延原時行歌集「命輝く」(第895回)(須磨離宮公園 Rose Festival)


        延原時行歌集「命輝く」(第895回)
「復活の家出発進行――感謝無限の旅一歩一歩」(177−10)示すの歌、変貌系譜に入るの歌、三段階の歌、妻奇蹟の歌、静中動なる御神称ふの歌、将にの歌、日々奇蹟の歌、妻の幸の歌、不思議なりの歌、ノーちゃんよの歌、この朝の歌、今にしての歌、幸せの雪の歌、称ふべしの歌、梅も桃も綻びての歌、我が歌の歌、妹背会話の歌、全快の歌、延原信子一生の歌、語りしの歌、信念の人信子の歌、思ひ出奉献の場即復活の歌、命の歌、麗しき哉の歌、我妻よの歌、何故にの歌、岸辺立つ主よの歌、一瞬の歌、復活の歌、人すべての歌、イエス出現主旨の歌、即座の歌、訊き給ふの歌、我妻よの歌、時々にの歌、往きし人と次ぐ者の歌(2014年4月1−10日)

    4月6日
        思ひ出奉献の場即復活の歌八首(推敲)

   我妻は復活の場の意味表示したるや棺内笑み増し往きつ

   思ひ出を天父に奉献成す場をや主は甦りてぞ示し給ひし
   それはそも御子神と共いますこと場をなしつ今華やぐやこそ
(備考:「ロゴスは神と共(pros ton theon)なりき」[ヨハネ福音書1章1節第二項]熟読参照。「場をなしつ」とは原初の栄光なり[ヨハネ福音書17章5節]。これ御子主イエスの父への祈りにより「華やぐ」もの復活なり。哲学的には、「場をなしつ」の含意するは、御子乃至ロゴスの神と共なるリアリティ「包括的ロゴス」の「世の・原事実としての・太初のロゴス」[ヨハネ福音書1章1節第一項]としての現れ・現成のことなり。「華やぐ」は、さらに、この現れ・現成が対自的自覚的に活性化することなり。因みに、滝沢原事実論は「包括的ロゴス」に明示的には論及せず、もっぱら「太初のロゴス、すなわちこの世の・原事実としてのロゴス」を考究せるものなり。我が立場は、「包括的ロゴス」を前提にして、これが世と触れるところが「太初のロゴス」なりといふものなり。こう見ざれば、天父への思ひ出の奉献の場は了解不可なり。我妻の「天父に思ひ出を棺が焼けても持参したい。」といふ思想と生死は、かく見てこそ了解称賛されうるものなり。この点、滝沢原事実論には「天父への思ひ出持参奉献」の思想を容れる観点無し。この世の原事実観しかなき故なり。あの世への奉献の思想なき故なり。この観点にては、笑み出ずるなし。奉献なしに笑みなし。この世の原事実論的反省のみにては、「棺中笑み増し」は不可能なり。そこにはあの世「天父」への突破あるなし。滝沢原事実論では、従って、意義深く、笑みつつ死ねぬなり)

   我妻は三位一体場ぞありて包まれ往きて思ひ出献ぐ

   主イエスはぞ十字架に死し復活す故に我らも死してぞ見(まみ)ゆ

   有難し死するは誠希望なり御光実にぞ待ち給ふなり

   人がもし復活の主の御光の待つを忘るや果敢無きぞ世は

   心せよ死が果敢無きに非ずして汝(な)が信のなき心果敢無し
 

    4月7日
             命の歌十二首

   この世をば憂しと悲しと思ふ人いや果てにぞや死ぬに幸見ず

   人死ぬも復活の主や待ち給ふ希望こそ我幸と言ふなり
   人如何に地上で永久(とわ)に生くること思ひ足掻くも術(すべ)ぞなきなり

   かくなれば滅するところ不滅なる命なければ命無きなり
(備考:ホワイトヘッドそここそを”We perish and are immortal.”[PR, 351, 82]とぞ言ふなり。これ偉大なる命プロセス形而上学なり。この一文中”perish”と"are immortal"の間に置かれたる"and"これ何なるか。此岸と彼岸の間に立ち給ふ「復活のキリスト」なり、キリスト教神学の言語で言はば。ヨハネ福音書21章4節に言ふ「岸辺に立つ主」これなり:「夜が明けたころ、イエスが岸に立っておられた。しかし弟子たちはそれがイエスだとは知らなかった。」)

   我妻は滅する所棺中に笑み増し往けり岸辺立つ主と
(備考:此岸と彼岸の間に復活の主臨在し給ふをヨハネ福音書21章4節は「岸辺立つ主」と言ふなり。その徴我妻の笑みなり)

   岸辺立つ主は天父とぞ在すなりこれぞ道なり命なり実に
   (備考:道とは一生の思ひ出を天父に奉献なす通路との意義なり) 

   人死してこの道通り行くことを志す時笑みや出(い)ずらむ

   死する術(すべ)棺中笑みを浮かべつつ実に我妻は示しおるなり

   さながらや摩訶迦葉(まかかしょう)のぞ拈華微笑(ねんげみしょう)浮かべて妻は御国入りたり

   人如何に悲惨なるとも裏からぞ神共にます見れば微笑ぞ

   この微笑我ら人生思ひ出を天父に告ぐる歓びの歌
   而してぞ復活の主ぞ共に在り共に告ぐるぞ歌のまた歌
   (備考:歌のまた歌主の祈りなり)



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 延原さんから毎日届くメルマガ「風の便り」を、少し日付遅れですが、こうして毎日ブログアップさせていただいて、世界の友に発信できることは、私にとってありがたき幸せというほかありません。

 とりわけ、奥様の急逝でご自宅を訪ね「笑み増し」の現場を見届ける幸いにまみえ、延原さんの晴朗・明晰な形而上学省察がうたを通しても賛美・開陳されつづけるこの日々に、新しく触発される歓びは、まことに感謝・感激です。

 毎朝のブログアップは、私にとっては朝の修行、仕事始めの楽しみのひとつになっております。 

 ところで、明日は早朝より春秋恒例の高齢者生協の日帰りバス旅行のため、ブログのお休みをいたします。毎日楽しみしていただいている方々には相済みません。今回の旅は「若狭・鯖街道三方五湖」で、馴染みの皆さんとたっぷりと楽しんでまいります。

 今回の写真は、引き続いて「須磨離宮公園 Rose Festival」です。


薔薇にハチがとまっています。