延原時行歌集「命輝く」(第961回)(賀川の名著『宇宙の目的』の英訳『Cosmic Purpose』完成御祝う・神戸賀川記念館)


      延原時行歌集「命輝く」(第961回)
「復活の家出発進行――感謝無限の旅一歩一歩」(182−5) 大安心の歌、妻笑みと我の歌、省献の佳き日の歌、今朝の歌、道の歌、大発見の歌、寛ぎの歌、妻と我の歌、妻真面目の歌、復活の雪の歌、妻笑み告ぐるの歌、北越2号にての歌、着きたるよとの歌、今此処の歌、敬和赴きしの歌、信子納骨IXIA!の歌、昼寝の歌、目覚めてはの歌、原事実の歌、瞑想の歌、復活の解の歌(2014年5月21-31)

    5月27日
         妻笑み告ぐるの歌四首

   主と共に永久の命を生きるこそ我妻汝の笑み告ぐる事

   人はぞや死ぬるに非ず移行なす死は死の死なり甦りなり
   (備考:第一コリント15章36節熟読参照)

   妻汝はあの一瞬の移行にて笑み示したり命福音

   死なずして撒くものにぞや命なし絶後笑みこそ真理一閃(備考:「しかし、ある人は言うだろう。『どんなからだをして来るのか』。おろかな人である。あなたの撒くものは、死ななければ、生かされないではないか。(中略)死人の復活も、また同様である。朽ちるものでまかれ、朽ちないものによみがえり、卑しいものでまかれ、栄光あるものによみがえり、弱いものでまかれ、強いものによみがえり、肉のからだでまかれ、霊のからだに甦るのである。(中略)この朽ちるものが朽ちないものを着るとき、聖書に書いてある言葉が成就するのである。『死は勝利にのまれてしまった。死よ、おまえの勝利は、どこにあるのか。死よ、おまえのとげは、どこにあるのか』。死のとげは罪である。罪の力は律法である。しかし感謝すべきことには、神はわたしたちの主イエス・キリストによって、わたしたちに勝利を賜ったのである。」第一コリント15章35節―57節熟読参照)

          北越2号にての歌三首

   主イエスがぞ我に従へ告げし時復活までぞ含意ありたり

   この含意ありたればこそ召命や感激深く我が胸打ちし
   (備考:伊丹市立南中学三年時に献身の意表せる時なり)

   金沢に着くまでに歌読みて編集終へし我なりや佳し(備考:新著『復活の省察――妻と歌う:生くるとは深き淵より共々に甦ること喜びてこそ』のうち延原時行哀悼歌集「笑み増しに命輝く――思索篇」なり) 

          着きたるよの歌二首

   ノーちゃんよ豊中の家着きたるよ汝我が内に住みつきてぞや

   順子さん汝が前に花飾りたり如何に嬉しき里帰りかな(備考:新発田より里帰りせしお骨の前花飾りたり。上田、多田さんのお供へもあり)

           今此処の歌三首

   我にはぞ何処在りても雪や降る妻笑み増して主とや往く雪

   我妻に天父示せる復活の無辺宇宙ぞ今此処に在り
   (備考:我霊体信子の地上的体なり)

   今此処に在りて我成す我がわざや妻の望みし本作りなり


       ♯        ♯


延原先生から届いた新たな写真帳『表情の信子―友多くリューマチセンターいと楽し』(新潟県リューマチセンター・2011年2月〜2011年6月)より、歌に添えて一枚ずつ順番に収めさせていただいています。今回はその第十四回です。



    
    「新潟県リューマチセンター リハビリ室にて 2011年4月
         五十嵐療法士 <肩もみますヨ>
            信子  <気持ち良いです>と笑む    」



        ♯              ♯



これは今朝の神戸新聞です。

予定通り昨日の午後は、神戸の賀川記念館に出かけました。

まず記念館の4階にあるミュージアムにおいて、ヘイスティングス先生を囲み、記念館の館長・賀川督明さんや鳴門市の賀川記念館の方々や高知の伴武澄さんはじめ、10名ほどの関係者で懇談の時をもち、6時からは礼拝堂において、上の記事にあるように「翻訳書寄贈式」とヘイスティングス先生による「賀川豊彦『宇宙の目的」−科学的神秘主義者の瞑想」と題する講演と質疑の時があり、集会後はまた、いつものたまり場で時を忘れて語り合い・・・。久々に終電車近く・・・・。

今回の写真は、昨日の記念館あたりの景色と共に、懇談会と講演会などを記念に収めておきます。


3時からの懇談会

贈呈式と講演会