延原時行歌集「命輝く」(第911回)(5月17日の須磨離宮公園・Rose Festival)


      延原時行歌集「命輝く」(第911回)

「復活の家出発進行――感謝無限の旅一歩一歩」(178−11)我妻笑み五態の歌、言葉なしの歌、クラクフ論文推敲の歌、思ひ出作り宇宙の歌、桜花の歌、我妻よの歌、笑み増しの歌、始めの歌、笑み御国仕事の歌、偉大なりの歌、哲学的に理解したる主の祈りの歌、昨日はの歌、朝夢やの歌、快活にの歌、恵み御配慮謝する歌、幸せの歌、看病時の歌、名声とみにの歌、日々仕事の歌、春の歌、学ぶ人の歌、復活論ずの歌、新ページ開きたりの歌、きずきたる事の歌、雄鹿再来の歌、絶頂の時の歌、ノーちゃんよの歌、万事華やぐの歌(「ラザロのための祈り」再読)、主の祈りの歌、奇蹟なりけりの歌、笑み増し素晴らしの歌、応作如是観の歌、新宇宙論の歌、又夢にの歌、妹背心の歌、原決定の原生起と妻の歌、幸せの歌、記念の歌、我妻の信の歌、延原信子物語の歌、思ひ出の歌、心に熱き雪の歌、基本基準の歌、変貌の歌、何とかなるの人の歌、妻不思議なりの歌、大変貌の歌、復活の歌、友ありてこその歌、皆は皆やの歌、復活の家にての歌、豊浦病院の頃の歌、三著目次作成の歌。(2014年4月11−20日

    4月16日
            応作如是観の歌十首

   世の人よ汝(な)が果敢無きは死の死をば見ざる故なり絶望こそ死

   正にぞよかかる心の死一切跡形もなく笑みぞ解くなり
(備考:解くとは虚構を匡すとの意なり。誠死に至る病絶望は人の抱きたるいや果ての虚構、虚仮不実なり)

   深刻に悩みおる人虚構人死の死を見よや応作如是観
   (備考:この如き観応(まさ)に作(な)すべし)

   学ぶ人世間知集め眉間皺とどのつまりは死果敢無しとや

   死の底を破りて我が主甦り飛翔冒険天父御許へ
   (備考:死の底破らねば死破ることなし)

   根底をさらにぞ深く突き抜けよそこに我が主の祈りありけり

   アバ父よ我が原初なる栄光を華やがせ給へ原事実解き

   原事実御子の切なる祈りにて「不動」の虚構解かれ飛翔す(備考:例へば、恩師滝沢克己の言ひ給ひける「原事実」アリストテレス言ふ「不動の動者」《Unmoved Mover》の如しとは、我が新発見なり。己れ不動のまま宇宙の万物動かんさんと。然るに、今主の祈りこの「不動」の原事実華やがしむるなり[ヨハネ福音書17章5節熟読参照]。すなわち、「不動」の虚構今解かるるなり。これ「復活」なり。復活、原事実「不動」の虚構解かれ、イエス祈り御父に聴かれ「初穂」[Iコリント15章20節]成り給ふなり。華やぎにして初穂――これ復活(体)の二重性なり。「神にして人、人にして神」なる故なり。形而上学的には、ホワイトヘッド『観念の冒険』末尾ここを描くなり:
“In this Supreme Adventure [主イエスの祈り聴かれ復活成就、華やぎ到来と読め], The Reality [原事実と読め]which the Adventure transmutes into its Unity of Appearance [華やぎへと解くと読め], requires the real occasions of the advancing world each claiming its due share of attention [信子思想の言ふ「思ひ出作り、天父に持参奉献する」過程なりと読め。これなくば、宇宙に存在者たちの貢献なし、貢献なくば、一生の意味なし、「原事実」の全能活動=横暴=に終わるなり。耳ある人は聴くべし。貢献許さるる故に、ノーちゃん笑み増し復活の主と共に嬉々としてなすなり。あな嬉れし]”[AI, 295])

   これやこの復活歓び無窮なり無尽無限の無量光実に
   我妻やこの光浴び棺中に笑みこぼるるも幸や無尽ぞ
   (備考:この世の幸に非ず、無尽幸なり)

            新宇宙論歌六

   我ら人知るべしやこれ宇宙とは滅して不滅笑み増しの里(備考:ホ氏言へり:”We perish and are immortal.” 我この”and”岸辺立つ主と見るなり)

   死すべきのエントリピーの宇宙のみ宇宙に非ず包括や宇宙
(備考:包括とはホ氏の言ふ”We perish and are immortal.”の全体を含むと言ふことなり)

   これら物よりも「我」をぞ愛するや主ペテロにぞ聴き給ひける
(備考:ヨハネ福音書21章15節。「これら物」ペテロの旧き仕事に関わる網、船、諸物一切即ち宇宙諸多性のことなり)

   包括の宇宙ぞイエス復活体基教果たしてこれ信じたるや

   聖書訳「この人達よりも」とせるはさて復活誤解最たるものぞ
(備考:聖書協会訳も新共同訳も同じく世紀の誤訳に陥りしなり。正しくは「これらの物(を愛する)よりも我を愛するや。」なり。さりながら「これらの人(の愛する)よりも我を愛するや。」と訳すことにより、基督教未だ復活信仰に入りたるなし。恐るべき不信に非ずや。これ「基督」教に非ず。「愛のヒューマニズム」なる「人間」教なり)

   我妻の棺中笑み増し告ぐるぞや「我」は岸辺に立つ宇宙の主



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 歌に添えて新しい写真帳「寛ぐ:在宅介護(2011年暮〜2013年春・寛ぎと華やぎの日々)」より二枚ずつUPしていますが、今回は13回目です。



「2013年3月 自宅付近散歩 時行<寒いか> 信子<寒ない>
  向こうは新発田第一中学 」


「2013年4月 春の散歩 右に見える御幸町自宅
  時行<ええ春や> 信子<ウン>  」



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 曇天の朝です。昨日は強風で窓も開けることができませんでしたが、今朝は穏やかで、朝の風がデスクの上を通り抜けてくれます。

 明日は「コア100」(2009年の賀川豊彦献身100年記念の時、神戸において生協・学校・企業などで幅広い実行委員会が組織され、現在も協働の連携を深めている)の企画で、滋賀県近江八幡市にある近江兄弟社との交流をいたします。同行の御誘いがあって参加することになりました。

 ヴォーリズ夫妻の生前を知っていますが、近江八幡は第二の故郷でもあり、再訪を楽しみにしています。出発が早いので、明日のブログはお休みとなりますが。

 本日の写真は、5月17日の須磨離宮公園のRose Festivalのつづきです。