延原時行歌集「命輝く」(第908回)(昨日の神戸「賀川記念館」と新生田川)


        延原時行歌集「命輝く」(第908回)
「復活の家出発進行――感謝無限の旅一歩一歩」(178−8)我妻笑み五態の歌、言葉なしの歌、クラクフ論文推敲の歌、思ひ出作り宇宙の歌、桜花の歌、我妻よの歌、笑み増しの歌、始めの歌、笑み御国仕事の歌、偉大なりの歌、哲学的に理解したる主の祈りの歌、昨日はの歌、朝夢やの歌、快活にの歌、恵み御配慮謝する歌、幸せの歌、看病時の歌、名声とみにの歌、日々仕事の歌、春の歌、学ぶ人の歌、復活論ずの歌、新ページ開きたりの歌、きずきたる事の歌、雄鹿再来の歌、絶頂の時の歌、ノーちゃんよの歌、万事華やぐの歌(「ラザロのための祈り」再読)、主の祈りの歌、奇蹟なりけりの歌、笑み増し素晴らしの歌、応作如是観の歌、新宇宙論の歌、又夢にの歌、妹背心の歌、原決定の原生起と妻の歌、幸せの歌、記念の歌、我妻の信の歌、延原信子物語の歌、思ひ出の歌、心に熱き雪の歌、基本基準の歌、変貌の歌、何とかなるの人の歌、妻不思議なりの歌、大変貌の歌、復活の歌、友ありてこその歌、皆は皆やの歌、復活の家にての歌、豊浦病院の頃の歌、三著目次作成の歌。(2014年4月11−20日

    4月15日
          新ページ開きたりの歌七首

   我妻や復活省察新ページ汝(なれ)開きたり笑み増しやこれ

   笑み増しに機法一体隠さるる岸辺立つ主と思ひ出奉献

   岸辺にぞ立つ主原初の栄光の華やぎなるよ祈り聴かれて
   (備考:ヨハネ福音書17章5節の主の祈り天父に聴かれたるなり)

   我妻の思ひ出天父御許まで持参奉献欣求祝さる
   ああ妻よ何たる感謝感動よ地上生涯なべて報はる

   人としてこれほどまでの幸ぞなし如何な地上の歓びも抜く
   それ思ひ我が心にぞ今日も降る暖かき雪実に深々と

          気付きたることの歌二首

   ひとつ我気付きたるにや我が妻ぞ我が学問に献身したる
(備考:これ手のうごきと全く同質なり:落ちし後手のうごきにて我に上智大学に行き講演せよと示せり。此度絶命の後笑み増し示して「復活の省察」完成を促せり、すなわち、死して後にも岸辺立つ主御臨在有り、「復活世界」天父の許へと展開するとの事理なり。この展開の中に「思ひ出奉献」必然的要素として含まれ祝され往くなり、これ希望世界なり。ホ氏『観念の冒険』末尾これにまさしく照応す:”In this Supreme Adventure(イエスの天父への「我が原初の栄光華やがしめ給へ。」[ヨハネ17・5]との祈り聴かれて復活なりし事と読め), the Reality which the Adventure transmutes into its Unity of Appearance (復活と読め), requires the real occasions of the advancing world each claiming its due share of attenstion (思ひ出の持参奉献と読め)”(AI, 295). )

   さらにぞよ不思議なること祝福ぞ笑み増し豊か恵まれ往けり
   (備考:箴言第一条と全く同質なり:
     God blessed the good day
  Of self-reflection [on life memories while smiling]
  And [when time passes]
  Of self-dedication [of memories to]
  [The Kingdom of Heavenly Father Who Understands])

        雄鹿再来の歌七首(第六巻、2014年4月15日)

   主イエスはぞラザロ死し時不在をば喜び給ふ共在厳然
   (備考:インマヌエルの原事実厳然たるを主イエス喜び給ひしなり)

   そのうえでラザロ墓から出でよとぞ宣(のたま)ひけり如何に優しき
   我妻や癒し豊かに助走なし厳然共在入不滅へと
   (備考:厳然共在「入不滅の働き」なし給へり。単なる「共在」に非ず)

   岸辺にぞ立つ主助けて我妻に思ひ出天父奉献祝す
(備考:入不滅の働き「思ひ出の天父の許への持参奉献」に他ならず。これ在りてこそ我妻の人生神学満たされたるなり。これ延原信子の信のユニークネスなり。単なる「共在厳然」に非ず。その事「共在厳然」の底に主の天父への祈りの通路在りてぞ可能なり。ヨハネ福音書1章1節第二項「言は神と共に(pros ton theon)ありき。」その通路なり。通路御子と天父の間のリアリティ(絶対無の場所)なると同時にこれを通じての祈り(主の祈り)なり。この認識単なる「共在厳然」の立場にはなし。「神人共在そのもの」神にも人にも属する属性に非ず、それ自体ユニークなるリアリティなり)

   人如何に悲惨なるとも裏からぞ神共にます見れば微笑ぞ 
   (備考:復唱)

   我妻の笑み増し示す棺中に共在優し誠嬉しや
   今にして我覚りたり主の言葉ラザロ死せるも信ぜよの信(備考:この信我妻の言ふ「棺が焼けても思ひ出の天父奉献」の信に他ならず)



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 歌に添えて新しい写真集「寛ぐ:在宅介護(2011年暮〜2013年春・寛ぎと華やぎの日々)」より二枚をUPしていますが、今回は10回目です。



「2012年3月 延原信子 居間にて
  <父さん> <何や>  」


「2012年3月 延原信子 居間にて 大島誠雄北越病院療法士訪問リハビリ」


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 愈々今年も梅雨入りのようです。今日は昼間、だいじな会議で出かけねばいけませんが、どうも激しい雨が降り始める予報がでています。自転車でいけますかどうか・・・・。

 今日の写真は、昨日午前中でかけた神戸の「賀川記念館」と新生田川です。20代に過ごしたあの頃の景色ーーバラックなどのある劣悪な住環境−−とはすっかり違っています。