延原時行歌集「命輝く」(第891回)(ご近所ぶらり散歩)


        延原時行歌集「命輝く」(第891回)

「復活の家出発進行――感謝無限の旅一歩一歩」(177−6)示すの歌、変貌系譜に入るの歌、三段階の歌、妻奇蹟の歌、静中動なる御神称ふの歌、将にの歌、日々奇蹟の歌、妻の幸の歌、不思議なりの歌、ノーちゃんよの歌、この朝の歌、今にしての歌、幸せの雪の歌、称ふべしの歌、梅も桃も綻びての歌、我が歌の歌、妹背会話の歌、全快の歌、延原信子一生の歌、語りしの歌、信念の人信子の歌、思ひ出奉献の場即復活の歌、命の歌、麗しき哉の歌、我妻よの歌、何故にの歌、岸辺立つ主よの歌、一瞬の歌、復活の歌、人すべての歌、イエス出現主旨の歌、即座の歌、訊き給ふの歌、我妻よの歌、時々にの歌、往きし人と次ぐ者の歌(2014年4月1−10日)

    4月4日
         幸せの雪の歌十二首(推敲:5日)

   ノーちゃんよ汝(なれ)が残しし笑み増しのフォト見し友に幸せの雪(備考:レターパックで送りたる「延原信子告別フォト」鳥飼慶陽師御一家より早速御照覧の上朗報来れり:「(前略)ともあれ、ご夫妻の三年四か月の日々と、さらに3月11日から本日に至る先生の日々は、私たちにも、日々(暖かき)雪の降る幸せな思いと気分が響き渡っております。佳い夜をありがとうございました。」

   雪や降る暖かき雪心にぞ笑み増し往きし妻残したる

   この雪や復活の主の香りなり滅しては即入不滅とぞ

   雪や降れ暖かき雪深々とこの世御国に包まるるほど

   我ら知るこの世御国に包まるるありてぞ宇宙仕組みなすなり
(備考:哲学的に思ふに、偶有的宇宙永遠的宇宙に包まれてこそ「この世」とは言ふなり)

   滅してぞ初めて不滅なる我ら悲惨ただなか恩寵ぞ満つ

   この事理や恩寵のみを得たき時果敢無きものと映るなりけり

   果敢無きは無明我らの心根のとるかたちなり不可避的ぞや

   人生を痛ましやとぞ感ずれば感ずるほどに嘆く方あり

   人生は悲惨なるほど恩寵ぞ三年有余妹背知りたり

   高齢化社会長生き好むれど滅して不滅応作如是観(おうさにょぜかん)   (備考:応(まさ)に是の如き観を作(な)すべし)

   我妻や大怪我癒し経たる後絶命するも笑み往きし哉

         称ふべしの歌十首(推敲:5日)

   称ふべし今朝も岸辺に立つ主より暖かき雪受けし妹背ぞ

   我妻の笑み増し往きし春の日ぞ悲惨の極み主の恵み満つ

   これをしも奇蹟と言はず何と言ふ岸辺立つ主のおわしますれば

   人生の苦悩の極み妻と共甞めたるやそこ主まし微笑ぞ

   我妻の笑み増し行くや嬉しさの天翔り往く春ぞ来にけり

   苦悩のぞ日々は転じて春の陽や信子笑み往き暖雪ぞ降る
   称ふべし復活の主や岸辺立ち佳き日祝せり天翔る汝(なれ)よ
   汝が思ひ苦悩の日々に積み重ね幸せはじけ天父奉献(備考:思ひ=思ひ出なり。思ひ出やいや果ての幸せ弾けざれば天父奉献に至らず)

   かくてぞや延原信子人生ぞ全うされぬ汝が信のまま
(備考:2010年11月30日早朝、昼の大怪我の前、書きて我に示したる信条全うされぬ、嬉しも:「加齢とともに、いつかは果てる時もいずれ来る身を自覚すると一期一会を大切に、棺がやけても天父のもとに持参できる思い出をふやしたい。」)

   偉大なり汝(なれ)信条の三年余思い出づくり成りて笑み往く
(備考:2010年11月30日に信子認めし信条見ることなしに以後の人生過程理解出来ぬこと我覚れり。偉大なり、我妻。笑みまさしく会心の傑作なりき:「我が信条達成せり。」と)


          ♯             ♯


 延原さんの心に降り注ぐ雪は、春夏秋冬、絶えることなく降り積もります。

高田渡さんの若い時の歌に「春真っ最中」という、季節外れの雪が降っていた日に生まれたという、いい歌がありますが、延原さんの心に降る天与の雪はまた、格別の意味合いが伝わって参ります。

 ところで、歌に添える今回の写真は、延原さんの著書『三分間のおとずれ――敬和学園大学キリスト教主義とは何か』(1994年、創言社)に用いられた表紙と裏表紙です。



 延原さんはただいま新著『建学の精神・対話の精神――至誠心の神学による大学形成の構想』の草稿を完成させて刊行準備中ですが、この『三分間のおとずれ』は、キリスト教主義大学は新潟・新発田市に誕生したばかりの、大学形成への意欲溢れる説教集として、いまも大切にされている著作です。


         ♯           ♯


 昨日も、ほどよい雨のあと、ご近所をぶらり散歩をしましたが、その時寫した写真を、撮影順に数枚収めてみす。

 前に紅梅の梅の花をUPしましたが、いま梅の実が立派に実っています。そして歩いていますと、何という樹なのか、美しい花を咲かせていたり、水滴をのせた雑草たちも、とても綺麗に目に留まりました。