延原時行歌集「命輝く」(第951回)(煉瓦倉庫のある兵庫運河)


     延原時行歌集「命輝く」(第951回)

「復活の家出発進行――感謝無限の旅一歩一歩」(181−7) 知らるるの歌、充実感の歌、我が妻の歌、大学の歌、我が日々の歌、推敲中の歌、妻の信の歌、御業の歌、復活の歌、我妻の心の歌、復活の歌(二)、英文箴言作りの歌、信復活論の歌、ピンポンの歌、本作りの歌、雪と主の歌、笑み増しの第三、四、五態の歌、生涯業績の歌、我妻やの歌、岸辺立つ主の歌、いのちの歌、友方友情の歌、いのち仕事の歌、極み見ゆの歌、汝が面やの歌、妹背会話の歌、昨日の歌、人誰もの歌、箴言の歌、甦りの歌。(2014年5月11-20)

    5月15日
           ピンポンの歌一首

   ピンポンの音やするなり出でみれば筍御飯賜ふ人あり

           本作りの歌二首

   今日も我が供養の本ぞ粛々と展び行く如し胸に雪降る

   久方の春の陽浴びつ居間の我実に喜々として本作りいま
   (備考:ノーちゃん、やってるでえ。おおきにさん、父さん)

           雪と主の歌五首

   今日の日も胸暖かき雪降るや岸辺の主ます恵みの時ぞ

   妻落ちしあの日にも雪抱き起し新発田病院運びし覚ゆ

   妻逝きしこの日にも雪救急車呼びて万事をなす如くなす

   而してぞ雪降りつつぞ棺中に口丸め笑む妻見しや知る
(備考:これ倒るるママの悟入の面[第一態]より変転せる、口丸め反省のかたちなる笑み[第二態]なり)

   この雪と我妻の笑む不思議とは実にも岸辺の主の香りなり

        笑み増しの第三、四、五態の歌三首

   口丸め妻驚きて顎挙げぬ岸辺の主足下にぞやいます知りてぞ

   さらにぞや称名の笑み湛へつつ上向く妻や凛々しかりけり
   (備考:インマヌエル、アーメン!)

   いや果てに右眼仄かに開けてはぞ天父仰ぎて御国往く妻

    5月16日
           生涯業績の歌十首

   我妻の生涯業績箴言と笑み増しにぞやあるぞ偲ばる

   我と共カンファレンスなす時の意気込み凄し箴言磨く
(備考:ことに第七条凄し:"I am living in the secular world; and yet I am blessed by the sacred world. Is this strange? No, not at all. It is quite normal in Japan because Japanese sociey is very much influenced by the Buddhist wisdom: samsara is nirvana.")

   心底に祝されしとの思ひぞや輝きてあり病苦最中に

   何ものもこの思ひ超ゆあり得ざる祝福さるる心燦々
(備考:第一条:”God blessed the good day of self-reflection and self-dedication.")

   それが故我知者ならずされどもや哲学世界知ると言ひしよ
(備考:第二条:”I am not a philosopher; but I know the philosophical world.")

   さらにはぞ洞察や佳しずばりとぞこれ基教のぞ核心なりと
   (備考:第三条:"This is the core of Christianity.")

   妻にとり基教信仰実にもぞや徹底的なる逆理なりしも

   この心あるが故こそ病苦とや逆理なる幸感じ笑みたり

   絶えざるも平安やあり心にぞ汝(な)が激励と思ひ遣りゆえ
(備考:第五条:"My mind is always in peace thanks to your great encouragement, help, and thoughtfulness.”「汝が」とは我時行の事、而して御神の事なりと言へり)

   これ不壊のBlessednessにて在る心遂に絶後の笑み出だせるも
   (備考:第六条:"Nobody can touch me because I am blessed.”)



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延原先生から届いた新たな写真帳『表情の信子―友多くリューマチセンターいと楽し』(新潟県リューマチセンター・2011年2月〜2011年6月)より、歌に添えて一枚ずつ順番に収めさせていただいています。今回はその第四回です。



    
  「新潟県リューマチセンター3階廊下にて 2011年2月
    延原信子 <眠たなって来た> 佐々木順子 <おきといてや>  」


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延原先生の今回の歌にもあるように「温かな雪が降る」不思議な不思議な天与の祝福の響きは、2010年11月末日の奥様の大事故以来、ずっと途切れることなく、ほとんど毎日のように、先生の携帯電話より我が家に届けられています。

それは、2014年3月11日の奥様の「笑み増し」の機縁を経ていっそう生き生きと「温かな雪」は降り続け、先生の形而上学省察は息づいて「新しい歌」が産まれ続けています。


今日の写真は、生まれ育った故郷の我が家の父の蔵書の中に遺されていた文語訳聖書――僕の高校生の時、我が家で見つけたお宝で、父のことは写真でみるだけで、直接の想い出ひとつないなかで、父の赤ペンも鮮やかなこの詩編付の新約聖書は、父の僕への「温かな雪」ですーーと昨日のコープさんへの買い物途中に寫した「公園のすずめたち」「和田岬線線路」と「煉瓦倉庫のある兵庫運河」の景色です。