延原時行歌集「命輝く」(第957回)(爽やかに澄んだ朝の景色)


      延原時行歌集「命輝く」(第957回)

「復活の家出発進行――感謝無限の旅一歩一歩」(182−1) 大安心の歌、妻笑みと我の歌、省献の佳き日の歌、今朝の歌、道の歌、大発見の歌、寛ぎの歌、妻と我の歌、妻真面目の歌、復活の雪の歌、妻笑み告ぐるの歌、北越2号にての歌、着きたるよとの歌、今此処の歌、敬和赴きしの歌、信子納骨IXIA!の歌、昼寝の歌、目覚めてはの歌、原事実の歌、瞑想の歌、復活の解の歌(2014年5月21-31)

    5月21日
          大安心の歌三首

   御神の妻甦り御旨とぞ夢に声あり実に大安心

   誠にや骨の髄まで大安心里帰りでもさせたる心地ぞ
   宇宙実に親和力満つ場所と知り我大胡坐(あぐら)ずいとかきたり
(備考:親和力とは現世と来性の岸辺立つ主を通じての統一性のことなり。ホ氏これを幾度も引用する如く:"We perish and are immortal. [PR, 351, 82]と言へり)

          妻笑みと我の歌七首

   拙きも我なるにぞや在るなれど妻の笑みあり如何に尊き

   絶後にぞ笑み往くほどの奇蹟なし我心底に驚きてあり

   誠にや妻甦り御旨なり人の力の為す業ならず

   妻の笑み恵み御国の便りなり聴きてぞ思ふ今日も生くべし

   我が生はこの恵みをば伝ふこと一重に心してこそ命

   我妻は笑みて我をば生かしてぞ我として生く命なるかな

   今日の日も我命見る汝(な)が笑みを見つつ雪降る我心にぞ

    5月22日
         省献の佳き日の歌十首

   省献の佳き日御神や祝します妻の省献その極みまで
   人生を省献のぞや佳き日とぞ見る眼誠に天与なるべし
   人生は日々を省み思ひ出をなべて天父に献ぐべしとぞ

   これ正に全体観よ人生のこれ在りてこそ果敢無しぞ消ゆ

   果敢無しと言ふ人方は人生を人生のため考ふに非ずや
   されどもぞ人生実にも献ぐ方在ればこそなり満ちる歓ある

   この観方アウグスティヌス《ad te》[汝に向けて]とぞ言ひしものなりこの世超へてぞ
(備考:「汝我らをぞ汝に向けて(ad te)造り給ひし故に汝の中に憩ふまで我らの心安き得ざるべし。[quia fecisti nos ad te et inquietum est cor nostrum, donec requiescat in te.]『告白』上巻;拙著『宇宙時代の良寛ーーエコ神学者トマス・ベリーと共に』[新潟・考古堂書店、2013年』、48頁参照)

   「この世超ゆ」この一語にぞ雪ぞ降る「天父に献ぐ」感動の元なり

   我妻はこの感動を抱きてぞ絶後棺中笑み増し往けり

   遂にぞや省献佳き日極みにぞ往きて天父の祝福受けし



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延原先生から届いた新たな写真帳『表情の信子―友多くリューマチセンターいと楽し』(新潟県リューマチセンター・2011年2月〜2011年6月)より、歌に添えて一枚ずつ順番に収めさせていただいています。今回はその第十回です。



    
    「新潟県リューマチセンターリハビリ室 2011年2月14日
      山岸言語聴覚士(リハビリセンター)のオフィスで
         沈思する 信子      」



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夏休みの孫たちの襲来、予定では今週いっぱいでしたが、急遽孫の体調整わず昨日で帰っていきましたので、我が家の日常が戻ってきました。

昨夜から急に涼しくなって冷房も不要、今朝は一気に秋のような爽やかな澄んだ景色が広がっています。

住宅東側の書斎のデスクから窓越しに六甲の山並みを望み、また西側のベランダより高取山や須磨アルプスを、そして瀬戸内の海と和歌山方面を遠望する景色をカメラに収めてみました。