延原時行歌集「命輝く」(第934回)(神戸・諏訪山奥の「燈籠茶屋」あたり)


       延原時行歌集「命輝く」(第934回)
「復活の家出発進行――感謝無限の旅一歩一歩」(180−4)基仏箴言の華の歌、フォト通覧と箴言の歌、佳しの歌、華やぎと笑み増しの歌、春の真実の歌、称名思索の歌、延原家墓の歌、神共にの歌、歌の歌、幸せの歌、信子信条の歌、新しき顔の歌、友ありての歌、妻幸無限の歌、良寛禅師と笑みの歌、根源の歌、天父御心の歌、この朝の歌、今日の日の歌、リハビリ一歩一歩の歌、復活神学書き得しもの歌、奉献美の歌、先達の文の歌、不思議にもの歌(2014年5月1−10日)
 
    5月3日
            称名思索の歌一首

   友ありて家庭礼拝その様を告げ給ふこれを契機に我称名思索(備考:以下の如し:木原和彦様 拝復 お言葉誠に有難う存じます。御一家の毎日をお知らせいただき深謝です。どの家にも与えられた祝福が豊かです。御加護をお祈りいたします。
 まさかここまで復活の実相を示されようとは、夢にも思っておりませんでした。妻信子のお蔭です。一生の思い出を棺が焼けても持参し天父に奉献すること、これは妻の生涯の人生神学でしたが、論理で言う大前提でありまして、これなくば、復活の証明はございません。
 さらに徹底考察しますと、これは137億年の宇宙の全体史に関して妥当しましょう。宇宙の全体史の思い出を宇宙のテロスなる天父に奉献します時、宇宙の復活が成ります。我妻の復活はその事を証言する一事例であります。
 イエスース、クリストス、インマヌエール、アーメン!
 インマヌエールとは、①「神我らと共」なるキリスト(ヨハネ福音書1章1節第一項の言う「ロゴス」)の発見、②このキリスト我らの根源なり給うのみならず、根源の底破って「言神と共なりき」(ヨハネ福音書1章1節第二項の言う包括的ロゴス)の道なり給う故、この道を通り、キリストの祈り(「主の祈り」)に乗って天父へと上昇する、二段階の実相であります。
 神、御子(御言)と共なり給う(第一義的、内三位一体論的「共」)故に、御子世界と共なり給う(第二義的、創造論的「共」)を受け、我らと共なり給うなり、ーーと言うべきであります。滝沢は、後者を明らかにする人でした。しかし、前者を知ることがありませんでした。
 思うに、キリスト教がそれで以って立つところの告白「イエスはキリストである。」は、「イエスの底にキリストを見ることが、我が底にキリストを発見することを通じて、成り立つ信条」です。しかし、私の申します様に、我が根源なる「キリスト」が根源であるのみならず、天父に対しては「ロゴスは神と共に(pros ton theon)あった。」(ヨハネ福音書1章1節第二項)であり給う故に、この信仰は根源志向から上昇に転じます。そこに、「我・イエスー(根源志向)ーキリスト(=根源かつ祈り)ー(上昇志向)ー天父」が成り立っております。滝沢は、根源であるキリストが同時に「祈りの主体」であることに気付きませんでした。そこにその哲学においては上昇無き所以があります。
 ところで、先述のように、インマヌエールの①と②を踏まえると、どうなりましょうか。「イエスはキリストである。」というキリスト告白は、必然的に「キリストの上昇面」(即ち、共空間面にして主の祈り活動面)と接続いたしますので、我々の称名におけるごとく、「イエスース、クリストス、インマヌエール」と続くわけであります。この称名の流れを真といたしますので、我らは「アーメン!」と最後に称えるわけであります。
 イエスース、クリストス、インマヌエール、アーメン!
 ここに比例中項なるが御子(ロゴス・言)の姿なり、と言うべきでありましょう:世界:御子::御子:天父

 世界       御子(飛翔)
 ーー     = ーー
 御子(根源)   天父

 左辺を明らかにしたのが、滝沢哲学であります。しかしながら、左辺が右辺のアナロジーであることをこの哲学は明らかにはしませんでした。それというのも、根源の飛翔への逆説的変転(ホワイトヘッドの言う「冒険」)を知らなかったからであります。根源を根源論的のしか考えられなかったところにこの哲学の限界がありました。飛翔は飛翔の共空間を踏まえたうえで「主に祈り」に乗って飛翔します。これによって我らの「世界内的思い出」は根源に支えられつつも、根源がその底を破って「言の天父への道・共空間」へと変転します時、天父の許へと持参・奉献されるのであります。「持参・奉献」が飛翔であります。
 右、御礼方々
   IXIA!
   延原時行)



        ♯            ♯



昨日は、ご高齢の御婦人の訃報をお受けしました。地元で老人クラブのお世話をされたり、ご一緒に日帰りバスの旅を楽しんだりしてきた御方です。御苦労もいっぱいされ、友を励まして、明るく生きてこられました。祝福の中の御許への飛翔です。


神戸にもたっぷりと天から恵みの雨をいただき、今朝は清々しく気持ちのよい日和です。どこかに今年も美しいハスの花が咲き始めたとか・・・・。


今日の写真は、未掲載となっていた「神戸・諏訪山奥の<燈籠茶屋>あたり」です。