延原時行歌集「命輝く」(第926回)(神戸・湊川神社境内)


       延原時行歌集「命輝く」(第926回)
「復活の家出発進行――感謝無限の旅一歩一歩」(179−10)笑み増しの歌、喜びの歌、思ひ出作りの歌、道の歌、随順の歌、思索の歌、天地喜びの歌、復活立証の歌、甦りの歌、二度の歌、命歌の歌、予兆の歌、歌ある日の歌、天地一体の歌、古希の笑み讃歌、驚くもの歌、成るの歌、在共空間の歌、朝の歌、幸せの歌、我妻人生不思議の歌、怪我の功名の歌、学べりの歌、延原信子復活歓びの歌、佳き日々の歌、我が復活思索の歌、笑み無尽の歌、時の歌、春一歩一歩の歌、箴言の歌、笑みて往かんもの歌、笑み増し五態省察の歌、妻思ひ出作り往くの歌、学ぶ時の歌、新しき朝の歌、托すの歌 (2014年4月21−30日)。

    4月27日
         延原信子復活歓びの歌八首

   落ちし日の早朝見せし妻の文いよよ輝き増すや如くや
(備考:「加齢とともに、いつかは果てる時もいずれ来る身を自覚すると一期一会を大切に棺がやけても天父のもとに持参できる思ひ出をふやしたい。」延原信子2010年3月28日記す。時行30日拝見)

   天父にぞ棺が焼くるも思ひ出を持参奉献これ大思想

   これ誠甦りのぞ大前提御子共にまし天父祝福
   それにせよ笑み増しほどの奇蹟なし信子一生大逆転

   大思想生むや笑み増し大逆転岸辺立つ主や導き給ふ

   我妻や御国入りして主と共に復活したる轟きやする
(備考:からだの甦り成れるなり。霊体拝受嬉れし:良かったねえ、ノーちゃん。おおきにね、父さん。何たる祝福!苦しみの陰なし。そう)

   目覚むるや圧倒的の歓びや我が胸にあり信子復活
   不思議なり我が歌のぞや備考にぞ(おおきにね)とか入るるや雪ぞ(備考:妻の声入るるや我が胸に暖かき雪深々。天地に復活相互感応あるごとし)

            佳き日々の歌二首

   妻の日々我が日々となす三年余実にも楽しき日々なりし哉

   箴言の復唱をぞや楽しみに妻日々過ごす誠佳かりき

           我が復活思索の歌十首

   我が思索妻復活をめぐりてや一日一歩進みおるなり

   それはしも笑み増しからぞ始まりてそれはそれはの麗しき旅

   ことにぞや共空間のありてこそ地の基底より妻飛翔せり
(備考:「共空間」とここで言ひしは「言(ロゴス)は神と共に(pros ton theon)ありき。」[ヨハネ福音書1章1節第二項]のことなり。「基底」と言ひしは、恩師滝沢克己の言へる「人間の原点」「インマヌエルの原事実」の事にして「太初に言ありき。」[ヨハネ福音書1章1節第一項]が典拠なり。問題は両者が合するのでなければ、信子の欣求せる「思ひ出の天父への持参奉献」の道見出せぬことなり。滝沢ロゴス説のみならば、根底論なり。根底からいかにして「在天の天父」に道通ずるや。そこに、我の名付けて「共空間」と言ふ道の重要性あるなり。滝沢根底論は、人間の原点・根拠・根底を掘り下げるところの根源志向に貫かれおるなり。これに上昇志向あるなし。根源志向が信子の「思ひ出を天父に持参奉献したい」と言ふ生涯の欣求の含意する上昇志向と宇宙のどこかの地点で合することなくば、奉献可能ならず。「共空間」こそその地点(結節点・道)なり。ここにおいて「根源に下れば下るほど、天父へと上昇する」と言ふ宇宙の窮極逆理見ゆるなり。これこそまさにホワイトヘッドが「一としての宇宙における冒険」《an Adventure in the Universe as One》[AI, 295]と呼びしものなり。ホ氏は、私見によれば、復活形而上学とでも呼ぶべきものを『観念の冒険』末尾において開拓せるなり。その機軸には、我がロゴス神学的に「この世の根源」としての「太初のロゴス」と言ふものの、「ロゴスの父との共空間」としての「包括的ロゴス」と名付けるものへの変転移行があるなり。これこそ以下の重要テキストの文意なり:”In this Supreme Adventure, the Reality which the Adventure transmutes into its Unity of Appearance, requires the real occasions of the advancing world each claiming its due share of attention.”[AI, 295] 滝沢根源論では、宇宙の窮極神秘なるこの「変転移行」(即ち「冒険」「復活」)論ずること無理なり。誠に興味深きことに、我妻信子の生涯の命を懸けた思想にして「笑み増し」の実践の示せる「思ひ出奉献」こそ、この「変転移行」を前提にして、その恩寵受けて、御国入りしたるなり。この事我我が歌の数々にて最近浮彫りするべく努め居るなり。因みに、ホ氏の「現われの一致統一」[its Unity of Appearance]と言ふもの「ロゴスと天父との現象的一致」のことなり。では、「現象」とは何なるか。復活なり!復活は根源に非ず、根源の華やぎへの移行のことなり。それに言及したるがヨハネ福音書17章5節の主イエスの「主の祈り」なり:「わが原初の栄光を華やがせ給へ、父よ。」主の祈りに言う「み名を崇めさせ給へ。」[マタイ福音書6章9節]は、実に、根源の「現象の統一」への変転移行への祈願なりき。この祈りに乗ってこそ、我妻信子は、天父へと地の基底より飛翔したるなり。これ彼女の岸辺に立つ主に伴われての「復活」なり。この復活、使徒信条の言ふ「からだの甦り」のことなり。「霊体の享受」のことなり。単なる霊的復活に非ず。古き地上におけるからだ棺と共に焼失せり。それでは、霊的にだけ以後生きるや。然らず、「霊的にだけ」なる存在そもそも在らず(第一コリント15章44節熟読参照)。霊体の享受重要なり。これ「からだの甦り」なり。我これを「再体化」《Re-embodiment》と言ふなり。最近の短歌参照されたし。我の実践しつつあるのは、短歌神学なり。御理解いただきたし)

   地の基底その底破り復活主妻思ひ出を天父運ぶや
   天にてぞ天父祝福ありてこそ思ひ出永久に保存されけり

   同時にや在共空間の輝きや妻包みてぞ霊体賜ふ
   ここにまで至りてやこそ人や成るかくて宇宙の羊飼ふなり
(備考:「成るの歌」参照されたし。「羊飼へ」との命[ヨハネ福音書21章15,16,17節]天国にて仕事あること意味するなり。an everlasting co-creation with the Deityなり。「神との永久の共創」なり。我妻信子この次元に今やあるなり。豈歓喜せざらんや)

   誠これ宇宙的なる祝福の華やぎ祭佳き日佳き時   (備考:信子の英文箴言第一条究極の意味あり:
    God blessed the good day
Of self-reflection [on life memories of one’s own]
And [while passing into heaven with the risen Lord]
Of self-dedication [of life memories of one’s own to]
[The Kingdom of Heavely Father with Whom we co-create
    everlastingly]

   命成り今は永久にぞ神と共イマヌエルアーメン華やぎてあり

   この命仏教的にはこれなるよ衆生無辺誓願度実に


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延原先生より2014年6月15日作成の2冊目の新しい写真帳「信子と草創敬和―−Cal San Bernardino Grand Canyon 新発田<1992〜1995>」(25枚)をお送りいただき、ここで歌に添えて写真集の最初から二枚ずつ収めています。今回はその六回目です。



「1993年8月 California State University
San Bernardino 近くのホストファミリーの居間にて
  延原時行・信子 敬和生と共に
 (敬和は草創期でこの短期留学プロジェクトを目玉にしていた。)」



「1993年8月 ホストファミリーの前庭でゲームの最中
   一番近く 時行・信子
 (信子は1992年秋の帰国まで短期留学プロジェクトに協力奉仕し、以後も Grand canion 行きを助けた。)」



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梅雨に入りながら「中休み」が続きます。今日も少々熱いようですね。

今朝のワールドカップサッカー、日本も頑張りましたが惜しいことでした。にわかフアンながら、日本はまだまだ実力がかなわず、これからですね。地元・ヴィッセル神戸の応援をいたしましょう!

今日の写真も「神戸・湊川神社境内」です。そのご近所に「橘小学校煉瓦塀」が遺されていましたので、まずそれを最初にしてUPいたします。