延原時行歌集「命輝く」(第906回)(5月17日の須磨離宮公園・Rose Festival)


      延原時行歌集「命輝く」(第905回)

 「復活の家出発進行――感謝無限の旅一歩一歩」(178−6)我妻笑み五態の歌、言葉なしの歌、クラクフ論文推敲の歌、思ひ出作り宇宙の歌、桜花の歌、我妻よの歌、笑み増しの歌、始めの歌、笑み御国仕事の歌、偉大なりの歌、哲学的に理解したる主の祈りの歌、昨日はの歌、朝夢やの歌、快活にの歌、恵み御配慮謝する歌、幸せの歌、看病時の歌、名声とみにの歌、日々仕事の歌、春の歌、学ぶ人の歌、復活論ずの歌、新ページ開きたりの歌、きずきたる事の歌、雄鹿再来の歌、絶頂の時の歌、ノーちゃんよの歌、万事華やぐの歌(「ラザロのための祈り」再読)、主の祈りの歌、奇蹟なりけりの歌、笑み増し素晴らしの歌、応作如是観の歌、新宇宙論の歌、又夢にの歌、妹背心の歌、原決定の原生起と妻の歌、幸せの歌、記念の歌、我妻の信の歌、延原信子物語の歌、思ひ出の歌、心に熱き雪の歌、基本基準の歌、変貌の歌、何とかなるの人の歌、妻不思議なりの歌、大変貌の歌、復活の歌、友ありてこその歌、皆は皆やの歌、復活の家にての歌、豊浦病院の頃の歌、三著目次作成の歌。(2014年4月11−20日

    4月13日
            看病時の歌二首

   ノーちゃんよ父さん看病疲れなし過去半世紀推敲十巻
(備考:過去半世紀十冊用意しなおも推敲中。この執筆多産の快看病疲れ取りしなり)

   父さんよ勉強時間ないでしょういやいやノーちゃん推敲十本

           名声とみにの歌一首

   我妻の名声とみに高まるや人の命ぞ終りや始め(備考:My friend Gene Reeves says on March 22, 2014: "Dear Toki, I never met your Nobuko, but think she must have been a remarkable wife. Please accept my sympathy at her passing....”)

    4月14日
          日々仕事の歌二十首

   日々に仕事あるなり今日こそはさらにフォトをぞ現像やせん

   さらにぞや三月四月我が歌を友方送り妻供養せん

   かかる日が来やうとは我露知らず介護介助に我忘れけり

   お早うさんノーちゃんほんまええ顔やにーっと笑みて科作る妻
(備考:「お早うさん、父さん、疲れとれた?」「ああ元気やで。」)

   朝餉をば祈りて始む今日の日やみ名称へつつ過ごさせ給へ(備考:「豊中の順子さん、則行さん、恵子さん、三田の兄さん方、三木の兄たち、をも御護り下さい。鳥飼先生、木原さん、市村さん、ご一家に御加護あります様、主イエスのみ名によってお祈り申し上げます。アーメン」「アーメン。」)

   葡萄パン口に入れては瞑目し妻美味しいと真に味わう
(備考:然る後、好物のバナナ、スピナッチ、ブドウジュース、カテキン

   薬のみ嗽歯磨き済ます頃ヘルパーさんやトイレ着替えぞ
   そのうちにはあとふるより送迎車車椅子のり手振り妻往く

   昼の間は二階で仕事終へてからさてと車でウオロクや寿司(備考:コモタウンのウオロク店元々魚屋にして寿司甚だ旨し。週三回=水金日=求む)

   5時に妻帰る頃我馳走をば万端用意「父さん」と声す

   何しろや何処に在るも我妻の「父さん」の声止まることなし

   今日の日も天上からぞ尚止まず天地響くや「父さん」の声

   父さんよ何処も行かんと傍居てな何時も居るがな有難ね皆   (備考:何もかも有難ね)

   かかる日々あの瞬間(とき)まで続きたり妻忽ちに笑み御国入り
   (備考:誠忽ちなりき)

   誠にや笑み棺中に五態あり打たれ沈思し主称へ往けり

   お優しき天父御許に嬉々として実にも往きたり思ひ出奉献
   主を称ふ前にぞ妻や顎挙げて発見の時いと厳かに

   沈思せる笑みは思ひ出回想ぞと顎挙げつや「これ」は主なりと
(備考:ヨハネ福音書21章7節:「イエスの愛しておられた弟子が、ペテロに言った。『あれは主だ』」熟読参照。「あれ」はノーちゃんの場合いと近き「これ」なり。拙著『あなたにいちばん近い御方は誰ですかーー妻と学ぶ「ラザロとイエスの物語」』[東京・日本基督教団出版局、2013年]参照)

   我妻や汝(なれ)顎挙げて足下に主の御臨在見出しけりも
(備考:人上向くや足下感じて確かむるも。この事天父に向かひて足下の主イエス・キリスト拝するの図なり。原事実踏みしむれば踏みしむるほど天父仰ぐや誠信なり。原事実天父に非ず、天父への通路原事実に隠さる。天父への通路隠さるる事、仏教にては空性とは言ふなり。通路三一論にては神性またマイスター・エックハルト言ひしNichtsなり。恩師これを見ず。「インマヌエルの原事実にまったく単純に規定されて、彼自身の身は深い低みに置かれており、ここに与えられた聖なる限界の背後に歩み出てさらに深く下降することはできもしないし、またしようともしないのである。」[『純粋神人学序説』福岡・創言社、1988年、274頁]と言ひ給ひしが。我以前より通路「包括的ロゴス」[ヨハネ福音書1章1節第二項「言は神と共に(pros ton theon)ありき。」熟読参照)と呼び、天父も御子もこれに至誠なりとして、至誠心の神学提唱せり。我妻此度死して生きつつ笑み、これ実証せるも。嬉れし。原事実より通路に下降すれば天父に向かふとの逆理、これ誠に逆理なり、宇宙この逆理にていや果てになるなり、これぞホワイトヘッドの言ふ「冒険」[AI, 295]なり。何たる神智ぞ、我妻延原信子此度この逆理死して入不滅、実証せり、それ彼女の笑み増しなり。この事今度のクラクフ拙論”From Divine Solidarity to Ecological Theology”にて詳論せり。御照覧あれ)

   沈思笑みそこはかとなく父さんよ皆有難ね言ひたるが如



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 歌に添えて新しく作られた写真帳「寛ぐ:在宅介護(2011年暮〜2013年春・寛ぎと華やぎの日々)」より二枚ずつUPしていますが、今回は8回目です。



「2012年2月 延原信子 はあとふるあたごデイサービスセンター城北町から帰宅 明晰・眠気なし」


「2012年2月 延原信子 はあとふるあたごデイサービスセンター城北町から帰宅 居間・ベッド部屋
  <父さん> <ノーちゃんお帰り> 」


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 梅雨に入る前の爽やかな朝です。昨日から衣替え、半ズボンになり、急に夏向きになって・・・・。本日もしっかりとひと仕事・・・。

 少し前の写真ですが、今日も5月17日の須磨離宮公園・Rose Festivalを収めます。