延原時行歌集「命輝く」(第942回)(国宝・世界遺産「姫路城」最終回)


       延原時行歌集「命輝く」(第942回)
「復活の家出発進行――感謝無限の旅一歩一歩」(180−12)基仏箴言の華の歌、フォト通覧と箴言の歌、佳しの歌、華やぎと笑み増しの歌、春の真実の歌、称名思索の歌、延原家墓の歌、神共にの歌、歌の歌、幸せの歌、信子信条の歌、新しき顔の歌、友ありての歌、妻幸無限の歌、良寛禅師と笑みの歌、根源の歌、天父御心の歌、この朝の歌、今日の日の歌、リハビリ一歩一歩の歌、復活神学書き得しもの歌、奉献美の歌、先達の文の歌、不思議にもの歌(2014年5月1−10日)

    5月8日
         リハビリ一歩一歩の歌五首

   本作り進めおりてぞ我知りぬ近き神こそリハビリの核(備考:『復活の省察ーー妻と歌う:生くるとは深き淵から共々に甦ること喜びてこそ』第二部に入れる資料「リハビリ一歩一歩」再読しつつ再認す)

   リハビリ中近き御神かゆみ取る妻言ひたるに笑みの基(もと)見る(備考:岸辺に立つ主すでに居給ひしなり。歓喜歓喜歓喜なり。ノーちゃん、どや。すごいなあ、感謝やなあ)

   反論の要なき日をぞ恵まるる妻絶対の愛掴みてぞ
(備考:人生誰かに反論すべきと思ふや途端に身心不調痒みなど出ず。その要全くなしといと近き御神言ひ給ふ。「汝我を愛するや。」[ヨハネ福音書21章15節熟読参照] その絶対愛妻感ぜしなり。父さんも和す)

   リハビリ中泣き笑み食し妻や在り活劇ありて思ひ出や成る
   かかるほど近き御神リハビリの核なり給ふ有難きかな
   (備考:感謝無尽も。なあ、ノーちゃん。そう)

    5月9日
         復活神学書き得しもの歌十首

   我妻の絶後笑み増しありてこそ復活神学我書き得しも

   死せずして死者の復活いかでかや我書き得るや所詮無理なり

   されどもや我が最愛のノーちゃんが絶後岸辺の主と共に笑む

   笑みなるも誠五態の笑み増しよ実にも華やぎ満つるわざかな

   驚きぬああ驚きぬこの奇蹟如何に御神のお優しくます
   かにかくに人は言ふとも笑み増しや実に麗しく新しき顔

   人は皆散る紅葉なりさりながら早い遅いが違うだけなり

   それにせよ散り際にぞや笑みあらば散りつ昇りつ御国入る見ゆ

   一体に人天がける理はその根源ぞ御子なる飛翔
(備考:御子この世の根源「太初のロゴス」[ヨハネ福音書1章1節第一項]なるも、さらに深き事情隠すなり。即ち根源自らを破りてさらに深き天父に向かふ道にていますなり。道「神と共なる(pros ton theon)」[ヨハネ福音書1章1節第二項]故逆説的に上昇す。この道通り人天がけるなり)

   根源や転じてぞ命あり世の基から父への祈り
(備考:ヨハネ福音書17章5節熟読参照。命とは世の基太初の栄光、主の祈りによりて、華やぎに転ずる道理にあるなり。根源根源に止まるならば命なし。根源根源に止まること知ること救ひに非ず。それ単なる哲学的知識なれば。根源根源を非根源化して祈りに化するところに救ひあり。かくて根源主岸辺に立つ主として、棺内にても、顕れ給ふなり。これ復活の主なり。復活の主の祈りに「乗りて」我らの思ひ出の一切を天父に持参奉献なるところに、我らの復活約束さるるなり。これ我「大乗キリスト教」と呼称す)



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台風の爪痕は日本列島に及んでいるなか、なぜか神戸は避けてくれ、今朝も爽やかな快晴、蝉たちも元気な声を張り上げています。

朝食と掃除、そして洗濯も終えて、小鳥もベランダへ、そしてめだかちゃんにも餌をちょこっと・・・・。

明日は早朝より終日、「安心・しあわせネットワーク」の2年に一度の定期総会とお二人の尊敬する先輩の感謝会があって、おでかけのために、このブログはお休みです。毎日、延原先生の「歌」を楽しみにしておられる方々には、相済みません。


今回の写真は「国宝・世界遺産の「姫路城」最終回です。