延原時行歌集「命輝く」(第907回)(昨日の散歩と市場への往きかえりに)
延原時行歌集「命輝く」(第907回)
「復活の家出発進行――感謝無限の旅一歩一歩」(178−7)我妻笑み五態の歌、言葉なしの歌、クラクフ論文推敲の歌、思ひ出作り宇宙の歌、桜花の歌、我妻よの歌、笑み増しの歌、始めの歌、笑み御国仕事の歌、偉大なりの歌、哲学的に理解したる主の祈りの歌、昨日はの歌、朝夢やの歌、快活にの歌、恵み御配慮謝する歌、幸せの歌、看病時の歌、名声とみにの歌、日々仕事の歌、春の歌、学ぶ人の歌、復活論ずの歌、新ページ開きたりの歌、きずきたる事の歌、雄鹿再来の歌、絶頂の時の歌、ノーちゃんよの歌、万事華やぐの歌(「ラザロのための祈り」再読)、主の祈りの歌、奇蹟なりけりの歌、笑み増し素晴らしの歌、応作如是観の歌、新宇宙論の歌、又夢にの歌、妹背心の歌、原決定の原生起と妻の歌、幸せの歌、記念の歌、我妻の信の歌、延原信子物語の歌、思ひ出の歌、心に熱き雪の歌、基本基準の歌、変貌の歌、何とかなるの人の歌、妻不思議なりの歌、大変貌の歌、復活の歌、友ありてこその歌、皆は皆やの歌、復活の家にての歌、豊浦病院の頃の歌、三著目次作成の歌。(2014年4月11−20日)
4月14日
春の歌二首
校庭を経巡りひらく桜花今よ春春げにも春なり
春来る笑み増し妻の書を作る我が喜びぞ満つる時かな
学ぶ人の歌十一首
原事実知ると言ふ人イエスから学ぶとは言へ縛られぬ如
学びてぞそれで何こそ生まるやら帰依の心の無かるほどなら
学ぶ人一度(ひとたび)学ぶ言ふ時にゃ学びはせぬよ競い心よ
(備考:競ひ心の人この世に在りたきだけの人なる故、その限り御国入り不可なり)
要するに心に在るは啓蒙者他人(ひと)に教へを垂れたき御仁
恐らくはかかる人こそエスにまで教へ垂れたき御仁なるやも
つねにぞや教へ垂れたき御仁ほど己が問題避くる人なし
何故に己が問題避くるかやただ一言のああ神よ欠く
教へたき御仁にはなし叫びなしああ神よとの叫びこそなし
一生を教へて暮す御仁ほど難しき人世にも無かりき
ああ主よと叫ぶことなき人如何に神の御答へ聴く道やある
何故に主イエスに学ぶ言ふ人や御体通り父に行かざる
(備考:へブル書10章20−22節熟読参照)
復活論ずるの歌七首
我ら人主の復活を論ずるに生きたままにて論ずるや不可
自らが死なぬままにて死からのや復活論ず如何に厚顔
さりながら妻の棺中笑み見つつ我復活の真実見(まみ)ゆ
自らはこの世にしがみ付きながら神に打たるる人見るや不可
この不可は世に果敢無しと感ずなら定めなるべし如何に悲しき
されど妻棺中にてぞ笑み増して岸辺立つ主と復活路往く
人如何に悲惨なるとも裏からぞ神共にます見れば微笑ぞ (備考:復唱)
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歌に添えて新しく作られた写真帳「寛ぐ:在宅介護(2011年暮〜2013年春・寛ぎと華やぎの日々)」より二枚ずつUPしています。
「2012年3月 居間にて夕餉終え笑む信子
<父さん美味しかったヨ> 」
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延原さんから届いた今朝のメールには、新しい歌と共に新著『復活の省察ーー妻と歌う:生くるとは深き淵より共々に甦ること喜びてこそ』の完成間近の草稿が入っていました。
この新著もすでに馴染みの老舗書店・考古堂さんのもとで仕上げられていきますが、この著作には特別のわくわくした思いがいたします。
本日は用事(ただ今、同時進行のブログで「賀川豊彦の畏友・村島帰之」の連載をすすめていて大切な図書の返却と借用のため)を済ませてから、ゆっくりとこの草稿を味読いたします。
今回の写真は、昨日の散歩と市場への往きかえりに寫したものです。いま柘榴の赤い花が咲き始めていたり、アンズの実が少しずつ色づいてきていたり、紫陽花の花が満開になったりしています。
いつものように、隣りの公園で、スズメちゃんたちと親しく話し込んだりして・・・・。