延原時行歌集「命輝く」(第922回)(神戸・須磨の海)


      延原時行歌集「命輝く」(第922回)
「復活の家出発進行――感謝無限の旅一歩一歩」(179−6)笑み増しの歌、喜びの歌、思ひ出作りの歌、道の歌、随順の歌、思索の歌、天地喜びの歌、復活立証の歌、甦りの歌、二度の歌、命歌の歌、予兆の歌、歌ある日の歌、天地一体の歌、古希の笑み讃歌、驚くもの歌、成るの歌、在共空間の歌、朝の歌、幸せの歌、我妻人生不思議の歌、怪我の功名の歌、学べりの歌、延原信子復活歓びの歌、佳き日々の歌、我が復活思索の歌、笑み無尽の歌、時の歌、春一歩一歩の歌、箴言の歌、笑みて往かんもの歌、笑み増し五態省察の歌、妻思ひ出作り往くの歌、学ぶ時の歌、新しき朝の歌、托すの歌 (2014年4月21−30日)。

    4月24日
           天地一体の歌十二首

   我が庭に桃の花咲くこれも又天に成る妻地にいぶき哉
   友ありて伊丹福住御菓子をば贈り給へり懐かしきかな

   桃の花咲けば信子の里帰りありて心や和む嬉しも
(備考:これホ氏の言ひし”flood back”なり:”What is done in the world is transformed into a reality in heaven, and the reality in heaven basses back into the world. By reason of this reciprocal relation, the love in the world passes into the love in heaven, and floods back again into the world. In this sense, God is the great companion—the fellow-sufferer who understands.” [PR, 351])

   ノーちゃんよまだまだ花や咲き乱れん汝(な)が人生はこれからが華(備考:本が出るでえ、ノーちゃん。父さん、有難ね。あんた2月13日北越病院で祖父江ドクターに「本作ります。父さんやって」言うたやろ。やるでえ。おおきにね、父さん)

   これにてや自然の意味を聊かや我覚りたり里帰りなり

   Re-embodiment (再体化)いざ始まらん妻の華やぎ花本歌ぞ   (備考:往きし者のからだは宇宙大に拡大せる再体化となれり)

   人逝けば岸辺立つ主に導かれ天父御座へと道や往くなり
(備考:この道「言は神と共(pros ton theon)なりき。」[ヨハネ福音書1章1節第二項]のことなり)

   思ひ出を天父に奉献せし妻や父子の間(ま)より霊体を受く
   (備考:父子の間は聖霊なり。聖霊霊のからだの根源なり)

   天父御子至誠なる道従ひて新しき体(たい)賜るや歓喜
(備考:これを我Re-embodiment[再体化]と呼ぶなり。地上的からだ棺と共に焼けたり。今や宇宙的体(霊のからだ[第一コリント15章44節]=Cosmic Christ)に与るなり、「いのち」を着るなり[第二コリント5章4節熟読参照])

   汝(なれ)今や旧き体(からだ)は過ぎたれば「我愛するや」「実に主よ然り」
(備考:ヨハネ福音書21章15−17節熟読参照。「我」は宇宙的基督なり。「愛する」とはその体今や宇宙的広がりを包む主を礼拝することなり。ヨハネ福音書21章は物語神学の記述なれど、かく宇宙神学的=形而上学的に解すべきなり)

   御声あり「我が羊飼へ」かくしてぞ広大無辺宇宙にて生く(備考:霊のからだ賜りし者新しき嗣業受くるなり。これ仏教の鈴木大拙師言ふ覚り「衆生無辺誓願度」に同じなる如し)

   霊体を賜りし者新しき嗣業にぞ今や就くなり
   (備考:何たる光栄歓喜感謝!)

           古希の笑み讃歌三首

   つらつらと我顧みる我妻や最高の笑み古希に示せり

   豊浦の頃の苦みぞ全く去リ生涯自信笑みや満々
   (備考:生涯自信「天父への思ひ出奉献」の信のことなり)

   この笑みや清々しくも棺中の笑みと磨きて神ぞ誉め往く

             驚くもの歌六

   驚くも我が旧稿(「Re-missio Peccatorum」)ぞや打ち開く復活のうた信子華やぎ(備考:『Bambino』第5号、1966年11月。この度拙稿「建学の精神をめぐる三つの省察ーー至誠心の神学から見た自由と愛」『桃山学院大学キリスト教論集』第49号、2014年3月、29−72頁内に付論として所載)

   「岸辺立つ主」の御姿や棺中の妻笑み増しに共往き給ふ
(備考:ヨハネ福音書21章の物語神学今や形而上学的神学へと読み替えらるるも)

   「汝我これら物より愛するや」旧き体(たい)超へ宇宙主礼拝(備考:ここには微塵も「これらの人より」[21章15節の聖書協会訳・新共同訳]の愛のヒューマニズム競争主義の弊残余せず)

   「我が羊飼へ」との御声新しき嗣業就く幸Re-embodiment [再体化]華やぐ(備考:霊のからだ拝受形而上学的には、Re-embodiment [再体化]の教説生むなり)

   復活のとどのつまりのテロスはぞ衆生無辺誓願度なり(備考:「我が羊飼へ」との御言葉は、仏教の「衆生無辺誓願度」と形而上学的に合するなり。ここに我が仏教的キリスト教の極致あり。拙著『仏教的キリスト教の真理ーー信心決定の新時代に向けて』京都・行路社、1987年参照)   


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延原先生より2014年6月15日作成の2冊目の新しい写真帳「信子と草創敬和―−Cal San Bernardino Grand Canyon 新発田<1992〜1995>」(25枚)をお送りいただき、歌に添えて最初から二枚ずつ収めています。今回はその二回目です。



「1992年8月 於 California State University at San Bernardino
短期留学(英語研修)の敬和生のために食事をサーブする
 延原信子 <さあ、どうぞどうぞ> <サンキュー>   」


「1992年8月24日 Nixon Library at Yorba Linda, California
延原信子  」



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今朝は、朝食のあと、洗濯や掃除をしながら、7時からのサッカーの試合を観ていて、結局9時前まで、熱戦のテレビ観戦してしまいました。

8年前のワールドカップ戦の時は、ある大学での講義の時間と重なってしまい、学生たちもそわそわそわそわ、結局授業を中断して、皆で学生食堂のテレビの前で一緒に応援したことを、想い起しておりました。あのときも大変な盛り上がりでしたが、惜しくもあの試合は敗戦してしまいました。日本のサッカーは、その後おおきく実力をつけてきて、世界に羽ばたくスポーツの世界は、頼もしいですね。

今日の写真も昨日に続いて「神戸・須磨の海」です。