア」Voi.105(2014・7)に掲載の拙い一文です。記録の一つとして収めて置きます。


昨夜も親しい友たちと馴染みの飯屋「でぶ」さんで暑気払い・・・この頃はこういう機会も随分と少なりましたが、たまにはいいですね。


昨夜は久しぶりに一雨あって、中庭の花壇も喜んでいます。今回の写真は猛暑で乾いた中庭の花壇に水遣りをしたあとのものなど、柘榴や百日紅などを数枚収めます。