延原時行歌集「命輝く」(第909回)(5月17日の須磨離宮公園・Rose Festival)


延原時行歌集「命輝く」(第909回)
「復活の家出発進行――感謝無限の旅一歩一歩」(178−9)我妻笑み五態の歌、言葉なしの歌、クラクフ論文推敲の歌、思ひ出作り宇宙の歌、桜花の歌、我妻よの歌、笑み増しの歌、始めの歌、笑み御国仕事の歌、偉大なりの歌、哲学的に理解したる主の祈りの歌、昨日はの歌、朝夢やの歌、快活にの歌、恵み御配慮謝する歌、幸せの歌、看病時の歌、名声とみにの歌、日々仕事の歌、春の歌、学ぶ人の歌、復活論ずの歌、新ページ開きたりの歌、きずきたる事の歌、雄鹿再来の歌、絶頂の時の歌、ノーちゃんよの歌、万事華やぐの歌(「ラザロのための祈り」再読)、主の祈りの歌、奇蹟なりけりの歌、笑み増し素晴らしの歌、応作如是観の歌、新宇宙論の歌、又夢にの歌、妹背心の歌、原決定の原生起と妻の歌、幸せの歌、記念の歌、我妻の信の歌、延原信子物語の歌、思ひ出の歌、心に熱き雪の歌、基本基準の歌、変貌の歌、何とかなるの人の歌、妻不思議なりの歌、大変貌の歌、復活の歌、友ありてこその歌、皆は皆やの歌、復活の家にての歌、豊浦病院の頃の歌、三著目次作成の歌。(2014年4月11−20日

    4月15日
           絶頂の時の歌八首

   妻にとり思ひ出作り絶頂を標し付けてぞ往く時来たる
   (備考:これ延原信子の信条なり)

   この意味で我が看病の三年余思ひ出作り増進これあり

   人はそも見事メモリーありてこそ御国入りへと進み得るなり

   この道理我妻しかと弁えぬ箴言朗々正に頂上
   恐らくは箴言作成プロセスに思ひ出作り刻まれたるよ

   それにせよ「あなたに」本を上梓せる誠見事なタイミングなりき

   本と言ふ物時ありて出ずるべし心に余裕生むや佳きかな
   友ありて今日も告ぐるや「あなたに」を読みて感動ありたりの由

           ノーちゃんよの歌三首

   ノーちゃんよあんた笑み増しでかしたなあ岸辺立つ主と共なるや佳し   (備考:佳しも佳しとて最高に佳しやな。おおきにね、父さん)

   ノーちゃんよ以後汝(なれ)や実に笑み増しの信子様とぞ永久に呼ばれん   (備考:有名なるのん、好きやねん)

   ノーちゃんよあんたと問答しながらな大笑いする馬鹿ひとりおるよ
   (備考:何だか天国で笑い声する如し)

    4月16日
      万事華やぐの歌(「ラザロのための祈り」再読)六首

   苛酷なる主の不在とぞ見へしやも妻笑み増しで万事華やぐ

   我昔ラザロのための祈り書く不可見配慮信じさせ給へ
(備考:「主よ、あなたはラザロと共にその遺棄性の現場に居合わせられなかったことを歓ばれました。/ あなたはラザロにとって、またその姉妹マリア、マルタにとって不在であられました。あなたはその不在を歓ばれました。それは、しかし、不在そのものを歓ばれたのではなく、不在の意義を歓ばれたのでした。あなたは決して無意味に不在されたのではありませんでした。あなたが最も心にかけられる弟子たちの信仰、また私たちの信仰のため、つまり、不在の中にあなたが不可見の配慮でもって無言のうちに私たちと共にいたもうことを信じる、信じきる、そうした信仰のためだったのです。主よ、それ以外ではありませんでした。/ 主よ、どうぞ、そのあなたのお言葉から私たちも学ぶことができますように。あなたの苛酷な不在に、あなたの私たちに対する期待の意志を学び取ることができますように。あなたが、ただただ私たちの信頼の心底から芽生えることを欲しておられることを知り得ますように。」拙著『あなたにいちばん近い御方は誰ですかーー妻と学ぶ「ラザロとイエスの物語」』東京・日本基督教団出版局、2013年、56頁参照)

   我妻の思ひ出天父奉献の信こそ誠この信なりき

   我書けり死は新しき真正の活動死の死開顕用意と
(備考:「あなたは歓ばれました。彼の死が死に終わらず復活に至ることにおいて、「神の栄光のための器である」(ヨハネ11・4、私訳)ことを歓ばれました。そのことによって私たちは学びます。死はすべての意味の喪失ではなく、新しい意味の獲得であることを。ラザロは無意味に死んだのではないことを。彼は一つの崇高な使命のために死んだのであることを。人間がその活動をすべて停止する時、あなたはその力ある御業を始められ、そしてそれと共に人間は新しい活動をその身によってなすものであることを。/ 主よ、どうぞ、そのことを今後、私たちが忘れることのございませんようにお守りください。私たちが決して死を究極のものと断じ、そこに終わり、あの、古今東西の悲観論者たちの一様に力なく指摘する一切の終り、を見ることのございませんように。どうぞ、私たちが心の底からの期待をあなたに向け、死は新しい真正の活動、すなわち「死の死の世界」(Iコリント15・5参照)の開顕のための用意であることを確信できますように。」同57頁参照)

   誠死は我妻の笑み示す如光御国の反射体実に
(備考:「主よ、どうぞ、私たちがあまりに自分の運命に気を取られるため、私たちの生死というものが、ラザロにおけるように、ただあなたの御父の光の王国の反射体であり、契機にすぎないことを忘れる、そのような絶望的な忘却から私たちを救ってください。」同58頁参照)

   キ氏書けり死に至るはや絶望ぞ死そのものには非ずなりけり
(備考:「あのデンマークの思想家、あなたの僕、セーレン・キェルケゴールが、ラザロの死の記事を読みながら、「死に至る病は絶望である。死そのものではない」と悟りつつ一書『死に至る病』を書き終えました時のように。」同58頁=「雄鹿」第六号、1965年11月、1−2頁、所収=)



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 歌に添えて新しく作られた写真帳「寛ぐ:在宅介護(2011年暮〜2013年春・寛ぎと華やぎの日々)」より二枚ずつUPしていますが、今回は第11回目です。



「2013年3月 延原信子 訪問介護の折 明晰な表情である」


「延原信子 はあとふる送迎車に乗る」



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 神戸も昨日より梅雨入り。草木たちには恵みのいい雨です。

 昨日は会議の後、同時進行のブログ連載中の「賀川豊彦の畏友」のふたりーー武内勝と村島帰之−−のひと纏めしたドキュメントを、パソコンをなさらない御方で閲読希望の御方にコピーして宅配便でお送りし、いつものように賀川関連の研究所にもメール送信いたしました。

 神戸の賀川記念館のHPには「研究室」に「鳥飼の部屋」を設けて下さり、そちらでも公開していただいています。ありがたいことです。

 さて、本日の写真は、5月17日の須磨離宮公園・Rose Festivalの未公開分がありますので、それを収めます。