延原時行歌集「命輝く」(第902回)(三木市金剛寺霊園にて「IXIA!延原信子納骨式)
延原時行歌集「命輝く」(第902回)
「復活の家出発進行――感謝無限の旅一歩一歩」(178−2)我妻笑み五態の歌、言葉なしの歌、クラクフ論文推敲の歌、思ひ出作り宇宙の歌、桜花の歌、我妻よの歌、笑み増しの歌、始めの歌、笑み御国仕事の歌、偉大なりの歌、哲学的に理解したる主の祈りの歌、昨日はの歌、朝夢やの歌、快活にの歌、恵み御配慮謝する歌、幸せの歌、看病時の歌、名声とみにの歌、日々仕事の歌、春の歌、学ぶ人の歌、復活論ずの歌、新ページ開きたりの歌、きずきたる事の歌、雄鹿再来の歌、絶頂の時の歌、ノーちゃんよの歌、万事華やぐの歌(「ラザロのための祈り」再読)、主の祈りの歌、奇蹟なりけりの歌、笑み増し素晴らしの歌、応作如是観の歌、新宇宙論の歌、又夢にの歌、妹背心の歌、原決定の原生起と妻の歌、幸せの歌、記念の歌、我妻の信の歌、延原信子物語の歌、思ひ出の歌、心に熱き雪の歌、基本基準の歌、変貌の歌、何とかなるの人の歌、妻不思議なりの歌、大変貌の歌、復活の歌、友ありてこその歌、皆は皆やの歌、復活の家にての歌、豊浦病院の頃の歌、三著目次作成の歌。(2014年4月11−20日)
4月11日
桜花の歌一首
校庭の周りを巡る桜花やっとじんわり桃色支度
(備考:新発田の桜前線の模様これなり)
我妻よの歌三首
我妻よ汝(なれ)先往きて我にぞや汝(なれ)と共にぞ仕事させんとや
汝(なれ)天父我が主と共に祈りおり我が仕事にぞ心注ぐも
その心昨夜推敲果たしつつ我しかとぞや覚へ行きしも
半世紀前に書きたる復活稿世に出でにけり岸辺の主ほむ
(備考:拙稿「建学の精神をめぐる三つの省察――至誠心の神学から見た自由と愛」(『桃山学院大学キリスト教論集』第49号、2014年3月所載)なり)
主ほめつ汝(な)が笑み増しの所以をば半世紀前示す嬉しや
4月12日
笑み増しの歌三首
我妻の笑み増しこそや理想超ゆひそと顕れほのと咲く哉
人たるの理想とはともかぜよ慈悲の神のぞ風受くる風
然るにやノーちゃんは実にや笑みてこそ死して無尽のともかぜ生くる (備考:こんな人ほかにあるなし奇蹟なり)
始めの歌十首
いや果てに笑み浮かべつつ往きし妻永久の命の始めにぞ即く
始めなる命の歌や我が胸に暖かき雪今朝も降りなる
(備考:なる=生る・鳴るなり)
久方の春の光の注ぐ今我が始め祝し給ふ主崇めまつらむ
人生は終りに臨み岸辺あり主立ち給へば始めぞや成る
始めをば終りの眼でぞ見る莫れこの世命の総てに非ず(備考:ホ氏も言ひし如く、全体生命は"We perish and are immortal.”なり。”And”始めにして岸辺に立つ主なり)
新たなる命の道は甦り主と共に起つ天父への道
(備考:ヨハネ福音書21章4節なり)
この道の映しぞ此処や我が命燃やしたぎらせ仕事進めん
(備考:「映し」プラトン思想に似る如し。されど「追憶」に非ず、キェルけゴールの言ひし「反復」(受け取り直し)なり。今三作進めつつあり:①Toward an Ecozoics of the Deity: Ecological Theology in a New Key; ②復活の省察ーー祝福のうたと共に;③建学の精神・対話の精神ーー至誠心の神学による大学形成の構想)
三年余妻と語らひ楽しみし居間今やこそ我が思索部屋
春の陽や燦々とぞや降り注ぐ誠今こそ復活の日々
復活や天父我が主と我妻と新しき道備へられ往く
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歌に添えて新しい写真帳「寛ぐ:在宅介護(2011年暮〜2013年春・寛ぎと華やぎの日々)」より順番に二枚ずつ、写真説明と共に収めています。
「2013年4月 延原信子 自宅前散歩 大島誠雄療法士(北越病院)訪問介護」
「2013年4月 自宅前第一中学校庭の桜
時行<ノーちゃん花見や> 信子<ウン> 」
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昨日は朝からブログも休み、兵庫県三木市大村如意山金剛寺の霊園における「IXIA!延原信子納骨式」に出かけてきました。
延原さんのお兄様ご夫妻、信子さんのお兄様と妹さんと御一緒に、鶯の鳴く美しい霊園において、納骨式を執り行い、延原家のお墓に、在家キリスト教の称名「IXIA!」(イエス―ス・クリストス・インマヌエール・アーメン)が刻まれ、誠に感慨深く、忘れがたひと時を過ごしました。
ここに記念としてその「式次第」を掲げ、式後の延原さんの御挨拶の写真並びに金剛寺の景色などを収めます。
IXIA! 延原信子納骨式式次第
於三木市大村如意山金剛寺
2014年5月28日午前10時半
司式:鳥飼慶陽牧師(日本基督教団番町出合いの家)
讃美歌 312番 一同
聖書 ヨブ記1章21節、ルカ24章5,6節、ローマ14章7−9節 司式者
祈祷 司式者
讃美歌 405番 一同
頌栄 541番 一同
祝祷 司式者
延原信子:昭和17年6月17日生まれ、平成26年3月11日永眠享年71歳
関西学院神学部修士卒業と共に豊中教会伝道師(1967年〜)。
加茂兄弟団伝道所教師、啓明女学院教師(1969年〜)。
夫延原時行の同労者として渡米、クレアモント神学院在籍、
ダスキン米国本社社長秘書、在米補習校あさひ学園教員(1977年
〜92年)。ジョン・B・カブ・Jr.著『とりなしの祈り』(ヨルダ
ン社、1990年)時行と共訳。時行の敬和学園大学赴任と引退に伴
い内助の功に励む(1992年〜)。
2010年12月1日より県立新発田病院、新潟県立リウマチセンター、
豊浦病院にて治療。2011年10月5日退院。以後、豊浦愛宕の園
ショートステイ、はあとふるあたごデイサービスセンタ―城北町、
北越病院、片桐医院、サンフラワー介護福祉センター、信田眼科
医院、高橋クリニック等のケアの実践に助けられる(〜2014年)。
この間『英文箴言:God blessed the good day』時行と共に執筆、
刊行が待たれる。