延原時行歌集「命輝く」(第898回)(「和田岬砲台」の近くにある「和田神社」)


         延原時行歌集「命輝く」(第898回)

「復活の家出発進行――感謝無限の旅一歩一歩」(177−13)示すの歌、変貌系譜に入るの歌、三段階の歌、妻奇蹟の歌、静中動なる御神称ふの歌、将にの歌、日々奇蹟の歌、妻の幸の歌、不思議なりの歌、ノーちゃんよの歌、この朝の歌、今にしての歌、幸せの雪の歌、称ふべしの歌、梅も桃も綻びての歌、我が歌の歌、妹背会話の歌、全快の歌、延原信子一生の歌、語りしの歌、信念の人信子の歌、思ひ出奉献の場即復活の歌、命の歌、麗しき哉の歌、我妻よの歌、何故にの歌、岸辺立つ主よの歌、一瞬の歌、復活の歌、人すべての歌、イエス出現主旨の歌、即座の歌、訊き給ふの歌、我妻よの歌、時々にの歌、往きし人と次ぐ者の歌(2014年4月1−10日)

    4月9日
            復活の歌十首

   宇宙には衰退の様あるも今思い出作り献ぐや復活
   歌ありて如何に悲しき経験も再びの時得たるべしとぞ
   (備考:再びの時とは悲しみ歓びに転ずるの時なり)

   この宇宙聴く方在りて歌ひ行く歌ふ我らややよ御国入り

   宇宙のぞ刻々死滅"and"あり”Perish and immortal”とぞ全体把握

   “And”とは宇宙にとりて何なるか岸辺立つ主とヨハネ書言ひし(備考:ヨハネ福音書21章4節:「夜が明けたころ、イエスが岸に立っておられた。しかし弟子たちはそれがイエスだとは知らなかった。」我々の無智無明は深刻なり。此岸から彼岸に行く時死する時なり。そこに岸辺立つ主のいますこと見えざること闇の如し。されども主いますなり。我妻信子の棺内にて笑みて示せし如く)

   岸辺とは此岸と彼岸の間なり間なくして生も死もなし

   かくあるに何故人々は生きたれば死ぬと言ふぞや間主見ずに
   生きたれば死ぬに非ずよ間の主見(まみ)ゆる故や笑み往くが真

   我妻や笑みて往きつつ間の主御臨在をぞ称へ尽くせり

   復活の主こそいますや生死間(ま)にかくしてこそぞ天地燦々
(備考:天と地の間に復活の主ありて燦々たるも。これ真の宇宙的Solidarityなり)

            人すべての歌一首

   人すべて活動姿消えゆかん次ぐ者の心(しん)天父御座へと
   (備考:ホ氏の言ふ客体的不死性(相対的と究極的)の真実なり)   

           イエス出現主旨の歌十首

   恩師言ふナザレ・イエスに現れしイマヌエルのや設立あらず
(備考:滝沢克己『純粋神人学序説』[福岡・創言社、1988年]271頁参照)

   誠にぞイマヌエルとは原事実イエスこれにぞ応へたる人

   さりながら単に応へし人なるか我見るや主は祈りたる人
   祈りとは原初の栄華やがせ給へと求む欣求なりけり
   (備考:ヨハネ福音書17章5節熟読参照)

   欣求にぞ込められたるや聴かる時聴かるるほどに御身復活

   復活と言ふこと何ぞ原初のぞ栄華やぎかつイエス生く

   そのことの意味するものは父子共今や生死の間にぞ輝く
(備考:「言は神と共に(pros ton theon)あった。」[ヨハネ福音書1章1節第二項]と言ふ原初の栄華やぎて生死の間にぞ立つ主の場成すなり)

   かくてこそ復活二重真理にて元々在りつかつ初穂なり
(備考:第一コリント書15章12−19節に使徒パウロ言ふ如く、「もし死人の復活が[原理的に]ないならば、キリストも[現象的に]よみがえらなかったであろう。」との二重真理重要なり。二重真理イエス・キリスト「神にして人・人にして神」の理(ことわり)なり)

   この真理現象的に死する者受け容れつつも天父に運ぶや

   我妻の生涯欣求今やこそ復活の主に運ばれ往くや
(備考:「天父にぞ思ひ出作り棺が焼けても持参したし。」これ延原信子生涯の欣求なりし。今これ彼女往きて実現しつつあるも。このこと棺中の笑み増し示したるなり)


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昨日UPした「和田岬砲台」の近くに「和田神社」があります。上の二枚は砲台の公開の折にいただいたパンフレットに掲載されていた神戸市立博物館蔵の絵図です。

明治期は和田岬あたりは「神戸名所」のひとつであったようで、明治20年には「兵庫和田岬和楽園」という遊園地が開園され、築山や池、魚釣り場、展示場など洋風建物もあり賑わっていたようです。

長く神戸に暮らしながら「和田神社」もはじめて訪れました。兵庫運河とサッカー場などと共に数枚収めます。